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『海のはじまり』第6話 受動的な物語に突然差し込まれた“神の手”

目黒蓮

 毎回、ずいぶんと重いものを突き付けてくるドラマ『海のはじまり』(フジテレビ系)も第6話。もうすっかり、どっぷりと彼らの世界の中に引きずり込まれて楽しんでおります。

 急にいろんなことに巻き込まれて、膨大な「考えなきゃいけないこと」に迫られて、もがく人たち。こういう人たちは、俯瞰で見るに限りますね。感情移入しちゃうと大変です。

 振り返りましょう。

■この強烈なコントラスト

 夏休みを使って海ちゃん(泉谷星奈)と祖父母が暮らす家にホームステイをすることにした夏くん(目黒蓮)。さしずめ父親体験学習といったところです。

 和やかに4人で食卓を囲んでいると、海ちゃんがよそ見をして卵焼きを落としてしまいました。すると、おばあちゃん(大竹しのぶ)はそれをさっと拾い上げて「自分で(テーブルを)拭きなさい」と布巾を手渡し、おじいちゃん(利重剛)は不器用にテーブルを拭く海ちゃんの手元から、さっとコップを動かします。きっと今まで、何度も海ちゃんはテーブルを拭こうとしてコップを倒し、水をこぼしていたのでしょう。老夫婦の淀みない動作からは、子どもと暮らすこと、親をやることの神髄が感じられます。

 人と一緒に暮らすことは、人同士が習慣を共有することです。当然、海ちゃんと出会ったばかりの夏くんは手も足も出ない。おじいちゃんに染み付いたその習慣から、夏くんが父親をやるためにはまだまだ時間が必要であるということが描かれるわけです。コップを動かす動作ひとつで、ここまで語ってしまう。なんでもないシーンですが、やっぱすごいドラマだなと驚かされてしまいます。

 とりあえず少しでも海ちゃんと一緒にいることにした夏くん。海ちゃんを連れ出し、海ちゃんとママの水季(古川琴音)が暮らしたアパートを訪ねることにしました。その道すがら、靴ヒモを結び直す海ちゃんの背中に、夏くんは水季を思い出しています。アパートに着くと、ベランダから見える景色の中に水季の姿を思い浮かべて、思わずシャッターを切ってしまったり。でも、当たり前ですが、思い浮かぶのは夏くんが知っている水季ばかり。夏くんが知らない間に海ちゃんが産まれて、海ちゃんはアパートの管理人さんとも関係性を築いたりしている。

 その“関係性”を大いに突き付けてきたのが、水季の図書館の同僚だった津野くん(池松壮亮)でした。定休日だった図書館の前で夏くんが立ち尽くしていると、海ちゃんが津野くんを電話で呼び出して開けさせます。

 貸し切りの図書館で大声ではしゃぎまわる海ちゃんと津野くん。さらに津野くんは「一度やってみたかったんです」と言って、夏くんと缶ビールで乾杯します。休日の昼間なのに。

 そんな津野くんが、水季が死んだことについて、夏くんにこんなことを言うんですね。

「僕のほうが悲しい自信があります」

 そしてその物証であるかのように、海ちゃんが津野くんの家に忘れていったヘアゴムを取り出すのです。海ちゃんと水季とは、津野くんが部屋に呼ぶような関係だったことが示されます。

 さらにそのヘアゴムを手に、海ちゃんを呼び寄せて髪を結わい直すことに。夏くんがせっせと作った三つ編みを「ほどいていい?」と言って、そのヘアゴムでポニーテールにすると、「いいね、ふわふわだ」。三つ編みをほどいたので、ポニーテールのテールがふわふわなんですね。

 なんと豊かなシーンなんだと、また感心してしまうのです。水季を、ぼんやりとしか思い出せないけれど、それでも美しかったと感じている夏くん。くっきりと思い出せるからこそ、美しいばかりじゃなかったことも知っている津野くん。この強烈なコントラスト。

 鮮やかです。

■神の手が、そっと差し込まれる

 今回は、水季が一度は中絶を決意しながら、海ちゃんを出産した経緯が明かされました。

 7年前、堕ろすために産科を訪れた水季は、そこで妊婦さんや新米ママたちのメッセージノートを読み始めました。そこには、あるひとりの中絶を経験した女性の書き込みがありました。

「(堕ろすか、産むか)どちらを選択しても、それはあなたの幸せのためです。あなたの幸せを願います」

 普段は人に影響されないことを自他ともに認める水季でしたが、この女性の書き込みに影響されて、産むことを決意していたのでした。

 その書き込みをしたのが、7年前に子どもを「殺した」と言った夏くんの彼女・弥生さん(有村架純)だった。弥生さんの影響で、水季は海ちゃんを産んでいた。弥生さんは今、その海ちゃんのママになろうとしている。

 ここまで『海のはじまり』というドラマは、とことん受動的な物語として進んできました。さまざまな結果を受けて、その結果に対して右往左往する人たちを描いてきた。だからこそ彼らにとって「海ちゃん」は不可避な災難かつキラキラと輝く宝物として存在してきたわけですが、ここで初めて弥生さんの能動が物語を動かしていたことを示してきたわけです。

 いわゆる、脚本家による“神の手”が差し込まれた。

 厳しい采配だと思います。弥生さんも、これで災難に巻き込まれた被害者ではいられなくなった。弥生さんがそれを知ることはないでしょうが、私たち視聴者は知ってますからね。「おまえのせいだった」って知ってるんだ。

 登場人物の秘密を“神の手”によって視聴者側にだけ握らせるというのはミステリーの常套手段ですが、こういうドラマでこんな風に使ってくるなんて、やっぱりものすごくテクニカルなことをやってる作品だと思いました。いやー、おもしろい。もう夢中ですよ。

(文=どらまっ子AKIちゃん)

どらまっ子AKIちゃん

どらまっ子です。

最終更新:2024/08/06 16:00
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