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歴史エッセイスト・堀江宏樹の「大河ドラマ」勝手に放送講義28

『光る君へ』まひろ・吉高由里子のシングルマザーフラグと定子・高畑充希の肉食ぶり

──歴史エッセイスト・堀江宏樹が国民的番組・NHK「大河ドラマ」(など)に登場した人や事件をテーマに、ドラマと史実の交差点を探るべく自由勝手に考察していく! 前回はコチラ

『光る君へ』まひろ・吉高由里子のシングルマザーフラグと定子・高畑充希の肉食ぶりの画像1
まひろを演じる吉高由里子

『光る君へ』、次回・第29回「母として」のあらすじを見てみると、「任地に戻った宣孝(佐々木蔵之介さん)だったが…」とあるので、史実に即せばまひろ(吉高由里子さん)には早くもシングルマザーのフラグが立ちました。また、次回は為時(岸谷五朗さん)が越前守の任期を満了して都に戻ってくるようです。「越前国守の再任かなわず」とあらすじにはあるので、失意の帰京という描かれ方になるのでしょうか。

 その一方で、為時がまた「無職」に戻るので、道長(柄本佑さん)は、「帰京した為時に子の指南役を依頼するが、為時は断ってしまう」ともありますね。

 実際、こういうやりとりが道長と為時の間にあったかは不明ですが、史実の為時は、文学好きの朝廷高官の邸宅に呼ばれることがよくありました。道長は漢詩の会をよく主催していましたから、為時を招いてしばしば交流していたようです。

 また、為時は当代きっての文化人として知られた具平(ともひら)親王(村上天皇の第七王子)という皇族の邸宅にも出入りしていました。具平親王は「六条宮」とも呼ばれ、これは京都の六条に親王の邸宅があったことにちなんだ呼び名なのですが、次回からまひろが執筆を始めるらしい『源氏物語』の主人公・光源氏の本邸も「六条院」ということもあり、親王こそが紫式部の創作に大きな影響を実は与えた人物ではないか……ともいわれています。ややマイナー説になりますが、紫式部は具平親王の邸宅に幼女時代から出入りしており、よく言われるように道長ではなく親王が光源氏のモデルだという説もあるくらいですね。

 前回(第28回)は、道長が倫子(黒木華さん)や明子(瀧内公美さん)との間に授かった多くの子どもたちがドラマに登場していましたけれど、道長の子どもたちのうち3人が、具平親王の子どもと結婚しているという事実があるので、『光る君へ』には未登場ですが、史実の親王は平安時代中期の政治、そして文化の両面で無視できない存在だったといえます。

 史実の為時にはそういう大貴族や皇族が主催する文学サロンのゲスト、あるいは講師としての臨時収入だけでなく、平安時代の朝廷の役人には官位に従い、具体的な官職についていなくても、それなりの収入が現代でいう「ベーシックインカム」的に保証されていたので、本当の意味で「無職」になったわけではありません。

 ちなみに為時の次の「昇進」といえるのは、寛弘6年(1009年)に官位が「正五位下」にあがり、さらにその2年後、国司として越後守になることができたことでしょうか。それまで彼に役人として具体的な働きはありませんでした。かつて花山天皇の突然の退位によって蔵人の職を追われてから、長徳2年(996年)に越前守を拝命するまでの約10年間の「空白」があったのとほぼ同じ期間です。まぁ、それでも食いつなぐ以上の生活はできていたようですね。

 しかし、「空白」が多い為時と、死亡するまで国司の職が途切れずに続いている紫式部の夫・宣孝のキャリアを比べてみると、史実の為時は、朝廷上層部から役人としてはあまり優秀ではない、もしくは使える人材だとはみなされていなかったことがわかる気はします。

 それにしてもドラマの道長は本当に、まひろの娘の父親は自分だと何も気づいていないのでしょうか? 前回のドラマでも、道長は次妻の明子の邸宅で倒れて何日も人事不省となり、「心臓が弱っている」――史実の道長も悩まされていた糖尿病の症状でしょうか――と医師からいわれていたほど体調不良だったので、まひろが産んだ娘の父親についてなど、まったく考えていなさそうですね。危篤の夢の中で、彼の名前を呼ぶ明子のことを、まひろと間違えて意識が戻った……とか、明子には絶対伝えてはいけないことをしでかしていて、ちょっと笑ってしまいました。普段から柄本さん演じる道長はかなりのポーカーフェイスですが、傍らで嬉し泣きしている明子を見て、さすがにバツの悪そうな顔をしていましたね。

 前回・「一帝二后」の内容も振り返っておきましょう。

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