トップページへ
日刊サイゾー|エンタメ・お笑い・ドラマ・社会の最新ニュース
  • facebook
  • x
  • feed
日刊サイゾー トップ > 連載・コラム  > 『光る君へ』一条天皇崩御後の道長
歴史エッセイスト・堀江宏樹の「大河ドラマ」勝手に放送講義38

『光る君へ』一条天皇崩御後、道長が敦康親王へ与えた“まぶしき闇”なる“おもてなし”

──歴史エッセイスト・堀江宏樹が国民的番組・NHK「大河ドラマ」(など)に登場した人や事件をテーマに、ドラマと史実の交差点を探るべく自由勝手に考察していく! 前回はコチラ

『光る君へ』一条天皇崩御後に道長が敦康親王与えたまぶしき闇なるおもてなしの画像1
藤原道長を演じる柄本佑

 前回の『光る君へ』第38回・「まぶしき闇」では、道長(柄本佑さん)や中宮・彰子(見上愛さん)が産んだ一条天皇第二皇子・敦成親王に対する呪詛の形跡が発見され、騒動が起きる様子が描かれていました。呪詛を行った円能という法師が逮捕され、尋問された結果、藤原伊周(三浦翔平さん)の関与も明らかとなっていましたね。呪詛用の木片を噛み割ってしまう三浦さんの熱演が筆者の周囲でも話題となりました。

 あれだけ歯が丈夫な平安時代の貴族は実在したのでしょうか?

 平安貴族は歯を大事にしており、伊周(そして道長)の祖先にあたる藤原師輔(もろすけ)は、子孫たちに守るべきモーニングルーティンの一貫として「楊枝を使え」と命じています。朝起きたら必ず「口をゆすいで、歯磨きをしろ」といっているんですね。

 歯磨きに使われる楊枝は、先端が房のように加工された特別な楊枝でした。成人した証しとして、貴族の男女が歯を黒く染める「お歯黒」をするのも、実は虫歯や歯周病予防の一貫です。お酢、酒などの溶液に鉄くずや古い釘などを入れて数カ月放置し、溶けたものを歯に塗っていたのですが、見た目とは裏腹に虫歯予防の効果が期待できたそうで、公家だけでなく武家や庶民の間にも広がっていきました。

 平安時代では、虫歯を「むしかめば」と呼びました。当時の代表的な医書『医心方』によると「朝晩、歯を磨けば虫歯にはならない。食事をしたら必ずうがいはしなさい」などの予防法が書かれています。それでも歯を悪くすると、当時の医療技術では無麻酔で抜歯するしかなく、なかなか大変なことになったものです。

――さて、ドラマの中で逮捕された円能法師なる男が縛られ、拷問にかけられている様子が描かれていましたが、平安時代の「取り調べ」とはどのようなものだったのでしょうか。いうまでもなくカメラ映像もなければ、DNA鑑定のような便利なツールは存在しない時代ですから、すべては容疑者の自白次第でした。しかし、奈良時代の大宝元年(701年)に成立した「大宝律令」には、犯罪者の自供を得るための拷問に関する規定が厳密に定められており、これが興味深いのです。

 同書によると、拷問のことは「拷訊(ごうじん)」または「拷掠(ごうりゃく)」と呼び、罪を犯した可能性が濃厚なのに、なかなか自白しない容疑者の拷問に使われる道具は「杖」でした。しかし長さ「三尺五寸(約106センチ)」、太さ「四部(約1,2センチ)」の杖ですから、木製のムチといってもよいでしょう。これで背中やお尻を叩くのですが、叩いてよい回数は1人につき200回まで、取り調べ回数は合計3回までというように意外なまでに細かい規定があるのです(『日本大百科全書』、「拷問」の項目)。

 ただ、天平宝字元年(757年)、ときの「女帝」である孝謙天皇に対する反逆罪で逮捕された橘奈良麻呂などの貴族たちには、鼻を削ぎ落とされたりする凄惨な拷問が加えられたとも伝わり(橘奈良麻呂の乱)、現在の刑法に相当する当時の「律」が必ずしも厳密に守られたとは限らないことはお察しのとおりです。天皇の皇子や中宮を呪詛した円能法師も相当に痛めつけられたのではないでしょうか。

 また、ドラマの中では伊周の完全失脚に伴い、道長が長男・頼通(渡邊圭祐さん)を呼び出し、彰子が産んだ第二皇子・敦成(あつひら)親王を東宮(=皇太子)にして、できるだけ早く天皇に即位いただくための計画を語ってきかせていました。伊周が後見していた、彼の甥の敦康親王(渡邉櫂さん→片岡千之助さん)は、一条天皇第一皇子なのですが、道長によると後ろ盾が弱い親王が天皇になると、臣下の間で権力争いがはじまって、逆に世の中が乱れるのでダメという理屈だったと思います。

12
ページ上部へ戻る

配給映画