『光る君へ』まひろ・吉高由里子のシングルマザーフラグと定子・高畑充希の肉食ぶり
#光る君へ
『光る君へ』後半戦へ、極まる“恋愛至上主義”
天皇家から、大貴族、中級貴族に至るまでさまざまな夫婦関係が取り上げられていたと思います。歴史的大事件といえば、タイトルにもなった中宮だった定子(高畑充希さん)が皇后になり、道長の娘の彰子(見上愛さん)が中宮になったというあたりだったのですが、定子は三女・媄子内親王を出産後、あっけなく亡くなってしまい、一帝二后の状態も解消されてしまいました。
しかし史実の定子は、ドラマの定子ほど楚々とした女性ではなかったように思われます。ドラマで清少納言(ファーストサマーウイカさん)が発見した定子の辞世の歌――「よもすがら 契りしことを忘れずは 恋ひん涙の 色ぞゆかしき」も、言葉を補って訳すると、「夜明けまで私と愛し合った思い出をあなた(一条天皇・ドラマでは塩野瑛久さん)が忘れていないのであれば、私がいなくなってから泣いてください。あなたが私を恋い慕って流す涙の色がどんな色なのか知りたい」となります。
辞世の歌は「ラストメッセージ」なのですが、その中でさえも、定子は夫である一条天皇に「夜明けまで愛し合ったよね」と語りかけているので、とても出家した尼だとは思えないナマグサ感を漂わせているのですね。相当な肉食系だったのではないかと思われてなりません。
「涙の色ぞゆかしき」というのも、「涙の色が知りたい」とするのが直訳なのですが、「私を愛していたのであれば、血の色の涙を流してください」くらいの意思は感じられるので、相当にこの世……もっというと一条天皇に未練を残して、私は死んでいくのだと言いきっているようなものです。
史実では定子はこの時、合計3つの歌を遺していました。ドラマの最後の「紀行」で、史実の定子が当時の貴族・皇族の一般的な葬儀として定着していた火葬ではなく、遺言通り土葬の一種になったというように語られていたと記憶していますが、そうなったのも、「煙とも 雲ともならぬ 身なりとも 草葉の露を それと眺めよ」という歌を彼女が詠んでいたからなのです。
定子は「私は死んだ後でも、天皇と同じ地上に魂だけは留まり続けたいから、この身が煙や雲になってしまうような火葬にはしないで」と、歌で遺言しているのですね。
そして「私は草の葉の上の露に生まれ変わるので、それを見たら私を思い出して」とも言い残しています。こちらも「夜明けまで」の歌以上に、天皇への未練を感じさせる内容だったのでした。
定子の遺体は、六波羅蜜寺で葬儀を終えてから、貴族の墓所として有名だった鳥戸野に木造の「霊屋」を建て、そこに安置された後は、朽ち果てるに任せたようです。これは平安時代以前の日本古代の貴人の葬送法を復活させた、当時としては珍しいお葬式だったといえます。
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