『光る君へ』明子の子より倫子の子…藤原道長(柄本佑)が重用した子どもたちと“本当の夫婦仲”
#光る君へ
道長の家庭生活は果たして幸せだったのか?
ここで道長と倫子の子どもたちを生年順に列記していきましょう。
彰子・永延2年(988年)
頼通・正暦3年(992年)
妍子・正暦5年(994年)
教通・長徳2年(996年)
威子・長保元年(999年)
嬉子・寛弘4年(1007年)
それに対し、明子と道長の子どもたちは
頼宗・正暦4年(993年)
顕信・正暦5年(994年)
能信・長徳元年(995年)
寛子・長保元年(999年)
尊子・長保5年(1003年)
長家・寛弘2年(1005年)
という順番で生まれました。道長の明子への愛情は、子どもが生まれた日付から、正暦4年(993年)くらいからの数年間がもっとも強かったといえるかもしれません。ただ、次回の放送で安倍晴明が亡くなるらしく、それは寛弘2年(1005年)の話です。これは道長が明子との間に、最後の6人目の子を授かった年ですね。
倫子は、道長の姉・詮子から(明子以上に)推されていました。倫子と道長の子どもたちが出世しやすくなることを狙いとして、倫子が朝廷で仕事をしていない「私人」であったにもかかわらず、高い官位を授かったほどです。また、前回のドラマのセリフにもあったように、道長は自分の出世は、倫子とその実家という後ろ盾があったからだと考えていましたよね。史実でも倫子に対し、そういう気持ちを道長は強く抱いていたようです。
しかし、道長と倫子の間にしばらく子どもができていなかった中、長保5年(1003年)に明子だけが尊子を出産するという「事件」が起きました。ここで倫子のメンツを保つためにも、倫子と明子が同数の子を授かったという事実を作るべく、道長は子づくりに励まざるを得なくなったのではないか……と思われます。
確かに倫子は40代を迎えてもなお、20代くらいに見えたというほどの「美魔女」でした。健康状態もきわめてよかったにせよ、当時としては「長寿」を祝われるほどの年齢に達していたにもかかわらず、道長との子づくりを意欲的に続け、結果的には寛弘4年(1007年)に嬉子を、平安時代の平均寿命をはるかに上回る44歳という奇跡的な高齢出産で授かったのです。これについては、倫子による明子へのライバル心が見え隠れするような気がします。
倫子と明子の妊娠・出産の歴史をリスト化して分析すると、二人がそれぞれ子どもを授かった長保元年(999年)から、少なくとも3~4年ほどの間は道長との間が「夜離(が)れ」――セックスレスか、それに近い状態だったのでは、と推察されるのですね。
これを「不仲」と考えることはできるかもしれませんが、ドラマの時間軸が、安倍晴明が亡くなる寛弘2年(1005年)の「直前」だと考えると、明子との間に尊子が長保5年(1003年)に、また寛弘2年に長家が生まれているので、それに対してライバル心を再燃させた倫子と道長の関係は、冷却するどころか、逆に熱くなっていても仕方はない気もします。
つまり道長と2人の「室」の間に授かった子どもたちの記録を分析すれば、『光る君へ』における彼らの不仲というのは、道長と「ヒロイン」まひろをくっつけるための演出にすぎないという結論になるのです。
ちなみに以前のドラマの中で、詮子の40歳の祝賀会で、道長の倫子と明子の間に生まれた男の子たち2人が舞を披露する場面がありました。史実でも明子が産んだ当時9歳の頼宗の舞が優れていたので、一条天皇から(本番前のリハーサル時に)ご褒美として「御衣」が授けられたそうです。このときは道長も素直に喜んだようですが(『権記』)、倫子から影で圧をかけられたのか、本番当日、客たちの間で倫子が産んだ頼通(三浦綺羅さん→渡邊圭祐さん)より、明子が産んだ頼宗に高い評価が集まっている中、道長は不愉快そうな様子で席を立ってしまったそうです。藤原実資(秋山竜次さん)はこれを受け、日記『小右記』に、道長は次妻・明子の産んだ子には「其愛猶浅」――「愛情が薄いと見える」と書いていますね。
道長が、明子より倫子とその子どもたちを明確に贔屓していたことがうかがえ、実際にその後も、明子の子どもたちより、倫子の子どもたちのほうが概して出世が早く、最終的に見ても高い地位に就きました。しかしそのことで、明子の産んだ男の子たちが異母兄弟たちに反発心を抱き、そうした姿勢は子孫たちにも引き継がれていってしまったのです。「この世をば」の歌の中で、歴代の天皇たちに次々と愛娘たちを入内させ、この世で思い通りにならないものはないと歌った道長ですが、家庭生活は必ずしも思い通りにはならなかったようですね。
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