『新・三茶のポルターガイスト』豊島圭介監督に聞く「オカルトの意義」の話
#エクストリーム #新・三茶のポルターガイスト
東京・三軒茶屋の一角に、不思議なスタジオがあるという。普段は劇団の稽古場として利用されているそのスペースでは、いつ、誰が訪れても“何か”が起こってしまう。
そのスタジオでの怪奇現象を追ったドキュメンタリー映画『三茶のポルターガイスト』が昨年公開されると、各所で大きな話題を呼ぶことになった。
「ホンモノが映っている……!」
誰もいない部屋でカーテンが揺れ、照明が明滅し、鏡から水が滴る。誰も納得できないことが、誰の目にも明らかに見えてしまった。そんな映像記録だった。
21日に公開される『新・三茶のポルターガイスト』は、その現象に対して“検証”を試みるドキュメンタリーだ。監督として指揮を執ったのは、『三島由紀夫vs東大全共闘~50年目の真実~』(20)で数々の映画賞を受けている豊島圭介。
未曾有のオカルト物件に科学のメスが入ったとき、何が起こったのか。豊島に話を聞いた。
──まずは今作に参加した経緯を教えてください。
豊島 以前『東大怪談』(サイゾー)という本を作ったときに、編集を担当してくれた角(由紀子)さんから「一度、見に来てくれ」と言われて、三軒茶屋のスタジオに行ったんです。そのときに、劇中にあったような“床から突き出る手”というものを見てしまったんですね。本当に2~3メートルの距離で、ちょっと否定しようもない現象だった。「これはすごい」というショックを受けて、映像化するのであれば関わりたいと思い、名乗りを上げるような形で監督に収まりました。
──もともと監督は“見える側”の人だったんですか?
豊島 “見えない側”でしたね。あんなにはっきり見たのは初めてでしたし、あのスタジオがおもしろいのは、そういう体質じゃない人も見られるということなんです。それが(演出じゃないか? という)疑いを持たれる要因でもあると思いますが、純粋におもしろいと感じたんです。
──では、仕事としてのモチベーションというよりは、好奇心が勝って。
豊島 そうですね、見ちゃったという衝撃。アポロ11号の飛行士が、月に行って帰ってきてから急に宗教家みたいになったという話があるじゃないですか。何かに出会ってしまって、自分の立ち位置がグラついてしまうというか、そういう経験だったんです。これが何かを知りたいというより、この場に関わりたいという気持ちになりました。もちろん、監督をするからにはプロとして成立させなきゃいけないというミッションもありましたが。
──スタジオのオーナーであるヨコザワ・プロダクションの横澤丈二氏の印象は?
豊島 すごく、引き裂かれている方なんですよ。心霊的なことが大好きで、自分でも見ちゃう人だし、30年間、あの空間でそういうものと付き合ってきている。もちろん信じているし、そういう場所として世に認知してほしいという思いもある。一方で経営者として、“お化け屋敷”で俳優養成事務所をやることのリスクも感じている。だから、続編は嫌だと断っていたそうです。ヤラセに生徒が加担しているという疑いを抱かれたら、親御さんにも忍びない。ただ、好きなんですよね。今回もドアの前に「心霊撮影続行中」みたいな提灯をわざわざ作って提げてみたり。そういう引き裂かれた部分が非常におもしろく感じましたね。
──ヤラセの疑いという話が出ましたが、監督はドキュメンタリーとフィクションでは撮影に入るときに意識の違いはありますか?
豊島 森達也さんだったか黒沢清さんだったか「ドキュメンタリーとフィクションの間にあるのはバランスの差だけで、すべては作劇である」って言い方をしているんです。僕もすごく腑に落ちるんですけれど、フィクションを撮っているときにも台本に書いてない不意打ちのような俳優の表情が撮れるときもある。それはドキュメンタリー要素だと言えるし、逆にドキュメンタリーを撮っていても、カメラが回った時点ですべて素の表情ではないという意味で演技になってしまう。そのバランスの差だと僕も思っていて、どちらも変わらない点は、撮った映像をどう構成するかでポジティブにもネガティブにも見えるという匙加減ひとつなんですよね。今回もそういう意味では、何が撮れるかな、どういう物語が組めるかなという、ワクワクするようなスタンスで入りました。
──監督の中で、ドキュメンタリーにおいて「やっていいこと」「いけないこと」の線引きのようなものはあるのでしょうか。
豊島 今回は、答えを出すのはやめようと思いました。それがラストの“投げっぱなし”にもつながるんですけど、ラストの現象については撮影した検証シーンを使わなかった。これには2つの理由があって、ひとつは見る人に判断を委ねたいということ。もうひとつは、単純にそのほうが怖いからです。最後に、ゾワっとして帰ってほしいなと。基本的にはもうワーキャー言いながら見てもらいたい作品ですから。
──今回、見ていて感じたのが、今の社会とオカルトとの相性の悪さなんです。映像と写真が簡単に加工できる時代になったことと、ネット社会を中心に「ウソかホントか」で物事が判断され、評価されてしまう風潮があること。オカルトを世に出すとき、作り手の方はどんなふうに考えているのでしょうか。
豊島 確かに、相性悪いですよね。今回も「ヤラセか本物か」みたいな議論にしかなってないんですよね。「あれは本当なの?」って聞かれれば、僕は「わかんないんだよね」って感じなんですけど、どうしても否定できない何かだということは確かで、それは超精巧なイリュージョンかもしれないんですけど、そういう現象が目の前で起きるという“夢がある場”だという認識なんです。夢がある場を撮影して、映画にするという行為に躊躇はないし、僕はおもしろいと思っている。だから、こういう作品を世に出すことの、オカルト界にとっての意義とかはあまり考えてないかもしれないですね。
──そもそも、ホラーやオカルトといった分野は、表現として人のどういう部分に作用して、どう人の人生に影響を与えるべきなのでしょうか。文化を、どう豊かにするものなのかという。
豊島 あるとすれば、人を脅かしたりとか、常識的に理解できないものがそこにあってしまったりとか、すごく原初的な喜び、チャイルディッシュな喜びだと思うんです。僕は子どものころはオカルトもホラーも怖くて見られなかった。30代で初めてオカルトに出会って、そのおもしろさに気づくわけです。お化け怖い! って、いい大人が言っている。その感じがおもしろくて、こういうのを楽しめない人って、人生いつ楽しむんですか、みたいな気持ちがありますね。
──なるほど、チャイルディッシュな喜び。よくわかります。
豊島 一方で、3.11の後にイギリス人の雑誌の編集長が書いた『津波の霊たち』(早川書房)という本があって、遺族たちが見てしまう霊の話とかを東北に取材しているんですね。オカルトって、そういう深層心理、心の傷というものが投影される場でもあるわけです。だから僕は、単純にチャイルディッシュな楽しみとしてあるべきだと思いつつ、そうじゃない、心のひだの部分に分け入ったところに届く表現だとも思っている。そのどちらの部分も僕は好きですね。
──亡くなった人との接点をリアルに考えられる。それでいうと、今作は2月に亡くなった映画プロデューサー・叶井俊太郎さんに「捧ぐ」とクレジットが打たれていますね。
豊島 生前、叶井さんに「コックリさんで呼ぶから出てきてくれ」って約束したんですけど、それがどう成就されるかというのも今回の裏テーマだったりします。でも叶井さんは基本的にまったく信じていなかったみたいですね。だからまあ、当てるのが供養かなってところですよ。それ以外に興味はなかったでしょうから(笑)。
(取材・文・写真=新越谷ノリヲ)
●豊島圭介(とよしま・けいすけ)
『怪談新耳袋』(2003年)で監督デビューし、アイドル、ホラー、恋愛もの、コメディとジャンルを横断した映画・ドラマに携わる。代表作に、映画『三島由紀夫vs東大全共闘 ~50年目の真実~』『ソフトボーイ』『花宵道中』『森山中教習所』、『ヒーローマニア -生活-』など。ドラマ「霊験お初 ~震える岩」「黄金の刻 服部金太郎物語」「キッチン革命」「妖怪シェアハウス」など。『東大怪談 東大生が体験した本当に怖い話』(サイゾー)著者。
●『新・三茶のポルターガイスト』
監督:豊島圭介
出演:角由紀子/横澤丈二/小久保秀之/山崎詩郎/児玉和俊/ひなたまる/森脇梨々夏/三上丈晴/小野佳菜恵/大久保浩/オカルトセブン7★
ナレーション:東出昌大
企画・プロデュース:角由紀子、叶井俊太郎/プロデューサー:千葉善紀、佐藤慎太朗/宣伝プロデューサー:星野和子
音楽:スキャット後藤/撮影・編集:滝田和弘/ビジュアルデザイン:廣木淳
エンディング・テーマ「水底の愛」:横澤丈二
製作:REMOW/制作プロダクション:murmur/配給:エクストリーム
2024 年/日本映画/88 分/カラー/ステレオ/DCP
©️2024 REMOW
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