大谷翔平も泣いた「疑惑の判定」事件簿…“泣き寝入り”だが抗議で再試合が行われた例も
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パリ五輪は序盤から日本勢が絶好調。連日のように金メダリストが誕生しているが、日本人選手が誤審や不可解な判定に泣くケースが相次ぎ、お祝いムード一色には程遠い。
柔道男子60kg級では永山竜樹が「待て」のコールの後も締め続けられて意識を失い、一本負けに。男子バスケットボールの日本対フランス戦では、河村勇輝が相手の3ポイントシュートの際に微妙なファールを取られ、4点のリードが一気に同点に。柔道では男子73kg級の橋本壮市も不可解な判定で反則負けとなり、ネットには疑問の声が次々とあがった。
「柔道に関しては、日本の不利はある程度予想されたことでした。フランスは日本よりも柔道が盛んで、代表選手は国の英雄。最大のライバルとなる日本勢は“憎き敵”で、会場は完全にアウェーです。柔道は日本発祥の競技ですが、判定に左右されることが多いのも事実。1988年のソウル五輪で日本柔道は金メダルを1つしか取れませんでしたが、判定が酷く偏っていて、選手団の中では『これでは判定では絶対勝てない』と話していたそうです。
一方、バスケットボールの河村のファールは確かに微妙なプレーでしたが、バスケは得点がたくさん入る競技なので、柔道とは状況が違います。問題のシーンは限りなく誤審ですが、そこで勝敗が決したわけではない。河村は試合後、『自分に責任がある』と述べており、この経験は河村にとっても日本バスケ界にとっても決してムダにはならないでしょう」(ベテランスポーツジャーナリスト)
当事者の選手には堪らないが、スポーツには誤審や疑惑の判定が付き物。日本中が怒りの声を上げる騒動は、これまで何度もあった。
「日本の五輪史上、最大級に騒がれたのは2000年のシドニー五輪男子柔道の篠原信一の“世紀の大誤審”でしょう。100kg超級に出場した篠原は、決勝で本来なら一本勝ちとなる内股すかしを決めましたが、主審はこれを見逃したどころか、相手にポイントを与える始末。猛抗議も実らず篠原は銀メダルに終わり、この試合は後のビデオ判定導入のきっかけになりました。
2006年の第1回WBCの誤審も国をあげた大騒ぎになりました。日本vsアメリカ戦の、日本が犠牲フライでリードを奪ったシーンで、アメリカチームがサードランナーの離塁が早かったと抗議すると、判定が覆ってアウトに。温厚な王貞治監督が『こんなことがあってはならない』と怒りを露わにし、明らかにアメリカ寄りの判定をしたボブ・デービッドソン審判は時の人となりました。
大谷翔平も微妙な判定に泣いたことがあります。大谷は高校3年の夏、岩手県大会決勝で盛岡大付属に5対3で敗れましたが、3回に打たれたポール際の3ランは映像を見る限りファール。球場は騒然としましたが判定は覆らず、甲子園出場を逃しました。
救いがあるとすれば、アスリートがこれらを冷静に受け止めていることでしょうか。篠原は一言も恨み言を言わず、『自分が弱いから負けた』と述べ、WBCの日本チームは妨害にも負けずに見事世界一に。大谷も、『際どい当たりだったけど、そこに投げてしまった自分のせい』とコメントし、器の大きさを見せました」(週刊誌スポーツ担当記者)
こういった事件の反省から、さまざまな競技でビデオ判定やVARが導入され、緩やかながら誤審や疑惑の判定は減る傾向にある。また、審判団が誤審を認め、再試合が行われた例も無いわけではない。
「サッカーJ2で2022年、審判団が誤審を認め、再試合が認められたことがあります。これは競技規則の適用ミスが試合結果を大きく左右したと判断されたものでした。また、2005年にはサッカーW杯のアジア予選で、日本人審判の誤審により再試合が行われたこともあります。ただ、これらはあくまでも例外中の例外で、基本的には泣き寝入りです。
アスリートに話を聞くと、『誤審で負けることもあるが、逆に勝つこともあるので、トータルで見ればチャラ』というのが、トップ選手たちの基本的な捉え方のようです。パリ五輪でも、柔道女子で日本人選手が不可解判定で勝利を上げましたが、これはほとんど話題になっていません。本来ならこれについても論じるのが筋でしょうが、そうならないあたりに誤審議論の限界があるようにも思います」(前出・スポーツジャーナリスト)
AI判定が導入されれば、すべて解決となるか。
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