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週刊誌スクープ大賞

中国・深圳の10歳男児殺害事件、日中関係改善を願う“父親の手紙”に涙

早すぎる引退『貴景勝』の実父も案じていた“身体の爆弾”

 秋場所は関脇・大の里の活躍で、影に隠れてしまったが、元横関の貴景勝が28歳1ヵ月の若さで引退した。

 日本人横綱の最有力候補だと、一時は囃し立てられたのに、寂しい引き際であった。

 175cmと上背がないため突き押し相撲が身上だった。だが、それゆえに首の負担は計り知れず、慢性的な痛みに悩まされてきたという。

「首の怪我は引退後の人生にも影響するため、どうしても頭から突っ込みにくくなる。現役中は、さらに悪化してしまうのではという恐怖心との闘いでもあり、引退してほっとしているのではないかと思います」(相撲レポーターの横野レイコ)

 父親の佐藤一哉(63)によれば、後々まで尾を引いた深刻な怪我に見舞われたのは、

「2015年の幕下時代でした。取り組みで頭同士がぶつかり、首の骨が変形して、神経に当たって、左半身が麻痺、左手がだらんとぶら下がってしまいました。翌日も何とか土俵に立って右手だけで勝ち、それからすぐ手術をして復帰したのですが、首の痛みはついて回りました。3年前の名古屋場所で逸乃城関と対戦した時に古傷が再発したようで、それ以降は、ボロボロになりながら戦っていました」

 私は贔屓ではなかったが、体の割にやさしい顔立ち、美人の母親と話題が多く、ファンも多い相撲取だった。

 今後は、常盤山部屋付きの湊川親方として後進を育成するという。

 ところで、これまでも「選挙の神様」といわれた人は多くいた。

 都知事選で、当初は泡沫候補扱いだった石丸伸二元広島安芸高田市長を2位にまで押し上げた藤川普之助も、その一人である。

 自民党衆院議員の秘書を経て大阪市会議員を務めた後、野党の選対事務局長や政策顧問などをしていたという。

 参謀を務めた選挙は8月時点で144にのぼり、130勝14敗という好成績だそうだ。

 サンデー毎日で、ジャーナリストの山田厚俊がインタビューしている。

「藤川 彼(石丸伸二=筆者注)が挨拶しに事務所に来た時、2時間説教したんです。わずか約2万7000人の市長が、1400万人の東京都の知事になろうなんて100年早い。ちょっと考え直した方がいいんじゃないかという話を滔々としたんです。
ところが、なぜ都知事になろうと思ったのかと動機を聞いたら、『危機感です』と答えたんです。『日本はこのままでいくと、10年、20年でダメになります。だから今出なきゃいけない。僕の人生なんてちっぽけなものなので、少しでも役に立てるなら嬉しい』と。
見た目は全然そんなふうには見えないけど、愛国心がある。ちょっと感心したら、彼は『愛国心という言葉は、今の世の中では違和感を持つ人が多いので、僕は言わないだけです』と答えた。ならばと、私はボランティア(無償)で引き受けることにしたんです」

「藤川 私は大学時代のご縁で、自民党国会議員の秘書に採用されました。学生時代、政治は安全保障だ、憲法だ、外交だといったことが日々議論されるものだと思っていた。ところが、中に入ってみると、予算の陳情を受け、予算の取り合いが主たる仕事だったんです。(中略)
与党自民党が作ってきたのは、この“陳情民主主義”でした。そんな自民党政治に私は失望したのです」

「藤川 日本の政治が変わるチャンスは、“次の次の選挙”だと思っています。新首相で再度有権者は自民党に期待を寄せる。初めは人気が出るだろうけど、来年の通常国会でさまざまな問題がまたぞろ噴出して、岸田政権同様、内閣支持率は低下していく。来年夏には参院選がありますが、その頃になると国民の意識は『もう自民党ではダメだ』となるのではないでしょうか。
なぜなら、いくら優秀な官僚が揃っていても、この30年間、日本は成長戦略ができなかったからです。
安倍晋三元首相はアベノミクスで3本の矢と言って、『大胆な金融緩和』『機動的な財政出動』『民間投資を促す成長戦略』を掲げました。金融緩和と財政出動はうまくいきましたが、成長戦略はさほどできませんでした」

「藤川 そのような険しい山を乗り越えたら、4年以内に実施される衆院選が“3度目の正直”と呼べる政権交代の時を迎えることができるのではないでしょうか」

「藤川 選挙は毎日が勝負。熱量がある人が強い。有権者の方に熱量を伝えることが大事なんです。
一方で、有権者、国民にも熱量が無くなってきています。政治と国民は表裏一体。このままだとますます政治が劣化していくような危機感を感じます」

 藤川は今年8月、事務所を永田町の議員会館の裏のビルに移したという。かつて自民党の大物議員らが事務所を構えていた「名所」である。

 私も編集者時代にはよく通ったものだった。山田はこう締める。

「政治家を育てる役目を自らに課した『選挙の神様』は、時代のリーダーを育てる“天使”となるのか、それともさらなる混迷を招く議員を永田町に送り込む“悪漢”となるのか」

 藤川は総裁選にもその力を発揮した。3番手だろうといわれていた高市早苗を1回目の投票で1位に持ってきたのである。

「選挙プランナーの藤川晋之助氏が17日、自民党総裁選(27日投開票)で高市早苗経済安全保障担当相(63)の陣営に支援に入っていると明らかにした。藤川氏によると、石丸氏のときと同様、大手コーヒーチェーン『ドトールコーヒー』の鳥羽(とりば)博道名誉会長を通じて支援要請があったほか、高市氏の国家観に共鳴したという。『選挙参謀ではないが、告示前から陣営にアドバイスしている。SNSや動画投稿サイトの部隊を動員するなどして党員・党友票(地方票)の獲得に取り組んでいる』と話した」(産経新聞ネット版9/17(火) 10:10配信)

 決選投票で高市首相誕生か? そう大方は思っていた。惜しくも僅差で石破茂に敗れはしたが、藤川の力畏るべしかもしれない。

 さて、5度目の挑戦で総裁・総理の座を掴んだ石破茂だが、第1回投票では議員票で圧倒的に高市早苗に負けていたため、決選投票での逆転は難しいだろうと、誰しもが思っていたはずである。

 高市のウルトラ保守的な考え方に反発する議員はいても、情勢をひっくり返すほどいるとは思えない。ましてや旧安倍派は、前回、安倍が陣頭指揮をして票を取りまとめ、3位にまで高市を押し上げたのだから、旧安倍派の票の多くは、安倍が嫌いだった石破に流れず、高市に行くはずだ。

 そうなると、小泉進次郎の議員票が菅義偉の一声で石破に流れたとしても、数では足りない。

 麻生太郎は石破嫌いだから、派の票は高市に行くとみられる。

 追い上げはするだろうが、高市優勢は変わらない。テレビを見ていた私も、やや諦めかけていた。

 だが、安倍より右の、極端な思想信条を持つ高市が、もし、総裁・総理になれば、何をやりだすかわからないという恐怖があった。

 今の自民党にはリベラル派などごくごく少数だろうが、その人たちが動けば山が動くかもしれない。

 諦め半分、期待半分でテレビを見続け、開票が発表された時は、思わず声が出た。

 石破茂がいいのではない。高市にしてはいけないのだ。ひとまず「よかった」と思った。

 総裁選直後は、圧倒的な人気を持っていた小泉進次郎は、彼がひと言喋る度に支持が落ちていった。それでも2位には滑り込めるかと思っていたが、党員票がほとんど入らなかったのは、小泉にとってはショックだっただろう。

 10年早いのではなく、それだけの器を持っていないことが、満天下に晒されたのだから、これを取り返すのは容易ではないだろう。

 文春では、故・安倍晋三が生前、親しい地元関係者に「高市はだめだ」と語っていたと報じている。

 それは前回の総裁選が終わった後のことだという。

安倍は、

「もう(高市は=筆者注)やらない。彼女はもうダメだね。総裁選のとき俺が『ここまではやってあげたけど、後は自分で仲間を作ってしっかりやれ』って言ったのに、全然人付き合いをしてないんだよ」

 さらにこう続けたという。

「相変わらず仕事を全部抱える。政調会長(当時)が自宅に持ち帰るから、党職員は誰も分からない。総裁選も俺に『出ないのか?』と言いに来る。『出ない』と言わせて、『じゃ私が出る』という魂胆だったんだろ。もう応援できないね」

 その会話から数日後、安倍は高市の地元である奈良県で暗殺されてしまう。

 高市の決選投票では、亡くなった安倍が自派閥の連中に、「高市だけはやめておけ」と囁いたのかもしれない。

 総裁選ではありえないことだが、白票が5票もあったと報じられている。石破にも高市にも入れたくない議員が5人もいたということになる。

 薄氷を踏む思いで総裁になった石破茂だが、反石破勢力はかなりの数になる。

 就任早々、解散・総選挙を10月中に行うといい出した。小泉進次郎が早期解散で信を問うといった時には、党首討論などを経て国民に新しい自民党をわかってもらったうえで解散するべきなどといっていたのに、コロッと変わってしまった。

 石破茂もただの総理になりたかっただけの男なのだろう。期待はしていなかったが、こう変わり身が早いとは、「情けないヤツ」と思うしかない。

 あのうっとうしい顏を毎日のようにテレビで見せられるのかと思うと……、食欲が落ちるな。

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