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歴史エッセイスト・堀江宏樹の「大河ドラマ」勝手に放送講義30

『光る君へ』天才歌人かつ“都合のいい女”和泉式部(泉里香)と最上流階級・親王をめぐるスキャンダル

──歴史エッセイスト・堀江宏樹が国民的番組・NHK「大河ドラマ」(など)に登場した人や事件をテーマに、ドラマと史実の交差点を探るべく自由勝手に考察していく! 前回はコチラ

『光る君へ』天才歌人かつ都合のいい女和泉式部(泉里香)と最上流階級・親王をめぐるスキャンダルの画像1
安倍晴明を演じるユースケ・サンタマリア(写真/Getty Imagesより)

『光る君へ』第30回「つながる言の葉」は、まひろ(吉高由里子さん)こと紫式部による『源氏物語』執筆開始の物語かと思いきや、都を襲った干ばつの惨状と安倍晴明の生命を削って行われた雨乞いのインパクトのほうが強い回だったかもしれません。

 すでに陰陽寮の職務を引退していた安倍晴明(ユースケ・サンタマリアさん)ですが、「私だけがこの身を捧げるのはいやでございます。なにかを差し出してくださらなければ」との問いに対する「私の命、10年やろう」という道長(柄本佑さん)の言葉で奮起し、鬼気迫る様子で呪文を唱える姿は確かに印象的でした。その後はぐったりと老け込んでしまっていたので、晴明こそ10年分の寿命が代償となってしまったのでしょうか……。

 その後、道長は晴明の見舞いを名目に彼の屋敷を訪問し、人生相談をしてもらっていましたね。最近、自分への当たりが強い北の方(正室)・倫子(黒木華さん)や、一向に帝(塩野瑛久さん)と仲良くなる気配のない娘・彰子(見上愛さん)など家族の問題に疲弊した道長に、晴明から与えられた答えは「今、心の中に浮かんでいる人に会いに行きなさい」でした。

 こうして真っ昼間から、まひろの屋敷を訪れる道長でしたが、父・為時(岸谷五朗さん)と娘・賢子(福元愛悠さん)はちょうど外出中という、あまりのタイミングの良さに悶絶してしまいました。さすがは「恋愛至上主義大河」……。『光る君へ』は基本的に女性が顔を隠そうともしないし、御簾が下ろされているのも帝とその周辺だけという世界線の物語なので、今更ともいえるのですが、明るい時間帯に男性からの訪問を受けることは、そうとう懇(ねんご)ろな関係の証しでした。こういうところにツッコミを入れるのもヤボなのですが、ドラマのまひろ同様、道長の大胆な行動に筆者も驚愕してしまったのです。

 さて、大胆な行動といえば、この回から、あかね(泉里香さん)こと和泉式部が登場しました。寛弘元年(1004年)の盛夏のお話ということで、登場シーンから「(暑いから)服を脱いでしまいたい」とか「みんなで脱げば恥ずかしくありませんわよ!」と持ちかけるとか、「親王さま」との親しげであることを隠そうともしない肉食っぷりにびっくりした読者も多いのではないかと思います。

 史実の紫式部による和泉式部評は、『紫式部日記』によると「和泉はけしからぬかた」――和泉式部は「恋愛関係がふしだらで、けしからん女」なのですが、「歌は、いとをかしき」――歌才が素晴らしいなどと言っています。つまり才能のある女性には辛口の紫式部ですら、和泉式部が無視できないほどに輝かしい才能の持ち主であると真正面から認めてしまっていました。残念ながら両者の間を行き交っていたであろう手紙の現物は残されていないのですが、二人には私的なやりとりもあったと考えられています。

 ドラマでは、四条宮邸――藤原公任(町田啓太さん)の邸宅にて、令嬢がたを前に歌の講師をしているまひろが、歌の歴史的背景を丁寧に解説していたのに対し、和泉式部ことあかねは「そんな難しいことを考えて歌を詠んでいらっしゃるの?」などと平然と言ってのけました。

 実際、和泉式部の歌の詠みぶりは、まるで呼吸するかのように言葉を発している様子が1000年後の我々にも伝わってくるようで、見事というしかありません。史実の紫式部も和泉式部の発想力の素晴らしさに大いに影響されていたと筆者には思われます。

 たとえば、和泉式部の有名な歌のひとつに、
「物思へば 沢の蛍も 我が身より あくがれ出(い)づる たま(=魂)かとぞ見る」という作があります。

「あなたを思いつづけていると、川面を飛び交うホタルが、あなたを慕って私の身体から抜け出てしまった魂のように思われてくるのよ」
と意訳できるのですが、古文の知識が多少でもあれば、訳や解説がなくても、なんとなく内容がわかってしまうのが、和泉式部の歌の特徴といえるかもしれません。

 また、この歌には和泉式部独特の斬新な発想が反映されています。当時、魂が身体から抜け出るのは人が死ぬ時だけで、生霊(いきりょう)という発想はまだハッキリとは存在していなかったといわれています。生霊といえば、紫式部が『源氏物語』の中で、光源氏と恋仲になる、自分以外の女性を呪い殺そうと生霊が(はからずも)暗躍してしまう六条御息所というキャラクターが有名なのですが、その発想も、紫式部と和泉式部にやり取りがあったから、あるいは少なくとも和泉式部の例の歌を紫式部が知っていて、その世界観にインスパイアされたからと考えられるわけなのですね。

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