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日刊サイゾー トップ > エンタメ > ドラマ  > 『新宿野戦病院』誤用イメージは払拭?

『新宿野戦病院』第7話 「ジェンダーアイデンティティ」を誤用したイメージは払拭されたか

小池栄子

 au損保の調査によると、2023年度の自転車保険の加入率は65.6%。東京都、神奈川県など自転車保険への加入を義務化している地域もありますが、義務化地域でもその加入率は67.7%にとどまるそうです。

 例えば「自転車 事故 賠償金」というワードで検索してみると兵庫県のホームページがヒットしまして、そこには「自転車事故による高額賠償事例」として、いくつもの事例が掲載されています。

 その一覧を見ると、被害者側が死亡したり後遺障害が残った場合、数千万円の賠償が認められていることがわかります。ここでは兵庫県だけですが、全国でみれば1億円を超える賠償が認められたケースもあるということです。

 また民事での賠償請求とは別で、自転車事故によって相手を死亡または負傷させた場合、過失致死傷罪という刑事事件になることもあります。しかし、過失致死傷罪は親告罪のため、被害者の告訴がなければ起訴されることはありません。

 以上が、『新宿野戦病院』(フジテレビ系)第7話を見る上での基礎知識。今回は、看護師・堀井さん(塚地武雅)が「男かな? 女かな?」のお話でした。振り返りましょう。

■おっさんだった、しかもすごく嫌なおっさん

「聖まごころ病院」で女性として働いている看護師の堀井さん。経理の白木さん(高畑淳子)と一緒にお風呂に入ったこともあるし、若い看護師の千佳ちゃん(石川萌香)とパジャマパーティをしたこともあるそうです。

 そんな堀井さんが、おっさんとして母親と花火大会を訪れているところを、同僚医師に目撃されてしまいます。堀井さんは母親の差し出すタッパーに入った食べ物を「食わねえよ、誰が食うんだよ」などとすごくじゃけんに扱う、とっても嫌なおっさんでした。

 堀井さんは仕事が終わると女性の私服に着替えて退勤し、近くの喫茶店でおっさん服に着替えてから母親の家に帰っていました。そして家に帰ると、「ナスの浅漬けを作った」という母親に「いらねえよ、誰が食うんだよ」と悪態をつき、母親がネギを切り始めると「その切り方が嫌いなんだよ」と、もはや理不尽としか言いようのない暴言を吐いたりします。一方で、「膝が悪いんだから自転車に乗るなよ」などと思いやりも見せたりしていますが、暴言は本心じゃないにしても、その言い方はないよ、よくないよ、DVだよと言いたくなるような描かれ方をしています。

 母親のほうは、どうやら認知症が進んでいる様子。亡くなった夫の好物を詰めた弁当をどこかに届けようと自転車を駆り出し、その自転車で児童をはねてしまいます。よくあるおばあちゃんと子どもの衝突にも見えますが、児童のほうは骨折した患部が神経を圧迫して麻痺の可能性があり、母親も重傷を負っています。ケガだけでなく事態が極めて深刻なのは、冒頭に記した通り。堀井さんにとっても一大事です。

 児童と母親は「まごころ」に緊急搬送され、ヨウコさん(小池栄子)らの奮闘により、なんとか事なきを得ました。ここで、堀井さんがわざわざおっさんの服装で実家に帰り、必要以上に悪態をついていた理由が明らかになります。

 母親は、亭主関白で暴言ばかり吐く父親が好きだった。認知症が進み、息子である堀井さんと亡夫を混同するようになった母親に対し、堀井さんは父親を演じることにしたのでした。父の口癖をまねて母親を罵っていたのは、母親を喜ばせるためだったのでした。

 母親の幸せを願うひとり息子が、無理をして父親を演じていた。そういう、なんというか、いいお話でした。

■ジェンダーアイデンティティの人

 このドラマの放送前、公式ホームページが公開された際に、堀井さんの人物紹介として「ジェンダーアイデンティティで、その振る舞いや言動にチャーミングさを兼ね備えており」云々と書かれていたことで、界隈から大きな批判を浴びました。

 20年前なら「オカマで」と書いて通じるところ、時代を意識して現代風の文言に言い換えようとして、失敗している。本来なら「ジェンダーアイデンティティは女性で」と書かなければならないところです。

 その間違いはそのまま、このドラマのジェンダーにまつわる問題意識の低さを現していました。そういうの、雑に扱う人たちが作ってるんだな、という印象はどうしても否めなかった。

 だから、第1話から堀井さんの性別について「男かな、女かな」とみんなが話し合うシーンがあったことに驚いたんですよね。驚いたというか、あきれたんです。もちろん、公式ホームページの人物紹介を脚本家の宮藤官九郎本人が書いているわけではないでしょうけれども、あんな雑な問題意識で、そこ突っ込んでいくつもりなんだ、と。

 結果、堀井さんのジェンダーについてこのドラマが何を語ったかというと、「男とか女とか以前にヤベーやつ」としておっさんを描き、「実はヤベーんじゃなくて、優しさだったんだ」という「いい話」に落とし込みました。人にはそれぞれ事情があるという個人の問題に帰結し、一面的に性差の問題としてとらえる危険性を訴えてる。メッセージとしてはそんなところでしょう。お話としてはおもしろかったし、私個人としてはドラマというメディアに「おもしろい」以上のものは求めていませんが、少なくとも「ジェンダーアイデンティティ」という言葉を誤用した“雑さ”のイメージを払拭するものではなかったと思います。

 それと、暴言を繰り返した亡夫のDVを「母親は好きだったから」という理由で正当化しちゃうのもモヤモヤする部分ではあるんだよな。ここでは、あの藤田弓子演じる母親が真正の「ドMちゃん」で男の言葉攻めにキュンキュンくるタイプだったのか、あるいは結婚後にその環境に順応するために暴言を受容しているうちに、いつしか感覚が麻痺してしまったDV被害者なのか、判断しかねるんですよね。別の話で家庭内DVについても語っていましたから、ここももうちょい丁寧にスキを潰すべきところじゃなかったかなと思うんです。母親と亡夫の出会いのエピソードとかで補完できるところなので。

(文=どらまっ子AKIちゃん)

どらまっ子AKIちゃん

どらまっ子です。

最終更新:2024/08/15 16:00
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