KIBA x 那オキ ヴィジュアル系はしっこ対談 「特別なことはないです。バンドマンでいたいですね」
#ヘビーメタル
日本独自の音楽ジャンルでいうヴィジュアル系――。このジャンルは他の音楽ジャンルと比べるとかなり特殊で、実際は音楽的カテゴリーではなく、見た目や世界観を指すジャンルである。
なので一言でヴィジュアル系と言っても、バンドによっては音楽性は様々だ。X JAPANを系譜としたメタル路線のバンドから、LUNA SEAやL’Arc~en~Cielの系譜ようなJ-rock, J-pop路線のバンドなど様々存在する。バンドによってはヴィジュアル系と呼ばれることを肯定するし、否定もする。それもバンドのポリシーや考え方で様々だ。
今回はそんな見方によってはヴィジュアル系にカテゴライズされてはいるけれども、そこに留まり切らない人格ラヂオの那オキ氏を迎え、また同じく見方によってはヴィジュアル系にカテゴライズされるGargoyleからKIBA氏との対談が実現した。
ーー 今回の対談相手に人格ラヂオの那オキさんが決まってから、特に那オキさんの情報を得ないで臨んだとうかがったのですか、もともとのお知り合いではなかったのでしょうか。
KIBA:いやいや、那オキ君のことは前から知っていましたよ。ぼくがファンとの交流の場のようなものとして花見を企画していたのですが、そこに那オキ君も参加してくれたりして。
那オキ:そうですね。4~5回は参加させていただいたんじゃないですか。コロナ前でしたよね。
KIBA:うん。コロナ後は花見をやめちゃったんだけどね。花見とかではもちろん会話はするけど、他の人たちもいるし、ライブハウスで会ってもあまり深い会話をするような場所も時間もないから、那オキ君がどうやって音楽人生を歩んできたとか、そういうのはあまり知らなくて。だから一切の情報がないほうが面白いだろうと思って、余計な知識は入れないで来たんです(笑)
ーー 那オキさんはKIBAさんとの出会ったときの頃を覚えてらっしゃいますか。
那オキ:たぶん最初にKIBAさんとコンタクトを取ったのって、オムニバスの『きわもの達の果実』(※人格ラヂオやドレミ團など、ヴィジュアル系バンドの中でも個性の強いバンドのみが収録されたアルバム)にお誘いいただいたときでしたよね。アルバムのコンセプトとかバンドにぴったりだと思った記憶があります。
KIBA:あのアルバム自体、人格ラヂオが参加してくれることを前提に作られたような、ちょっと特殊なコンセプトのアルバムでしたからね。
那オキ:そうだったんですか(笑)
KIBA:人格ラヂオの前はどんな音楽をやっていたんですか?
那オキ:ぼくもともとメタルバンドやっていたんですよ。ゴリゴリのスラッシュメタルみたいなのが好きで、メタリカやメガデス、スレイヤーとか大好きでした。逆に、ヴィジュアル系のような音楽は全然通ってなくて。強いていうならXですかね。
KIBA:まぁ、Xもビジュアル系なのかってところもありますよね。
那オキ:ぼくもXはヴィジュアル系とは捉えていないんですけどね。主に洋楽を通ってきた感じです。
KIBA:それが人格ラヂオになっていたんですか。
那オキ:メタルは好きなんですけど、激しい曲をプレイし続けるっていうのがあんまり自分にはまらなかったんですよ。聴くのは大好きなんだけど、プレイしてみるとちょっと違うな……って。それに、メタルバンドの時はあまりお客さんがいなかったこともありますね。それで、声をかけてもらったこともあってヴィジュアル系のほうに行ったって感じですね。
そこからボーカルを探そうってことになって、出会ったのが悠希(※人格ラヂオのボーカル)だったんです。悠希もちょうど自分のバンドを探そうとしていたタイミングだったんです。
ーー 那オキさんがメタルをプレイしているイメージがあまりないのですが、メタルをやっていたときからバンドのコンセプトを担ったりされていたのですか。
那オキ:いえ、全然。年上の方とやっていたので、曲作りとかも全部任せていました。みんなプレイには厳しかったですね。ライブとか出ても「那オキ、華がないよぉ」とかダメだしされたりしてました(苦笑) メタルにも華は必要なのか、とか思っていましたけど、ステージングって意味では大事だったんでしょうね。
ーー メタルをプレイするのと、人格ラヂオをプレイするのではベースを弾くという点において何か違いを意識されたりはしましたか。
那オキ:特に意識を変えるようなことはなかったですね。メタルの時のままで人格ラヂオもやったって感じです。使っていたベースもメタルの時から使っていたスペクター(※楽器メーカー)のものでした。色々と試したんですが、ギターの音圧に負けないし、そのまま人格ラヂオでも使っていましたね。人格ラヂオ自体はヴィジュアル系とされていましたけど、楽曲にメタルの要素は含まれていたと思いますし。
ーー 人格ラヂオの音楽性は本当に幅広かったですよね。それこそメタルのようなハードな曲もあれば、昭和歌謡のようなものもあったし、ダークなゴシックロックのようなものもあったかと思います。ご自身では人格ラヂオの音楽ジャンルをどう捉えていましたか。
那オキ:そうですねぇ……。音楽性は本当に幅広かったです。ブリティッシュロック辺りは強く意識していたと思いますね。それこそメタルも意識していましたよ。『BURRN!』でよく特集されていたようなブリティッシュ・ヘヴィメタルみたいなものにも強く影響を受けていましたからね。
基本的に曲は悠希が作って、ぼくがアレンジをするんですが、悠希の曲はぼくの中にないジャンルの曲だったりして、そこにぼくの要素を加えることで新しいジャンルが生まれるんじゃないかなと思ってやっていましたね。
ーー Gargoyleはサウンドとしては完全にメタルだったと思いますが、スタイルとしてはメタルバンド然とした売り方ではなかったですよね。そこには理由はあったのですか。
KIBA:それは本当に難しいところで、音は確かに激しいメタルが中心でしたけど、バラードもあるし、軽快な曲もありましたからね。自分のなかにある色んな面を出したかったので、もちろんメタルのような激しい気持ちもあっただろうし、そうでない優しい気持ちの部分もあったからですね。そういうのを表に出していきたかったんです。
だから中心となるのがメタルの曲なんですけど、メタルバンドだからこういうことやっちゃダメ、とかの考えからは遠いところにいたかったんですよ。だから出ている音とかそのイメージとは合わないようなこと、例えば衣装とか濃いメイクとかやっていた部分はありましたね。
バンドとかってそのカテゴリーに入りたいからスタイルをよせることってあると思うんです。ヴィジュアル系だろうが、メタルだろうが。だけどぼくらはそのカテゴリーとは別の道を作りたかったからああいう形になったんですよね。
那オキ:ほんとGargoyleは一風変わった存在でしたよね。
KIBA:もちろんジャンルそれぞれのスタイルを否定するつもりは全然なくて、ただぼくたちはそうなれたらいいなって思いでした。
まぁでもぼく自身当時はそんなに意識もしていなかったんですよ(笑) 自分が面白いと思ったことをやっていただけですね。メタルっぽくないとか、バンドっぽくないとか、どっかで破綻するようなこともあるかもしれないし、合わないなんてこともあるかもだけれど、面白いと思ったものはとにかく一度取り入れてみたんです。
ーー 話を戻しますが、『きわもの達の果実』以降、那オキさんはどうKIBAさんと交流を深めていったのですか?
那オキ:いや、そんなにないですよ。だから花見です。
KIBA:そう。花見から(笑)
ーー 音楽関係ないじゃないですか(笑)
KIBA:そうなんだけど、そのときに那オキ君がアウトドアで使うようなものとかを持ってきたりしてくれて、この人ちゃんとしてるって思ったんですよ。少なくともぼくは適当な人間なんで。
ーー 一緒にツアーを回るとかなかったのですか?
那オキ:2マンで回るとかはなかったですよね。イベントで一緒になるとかはあったと思いますが。
KIBA:ぼくらは近い世界で活動しあっていたんですよ。ヴィジュアル界のはじっこというかというか……
那オキ:うん、ぼくらはめっちゃはじっこでしたよ。
KIBA:(笑)イベントでは確かにちょこちょこ一緒にはなりましたよね。でもガッツリ2マンでとはなかったかな。
でもね、本当に面白いバンドだなって思っていたんですよ。『きわもの達の果実』に提供してくれた曲も個性強くて、これですか……(苦笑) みたいな感じだったから、最初聞いたときは。
那オキ:楽屋で麻雀やったことありますよね。
KIBA:やったな! 仙台かどこかでしたね。イベントでたくさんのバンドが出るから出番まで時間あって、誰かできる人を探してやったんだと思います。
ーー また音楽と無関係の思い出ですね(笑)
那オキ:プライベートとかでも麻雀やるんですか?
KIBA:一時すごくやってたんですが、友だちとの間でやるってくらいですよ。雀荘に行くとかは全くないですね。いまはもうやってないですし。
ーー 那オキさんは先ほどアウトドアの話が出ましたが、やはりそういうのがある意味趣味といえるものですか?
那オキ:にわかですけど、好きですね。登山とかキャンプとか釣りとか。でも人格ラヂオをやっている頃は、やれてなかったですね。
ーー そりゃ忙しいですよね。Gargoyleも人格ラヂオも、20年前とかだとツアーをガンガンやっていたかと思うのですが、お休みとかは取れていたのですか?
那オキ:ツアーとかやってはいたけれど、人格ラヂオってそうは言っても緩く活動していた面もあって、余裕は実はけっこうありましたよ。やりたくなかったらやらない、リリースするものがないなら出さない、みたいな感じでした。活動休止の期間もありましたしね。
事務所にちゃんと所属していたのも1年程度で、その後は窓口だけお願いするって感じで自分たちで余裕をもった運営していたんです。でも本当の理想で言えば、1年中全国を駆け回るようなバンドにしたかったんですね。でもあまりそういう活動とは縁がなかったです。悠希がそういうタイプじゃなかったですし。
ーー そこで意見の相違からぶつかるなんてことはあったのですか?
那オキ:いや、そういうのはなかったですよ。人格ラヂオってちょっと特殊な感じでしたから。ぼくが悠希というボーカリストのファンであり、その彼のプロデュースをぼくがしている、みたいな感じと言えばいいですかね。だから彼には好き放題やってもらって、みたいな感じでした。
ーー Gargoyleはどうでした?
KIBA:20年前というか、ぼくらがめちゃくちゃ忙しいときって、2回くらいだったと思いますよ。最初はメジャーデビューしたときと、次はメジャーを抜けて全部自分たちでやるって決めたタイミングです。
メジャーデビューしたときは、休みが半年で1日しかないとかでしたね。メジャーを抜けたときも、似たようなスケジュール感になったけど、バンド内で話もよくできたし、メンバーの人が良かったから、嫌だとは思わなかったですよ。ぼく自身、バンド活動をすることが好きでしたしね。
那オキ:KIBAさん世代って、ほんとぼくらからすれば本当に怖い先輩ってイメージなんですよね。これって時代なのか分からないんですが、ぼくとか後輩にめっちゃいじられたりするんですよ。でもぼくはKIBAさんにそんなこと絶対できないです。
KIBA:でも那オキ君って後輩に慕われているよね。
那オキ:慕われているんですかね(笑) でも言われてみると、先輩より後輩のほうが付き合いは多いかもしれません。
ーー KIBAさんの先輩方は怖かったですか?
KIBA:先輩が怖いっていうイメージはなかったですね。優しかったですよ。
那オキ:本当ですか? ぼくがメタルやってたときは先輩たちってほんと怖かったですよ。打ち上げは朝までやるし、すぐケンカになったりして。
KIBA:まぁ、そういう人たちはいましたけどあんまり関わらなかったんです(笑)その当時、ぼくらは大阪だったから東京の情報なんて知らなかったんですよ。いまみたいにネットがないですからね。何が流行っているかも分からないんです。
だから自分たちで面白いと思ったことをやるしかなくて、(東京と比較して)それでも成立してしまうくらいの範囲の人しかいなかったんですよね。逆にやりやすい環境だったんですよ。だからみんな穏やかでしたね。
那オキ:じゃあ、ぼくら後輩のイメージなんですかね。
KIBA:だけどまぁ……当時ハードコアをやっていた人たちは怖かったですね。話にならないくらい怖かったです。メタル狩りって言葉があったくらいですから(笑)
那オキ:メタル狩り!?
KIBA:あまりこの話を続けるのはおっかないから話を変えるけど、那オキ君のANNY’S LTDとか、THE BEETHOVENとか色々やってますよね。
那オキ:誘われるがままやったという感じですね。ぼくが主催して、とかじゃないです。
人格ラヂオは比較的おとなしいバンドだったと思うんです。ただ、ぼくは静と動みたいな、静かなものと激しいもの両方やりたいと思っていたんですよ。そこで激しいものがやれたのがANNY’S LTDでしたね。THE BEETHOVENとかもやってますが、セッションバンド中心に渡り歩いてるって感じです。
KIBA:いまはどれが主体のバンドみたいなのはあるの?
那オキ:どこかに腰を据えてやっているわけじゃないですね。結局、THE BEETHOVENも含めてメンバーも他の活動と並行しながらですし。
本当は人格ラヂオに腰を据えて活動すべきなんでしょうけど、モチベーションの問題もありますし、いまは現実的ではないかもしれません。
ーー 人格ラヂオは活動規模は大きかったものの、基本的にはインディーズでの活動でしたよね。
那オキ:そうですね。最後の1枚はメジャーからリリースって話はあったんですが。
ーー 那オキさんとしてはメジャーから出すこだわりはあったんですか?
那オキ:こだわっていたわけではないですが、活動としては人格ラヂオの曲をお茶の間に届けたい気持ちはありましたよ。だから階段を一段一段登っていくような活動をしていたと思います。でも悠希はあまりそういう思いはなかったですね。
ーー メンバーの半分はサポートでしたが、正式メンバーを入れようという考えは当時なかったのですか?
那オキ:良い人がいれば入れようかくらいには考えていましたよ。でも悠希はあまりメンバーは多くない方が良いという考えだったんですよね。ただ、個人的にはサポートでもそこに人がいればバンドだと思っていたので、違和感とかはなかったです。
ーー Gargoyleはどうでしょう? 現在はKIBAさんお一人ですが。
KIBA:いまは正直ないですね。もちろんいまのサポートメンバーはやりやすいし、なんの不満もないんです。ただ、サポートとメンバーだとバンド活動をやる上で、やることは違ってくるじゃないですか。
バンド活動をする上で、色々やっていくのってぼくはこれが好きだし、他の人たちに背負わせる必要もないな、って思うんです。それに、バンドの歴史も深くなってしまったから、そこに入ってもらうっていうのもちょっと無理があるかって。そういうのを背負ってもらうよりも、もっとみんな楽しい気持ちでやってもたいたいんです。一人であることから逃げる必要はないなって思うんですよね。
ーー メタルも好きな那オキさんが例えばGargoyleで弾いてみるとかはどうですか?
那オキ:正直、すごくやってみたいんですよね。だけど、ぼくなんかじゃ到底務まらないと思っちゃいますね。だってKIBAさんの横で弾くんですよ。恐れ多いじゃないですか。それに、ぼく結構お調子者なんでライブとかだとやらかしちゃいそう(笑)
KIBA:ほんといまのサポートメンバーはメンバーが4人いた頃よりも演奏クオリティという意味では同じか、ひょっとしたら高いかもしれないんですよ。すごくていねいに演奏してくれるんで。
その一方で、ぼくとしてはライブではめちゃくちゃやってほしくて、もっともっと楽しんで欲しいんですよね。なかなかそのバランスが難しいってのはありますね。
那オキ:いずれにしてもぼくらの世代だと技術的にもGargoyleをやるって難しいですよ。ぼくより下の世代とかなら大丈夫かもしれませんが。
ーー お二人が思うバンドを続ける難しさはどこにあると思いますか?
KIBA:難しさというか、大切なことはメンバーがやりたいと思えることをやっていく環境を作ることじゃないですかね。経済的に成立させて、その上でやりたいことがやれていればバンドを辞めることはないんじゃないですかね。バンド活動自体を辞めたいとなると話は別になりますけど。
Gargoyleの場合は、各自がやりたいことを言えた環境なんですよ。もちろん自分の想像以上のことが提案されることもあって、それどうなん、って思うこともゼロではなかったけれど、みんながバンドのためだと思えるなら、だったら失敗してもいいからやってみればいいじゃん、って感じだったんです。バンドは義務じゃありませんから、やりたいことをやらないと意味がないんです。それを経済的に成立させていかなくちゃいけないんですけどね。
那オキ:バンド続けるの難しいとか思ったことないんですか?
KIBA:ない。良い人たちとやれてたってこともあるし、みんな死ぬまでやると思っていましたよ。
ーー那オキさんはどうですか?
那オキ:難しいしか出てこないですね(笑) でも、第三者的に見るとぼくと一緒にやることが難しいみたいです。わがままを言っているつもりはないんですが、主張が強いみたいで。だいぶ言わなくなったんですが、楽曲に対するこだわりが強かったので、かなり細かかったんですよ。
だけどそれは、音楽をやる上で必要なことだと思っていました。楽曲に対してぼくが思っていることを汲み取ってほしかったですし。だからけっこう関係性ができてからじゃないと伝えられないこととかもあって、そういうのは苦労しましたね。
ーー 今後どういう活動していきたいとかありますか。
KIBA:Gargoyleと別にまた何かやるとしたら、米米CLUBのジェームズ小野田さんみたいな立ち位置でコーラスとかやりたいですね。ライブでちょっと前に出てきてうわーって盛り上げるみたいな。
那オキ:いやいや、ダメですって。KIBAさんだったらボーカルのこと食っちゃいますよ。
ーー (笑)那オキさんはいかがですか?
那オキ:もうバンドはいいかなって思う時期も正直あったんですけど、この年齢になって腹をくくりましたね。特別なことはないです。バンドマンでいたいですね。
(文・構成=編集部、写真=石川真魚)
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