『光る君へ』伊周・三浦翔平の命運、そして定子と清少納言の今後と『枕草子』“本当の”解釈
#光る君へ
『枕草子』の執筆が始まった背景
ドラマでも定子の二条北宮が燃上するシーンがありましたが、実際にこの年(長徳2年)の6月8日、二条北宮は(おそらく付け火によって)焼亡しており、救出された定子は懐妊中の身であるにもかかわらず、母方の縁故にあたる高階成忠(定子の祖父)、高階明順(定子の叔父)たちの邸や、かつて世話になった役人の平惟仲(ドラマでは佐古井隆之さん)の邸などを(厄介払いされるように)転々とせざるを得なくなったのでした。こうした一幕は、定子にまつわるネガティブな記述を省略しがちな『枕草子』にも少し描かれていますね。
そうした中、伊周、定子たちの母・貴子の病は重くなる一方でした。伊周は母親の病状悪化を理由に、この年(長徳2年)の10月、ひそかに播磨国から上京し、またもや定子のもとに潜伏しました。これが密告によって判明し、10月10日、激怒した一条天皇の勅命により、伊周は太宰府まで送られたのです。
余談ですが、前回のドラマの伊周には諦めの悪さに加え、重度のマザコン属性まで発現していましたね。「マザコン男」とは、大石静先生にとっては男性をもっとも格好悪く、情けなく見せうる要素なのだろうか……と思って見ていました。
こういう悲惨な日々の中で、史実でも『枕草子』の執筆は開始されたとされます。ドラマでは御所が火事で焼け、抑うつ状態の定子を慰めるため、まひろのアドバイスを受けた清少納言(ファーストサマーウイカさん)が『枕草子』の執筆を始め、文学の力によって定子の心が慰められるという描かれ方でしたね。
『枕草子』には「長徳の変」以前の中宮定子の栄華の日々も記されているのですが、定子の没落が決定した長徳2年(996年)頃から、寛弘5年(1008年)頃にかけて成立したと考えられています。
ドラマにも少し出てきましたが、内大臣時代の伊周が一条天皇と定子に見事な料紙を献上し、天皇はこれに司馬遷の歴史書『史記』を書き写すと言ったのに対し、定子は清少納言に「何を書いたらよいか」と質問したので、清少納言は「枕にこそは侍(はべ)らめ」と回答した……というのは実際に『枕草子』の「跋文」(ばつぶん、現在のあとがきに相当)に出てくるやり取りです。
しかし、この「枕」の語句の解釈はかなり分かれるんですね。『史記』のよみがなである「しき」のことを「敷物」すなわち「枕」という風に連想したシャレのような回答をドラマでは採用していたようですが、実際にそういう学説もあります。
あるいはすでに当時、「枕草子」という語句が「備忘録」という意味合いで使われる普通名詞だったという学説もあって、この場合は、古代中国の男性中心の歴史といえる『史記』に対し、一条天皇の御代の記録を、女性の目から記した備忘録=『枕草子』を残しましょうと呼びかけたという解釈になります。史実の清少納言ならば、後者のような気がします。
書かれた経緯はともかく、実際の『枕草子』も、華やかなりし時代の思い出や四季折々の美しさを描くことで、定子の傷心を癒やすために使われたと考えられるのですが、長保2年(1000年)12月16日、定子はお産の末に亡くなってしまっています。しかしその後、一人の皇子・敦康親王をふくむ定子の3人の遺児たちは道長の手で引き取られ、道長の愛娘・彰子(見上愛さん)が彼らの母代わりとなって育てているのです。
そう聞くと、前回までのドラマでは定子が出家し、もう天皇とは会えなくなったという描かれ方だったので、「あれっ」と思う読者もいるでしょうが、一条天皇が「ルール」を曲げて定子を呼び戻したので2人は再会し、その後、定子は子どもを立て続けに授かっていくことになるのです。
ゆえに『枕草子』が想定した第一読者は、ある時期からは定子ではなく、道長そして彰子だったのですね。清少納言は「亡き定子さまのお子様がたを、どうか粗略には扱わないでください」と『枕草子』を通じ、道長たちに訴えていたのだと考えられます。ドラマはともかく、定子の実家である「中関白家」を追い落とした張本人は道長ですから……。
ちなみにドラマの清少納言演じるファーストサマーウイカさんが、達筆を披露して「春はあけぼの」などと実際に書いていましたが、その書き出しであまりにも有名な「第一段」から『枕草子』が描かれたというわけでもなさそうです。
以前から、さまざまな写本が『枕草子』には存在し、また本ごとに段落が前後し、「内容も異なる」とお話をしてきましたが、昭和の時代に4つの写本の系統に大きく分類されるという研究がまとまりました。その4つの写本にも、内容ごとにまとめた「類纂型」と、清少納言がインスピレーションの赴くままに書いていったという体裁の「雑纂型」の2種類が存在していますが、専門的になりすぎるので今回はこのくらいにしておきましょう。
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