『光る君へ』まひろ・吉高由里子と見習い医師・周明の今後、そして異国人同士の恋愛
#光る君へ
平安時代々に異国の人と恋愛をした日本人
さて、前回のドラマでは道長と別れ、都を離れたまひろが、松下洸平さん演じる見習い医師・周明(ヂョウミン)と出会い、早くも「いい感じ」になっていたので驚いた読者も多いでしょう。周明はドラマのオリジナルキャラクターでモデルなどはいないようですが、当初は日本語はわからないという身振りだったのに、いざとなると流暢な日本語が口から飛び出てくるという設定で、まひろならずとも「エッ……」となりました。周明とまひろにはロマンスの気配も濃厚ですけれど、平安時代に外国人と恋愛をした日本人はいるものなのでしょうか。
史実の紫式部自身にはそういう噂が存在しないのは残念ですが、思い出すだけでもチラホラと有名人にも「該当者」はいるようです。
背丈が「五尺八寸(約176センチ)」、胸板もきわめて厚く、体重は多い時で201斤(約120キロ)もあったという記録のある平安時代前期の武将・坂上田村麻呂などは、「目は蒼鷹の眸」「髭(髪という説も)は黄金の縷を繋ぐ」ような外見だったそうです(嵯峨天皇が著したとされる『田邑麻呂伝記』)。深いブルーの瞳、髭もしくは頭髪はブロンドという、あまりに東アジア系離れした容貌の坂上田村麻呂は、系図にも母親の記録がなく、日本人の父親と外国人女性の恋愛の末に生まれた子だったのではないか……という想像が止まりません。
坂上田村麻呂には(主にアメリカなどで)由来不明の黒人説もあるのですが、ペルシャ系か、ヨーロッパ系の血を引いていたのではないかと思われます。そういう坂上田村麻呂の血統を引いた清和天皇の子孫が、後に清和源氏の一派を形成し、その血統から多くの武人が生まれていったのは興味深い話ではあります。
また坂上田村麻呂が青年だった宝亀9年(778年)11月には、日本から遣唐使として派遣された藤原清河という人物と、中国人女性(氏名不詳)との間に生まれた、その名も喜娘(一説に「きじょう」)という女性が、海難事故を乗り越え、来日したという記録もあります。残念ながら、その後の喜娘の人生については不明なのですが、中国に帰ったという話はないため、おそらく日本のどこかでひっそりと生涯を終えたのでしょう。
中国の役人が外国を訪れ、現地の女性との間に子をもうけることも多かったようです。しかし、妻子を連れて中国に戻ってはいけない、つまり現地に妻子は置いて単身で帰りなさいという厳しい掟がありましたが、それはあくまで「公人」である役人の話で、ドラマのように商人とか医師見習いといった「私人」と外国人との関係はまた別枠だったかもしれません。ちょっとマニアックな話になってしまいましたが、今回はこの辺で……。
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