『光る君へ』まひろ・吉高由里子に対する周明の蛮行と定子・高畑充希が滞在した“恐ろしげなる”「職御曹司」
#光る君へ
廃墟同然だった定子が滞在した職御曹司
定子が滞在した職御曹司とは、『枕草子』によると「木立は古びて建物も恐ろしげ」な廃屋同然の建物だったようです。同書には「初めて官職にありついた六位の蔵人が、職御曹司の壁板をはがして笏(しゃく)にする」という驚きの風習についても触れられています。職御曹司が普段は使われていなかったのをいいことに、建物の一部(具体的には辰巳の方角にある壁の木材)が新米役人たちの手でこそぎ取られ、当時の官僚たちが現代のメモ用紙の代わりに手にしていた笏の材料にされていたわけですね。
しかし、そんな廃屋同然の建物にもかかわらず、天皇は頻繁に定子を訪ねてきたようですし、定子もお産などの時に別の建物に移動する以外は、2年以上を職御曹司で過ごしていたのです。
ただ、中宮とその側近たちという大人数がスムーズに移り住むことができるような規模の「空き家」が、なぜ存在していたのかを疑問に感じる方がおられるかもしれません。職御曹司の建物が使われていなかった本当の理由は、そこが「鬼」が住む家だとされていたからのようです(斎藤雅子『たまゆらの宴―王朝サロンの女王藤原定子』文藝春秋)。現代とは比べ物にならないくらい迷信深かった平安時代に、いくら一条天皇から強く求められたとはいえ、「鬼」の住処に移住してしまう藤原定子、そして彼女に付き従った清少納言(ファーストサマーウィカさん)などの女房たち、そして一条天皇もかなり「強気」だったことが推察できますね。
ちなみにドラマでは一条天皇が定子におぼれて政務がおろそかになってしまうという描かれ方でしたが、史実の一条天皇は若年ながら(当時20代前半)、政務に熱心な帝だったと知られています。
長保元年(999年)には一条天皇そして道長による主導で、深刻な社会不安を鎮めるべく、「制美服行約倹事(服装の贅沢禁止)」などが定められました。同時に「仏神事違例(仏事・神事における違反)」も戒められたのは、いかにも平安時代ですが、天皇みずから自分が定めた「新制(新しい制度)」を役人たちが厳密に守っているかを監視し、不満な場合は蔵人を通じ、注意していたことまでがうかがえるのです(藤原行成の日記『権記』)。
ドラマに描かれていた定子との情事に溺れる一条天皇のイメージについては、平安時代後期成立の歴史物語『栄花物語』などに、中国・唐王朝時代の玄宗皇帝と楊貴妃の悲恋を重ねているのでしょう。玄宗皇帝と楊貴妃のエピソードをまとめた『長恨歌(ちょうごんか)』は、平安時代の人々の間でも広く親しまれている書物でした。
『光る君へ』の道長はあくまで情け深い「正義のヒーロー」ですが、史実では天皇と定子の前に立ちふさがる存在であった道長をどのようにドラマの中では美化していくのか、大石静先生の脚色が楽しみというしかない状況です。
また、ドラマでは中宮定子の職御曹司入りを、藤原行成(渡辺大知さん)が発案するという描かれ方でしたが、史実における発案者はよくわからないものの『枕草子』では、清少納言の同僚たちが行成のことをあまりよく言わないのに対し、清少納言だけは彼を弁護して「なほ奥ふかき心ざまを見知りたれば」――私は、彼(行成)の心の奥深い部分までをよく知っているから……などと書いている部分があるのです。こういう人間関係を、ドラマでは「発案者・行成」という形で反映したのかもしれませんね。
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