宮崎駿の最高傑作『天空の城ラピュタ』放映 スタジオジブリの衰退はいつから始まった?
#天空の城ラピュタ
「バルス」、それは滅びの呪文
今でこそ評価の高い『天空の城ラピュタ』ですが、公開当時の興収は11.6億円と低迷しました。続く『となりのトトロ』(88年)も、高畑監督の『火垂るの墓』(88年)と同時上映ながら11.7億円どまりでした。宮崎駿と高畑勲という日本のアニメ界の至宝とも言える両巨匠の劇場アニメをつくるためにスタジオジブリは設立されたので、この段階で店じまいしてもおかしくありませんでした。
しかし、宮崎監督がプロデューサーも兼ねた『魔女の宅急便』(89年)に、ジブリ設立の出資会社である徳間書店の編集者だった鈴木敏夫氏がプロデューサー補として参加。以降のジブリ作品は、鈴木氏がプロデューサーとして辣腕をふるうようになります。
有名児童小説を原作にした『魔女の宅急便』から、日本テレビが全面的にバックアップし、さまざまなタイアップ企画が組まれていきました。その一方、ジブリの次代を担うことを期待され、『魔女の宅急便』で監督デビューを果たす予定だった片渕須直氏は、演出補に降格。知名度のある宮崎監督が続投することになります。スポンサー企業の要望を断ることができなかったのです。
その結果、『魔女の宅急便』はジブリ初のヒット作(興収43億円)となり、このスタイルを発展させた形で、『もののけ姫』(97年)は201.8億円、『千と千尋の神隠し』(2001年)は316億円という歴史的メガヒットを記録します。
興収的には大成功を収めた『もののけ姫』『千と千尋の神隠し』ですが、シネコンのスクリーンをジブリ作品だけで占拠してしまったことから、「映画界から多様性を奪っている」という批判も浴びることになります。声優には主役から脇役までずらりと人気俳優をキャスティングするようにもなりました。宮崎監督がいわゆる「アニメ声」の声優を嫌っていることもありますが、人気俳優の起用は宣伝効果も狙っていることは間違いありません。
人気ブランド化した組織としての宿命でしょうか。単純に子どもたちが楽しむ冒険ファンタジーとして『天空の城ラピュタ』や『となりのトトロ』を制作していた頃のスタジオジブリとは異なり、大企業たちを相手にしたパワーバランスの中でスタジオジブリは走るようになっていきます。巨大スタジオを設立するなど栄華を極めたスタジオジブリですが、気づいたときには後継者は誰もおらず、日本テレビホールディングスの子会社として存続することになったのです。
宮崎監督自身が「飛行石」となり、かつてのスタジオジブリはまさに天空に浮かぶラピュタのような凄まじいパワーと影響力を放っていました。しかし、昨年公開された宮崎監督の自伝的アニメ『君たちはどう生きるか』(23年)を観て、スタジオジブリは一時代を終えたことを痛感したファンも多かったはずです。
シータとパズーが口をそろえて叫ぶ「バルス!」は、滅びの呪文です。今夜の『天空の城ラピュタ』で唱える「バルス!」には、これまでとは違う苦味とせつなさが感じられるのではないでしょうか。
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