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日刊サイゾー トップ > エンタメ > ドラマ  > 『GO HOME』人が死ぬドラマのモラル

『GO HOME』第9話 人が死ぬドラマにとってのモラルと、視聴者に「ラインを引く」という話

小芝風花

 人が死ねば悲しいし、それを悲しんでいる人を見れば思わずもらい泣きをしてしまうものです。たとえそれがドラマであっても、そういうシーンを見れば泣きたくもなるし、ひとしきり泣いたらデトックスというか、セロトニンだかβ-エンドルフィンだかの放出でもってリラックス効果を得ることができる。それを求めてドラマを見る人も決して少なくないはずです。

 つまりは、人が死ぬドラマを見るという行為は、人の死を利用してリラックスを得ようとすることであって、人が死ぬドラマを作るという行為は、人の死を利用してリラックス効果を売ろうとすることであるわけです。そういう後ろめたい行為であるわけです。

 だからこそ、人が死ぬドラマを作る側には最低限のモラルとか、必然性とか、そういうものを求めたくなってしまうんですよね。ただ見る人の涙腺を刺激するためだけに、人を殺してほしくないわけです。それがフィクションの中の作り物の人物であったとしても、簡単に人を殺してほしくないと思っているんです。

『GO HOME~警視庁身元不明人相談室~』(日本テレビ系)というドラマは、簡単に人が死ぬドラマではありません。むしろ、簡単に死んでしまった人を登場させて「この人、簡単に死んでないよ」ということをミステリーとして解き明かしていくドラマです。人にはそれぞれ思いがあって、志半ばで死んでしまったとしても、身元不明相談室のサクラとマコトが必死になってその死んだ人の思いを掬いあげて、遺体とともに遺族の元に届ける。少しでも遺された人たちの心が平穏であるように。そういう願いを込めて作られているドラマだと思います。

 なのに、なんでこうも、ずっと不快なんだろう。サクラを演じる小芝風花が、不遜で傲慢な人間にしか見えないんだろう。回を重ねるごとに、このドラマのことが大っ嫌いになっていくんだろう。

 そんなことを考えながら見た第9話、振り返りましょう。

■同僚が死んだ

 今回は、同僚の堀口さん(戸次重幸)が死にました。歩道橋から足を踏み外しての転落死だったそうです。

 ところが、葬儀の場に堀口さんがずっと連絡を取ってこなかったという母親が現れたことで、堀口さんが堀口さんじゃなかった疑惑が浮上しました。戸籍上は堀口さんなのですが、母親が「別人だ」と証言したのです。18歳で家を出て、それから音信不通だったそうですが、顔つきも身長も全然ちがう。どうやら堀口さんは、戸籍を偽って生きてきたようだ。

 堀口さんは、本当は誰なんだ。こうなれば堀口さんは行旅死亡人ということになるので、身元不明人相談室の出番です。堀口さんがなぜ、どうやって戸籍を偽って警察官になったのか、そこに堀口さんの本当の思いがあるはずだ。その思いを奥さんに届けたい。そういう建付けで、ミステリーが始まりました。

 サクラとマコトが例によっていろいろ嗅ぎまわった結果としては、堀口さんは山形の田舎の農村出身の伊藤という人物でした。小さいころに父親が借金取りを刺し殺してしまい、それから村人たちに後ろ指を指されるようになった伊藤少年。唯一優しくしてくれた交番のお巡りさんに憧れ、少年は警察官になりたいという夢を抱くようになりました。

 しかし、身内に犯罪者がいると警察官にはなれないんだそうで、18歳になった伊藤少年は警視庁の佐川という人間に接触し、戸籍を変えることを提案されました。少年はそれを受け入れ、戸籍を変えて警察官になりました。しかしその佐川の不正を告発するために、堀口さんは堀口さんであることを捨て、すべての真実を明かした上で自らの罪を受け入れることを決意します。その矢先、佐川とともに悪事を働いていた代議士・高山と鉢合わせてしまい、突き飛ばされて頭を打って、フラフラと階段から転落したのでした。

 というお話。なぜ、どうやって戸籍を偽って警察官になったのか。「なぜ」はまあわかりましたが、「どうやって」はクソやばいよねこれ。マジかよ。

■ミステリーとして死ぬほど手抜きしてる

 山形県の田舎の少年が、警視庁の佐川という人間とどうやって接触したのでしょう。警視庁って、要するに東京都の都警です。なぜ佐川が接触に応じたのか、当時の佐川はどういう立場だったのか、そこは一切語られません。

 27年前の話だというので、佐川も30歳前後でしょう。30前後のイチ警察官が、田舎から出てきた見も知らない少年に「戸籍を変えて警察官になれ」なんて提案を、なぜしたのでしょう。弱みを握って手駒にするため? まだ警察学校にも入っていない、警察官になれるかどうかもわからない少年に、なぜそんな手の込んだことを提案したのか。そこも一切語られません。

 本物の堀口の戸籍は誰が用意したのでしょう。本物の堀口はどこにいるのでしょう。生きているのか、死んでいるのか、どうやって成り代わったのか、そこにどういう金の動きがあったのか、戸籍偽装というトリックを仕掛けておいて、まったく何も語りません。

 めちゃくちゃ手抜きです。今回だけじゃないんです。このドラマ、謎解きの部分がめちゃくちゃ乱暴で適当な手抜き作品なんです。

 その代わり、「泣かすぞ」のシーンになるともう熱量がすごい。ガッとアップで寄ってハラハラと俳優に涙を流させて、エモーショナルにヨルシカが鳴って、涙を誘ってくる。

 人が死ねば悲しいし、それを悲しんでいる人を見れば思わずもらい泣きをしてしまうものです。

 その人間の生理を刺激しておけば、一定数の人は泣くし、泣けば満足する。

 ドラマを味わおうとか、ミステリーを楽しもうとか、そういう層をハナから相手にしていない。第1話から、ずーっとそうなの。ずーっと見る人をナメ腐ってんの。

 最初から相手にする層のラインを切って、そのラインの外にいる人を徹底的に無視している。ラインの中だけに向けて、情緒と生理に訴えかけてシンプルに説得できる相手だけを絞り込んでいく。

 これ新興宗教の信者集めと同じやり方なんだよ。サクラこそ教祖なんだよ。人の死を利用するところなんて、ホントによく似てるよ。

 というわけで、どうにもこのドラマが大っ嫌いな理由がわかったところで次回は最終回。がんばって見るよ!

(文=どらまっ子AKIちゃん)

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最終更新:2024/09/22 16:00
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