【夏ドラマ】『新宿野戦病院』第10話 急に「社会派」に舵を切った結果『ふてほど』の再来に
#新宿野戦病院
パパ活女子とホストと不良外国人とホームレスが溢れかえる現代の歌舞伎町を舞台に、無免許医であるヨーコさん(小池栄子)と「聖まごころ病院」の面々を生き生きと描いてきたドラマ『新宿野戦病院』(フジテレビ系)。
前回から急に未知のウイルスがパンデミックするという「社会派」な作品に舵を切ってきましたが、どんな感じで締めくくるのでしょう。最終回前の第10話。振り返ります。
■歌舞伎町ウイルスて
今回、猛威を振るうことになったウイルスの名前は「ルミナ」。ラテン語で「光」を意味する言葉で「光のように速く感染していく」ことからその名前が付いたんだそうです。
日本人の感染者第1号がアメリカ帰りの歌舞伎町のホストだったことから、「歌舞伎町ウイルス」なんて呼ばれて、世界でもそう報道されている。このあたりから、あれ? けっこう雑だぞと感じ始めたんですよね。新型コロナは確かに「武漢ウイルス」と呼ばれていたりもしたけれど、それは中国の湖北省・武漢が発生の起源である疑いがあったからで、日本人第1号が歌舞伎町のホストだからって世界がこのウイルスを「歌舞伎町ウイルス」なんて呼ぶわけない。海外の人たちにとって「日本人第1号」という情報はなんの意味もないもんね。
その後、ドラマが何を語ったかと言えば、日本人は性善説に基づいた“お願いベース”の緊急事態宣言に従っていてコロナ禍から何も学んでいないとか、日本人は表情が乏しいからマスクを外すべきとか、ちょっとそれって愚痴レベルじゃないですかと言いたくなるような上っ面ばかり。そういう同調圧力に弊害があったと言いたいのなら、その具体例をこれまで描いてきた個人たちに背負わせてエピソードを創作すればいいのに、さらっとセリフで触るだけですし、レイシストによるNPOへの暴力行為も当時のニュース映像の焼き直しに過ぎない。
さらに、主人公のひとりである享(仲野太賀)の父親・啓三(生瀬勝久)が重症化するという話なんですが、そもそも「ルミナ」は発症者の致死率が70%で5日で死ぬ、ECMOが使えればそれが30%まで低下するという設定でした。で、「まごころ」はルミナ患者の受け入れをすることになって、対応にあたっていた享が感染し、それが父親にうつったという順番だったはずです。なので享に感染させた患者はもう死んでるはずなんだけど、「死んだ」とも「治った」とも「ECMOが見つかったので転院した」とも語られない。
啓三と顔なじみのホームレスが感染して入院してきて、弱ってる金持ちの啓三に「平等だな」って言うシーンがあるけど、めちゃくちゃ最高のタイミングで他院のECMOが空くという偶然が発生して、この「平等だな」もチャラになってしまいました。
扱えてないなぁって印象を与えてると思うんですよね。『新宿野戦病院』は、ウイルスのパンデミックを扱えてない感じがすごくある。社会派やるならちゃんとやろうよって、『不適切にもほどがある!』(TBS系)のときに毎回感じていたことが、今回もぶり返してしまったという印象です。
■舞ちゃんをどうしたいのか
NPOの代表で売れっ子SM嬢の舞ちゃん(橋本愛)というキャラクターは、このドラマでは“女神”のポジションでした。
舞ちゃんが序盤で語っていたことがあるんですよね。
「私にとって社会は平等じゃないから、むなしくないんです」
その舞ちゃんが、パパ活女子とキモオヤジが消えた大久保公園を見て激昂するシーンがありました。ウイルスが平等に世間を襲ったとき、あれだけがんばって排除しようとしていた「歌舞伎町の負」が消え失せた。それが、むなしいというんです。私たちのやってきたことはなんだったのか、と。
中盤にも、トー横キッズの女の子を不用意に「そういう子」「かわいそうな子」と呼んでキッズ本人から厳しく糾弾されたシーンがありました。
この2つのシーンに共通するのは、ドラマが舞ちゃんというキャラクターに向ける極めて批判的な視点です。要するに「全部おまえの自己満足だろ」と言っている。「そういう子」じゃない「舞ちゃん的な子」を「自己実現オバケ」として指弾している。
なんでだろう、なんでそんなに「舞ちゃん的な子」に攻撃的なんだろう。「コロナ禍の総括」という意味ではちょっと期待が外れそうですし、もはや『新宿野戦病院』という物語に残された興味はそこだけになっちゃった感じ。これ、答えあるのかな。なさそうな気もするな。
(文=どらまっ子AKIちゃん)
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