プロ野球・西武 最速自力V消滅で松井稼頭央監督休養へ……「既定路線」の危うさ
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プロ野球、埼玉西武ライオンズの松井稼頭央監督が、26日に本拠地ベルーナドームで行われたオリックス戦を最後に、休養に入ることが発表された。代行には渡辺久信GMが就任するという。
松井監督は、今期が就任2年目。昨季の成績は5位と奮わず、今期も9年ぶりの8連敗を喫するなど最下位に沈み、18日には早くも今シーズンの自力優勝が消滅。98試合を残しての監督交代となった。
松井監督は、西武にとって待ちに待った「スター監督」だった。
1993年にドラフト3位でPL学園から西武入り。96年にレギュラーをつかむと、その身体能力を生かしたプレーでファンの心をつかみ、04年春にメジャーリーグ入りするまでの全試合に出場。2度の最多安打、3度の盗塁王を獲得するなど、一躍ライオンズの看板選手となった。
その後、7シーズンをメジャーで過ごし、11年に日本球界に復帰。東北楽天ゴールデンイーグルスで17年までプレーした後、18年にライオンズに復帰している。
このときから、ライオンズは松井の監督就任を「既定路線」として設定していたはずだ。18年のライオンズへの復帰は、戦力としての加入というより、一種の手続き的な意味があった。
その年いっぱいで現役を退いた松井は、翌19年に2軍監督に就任。3年後の22年には1軍のヘッドコーチを務め、昨年、監督に就任している。ライオンズが、松井を指導者として手塩にかけて育成してきたことがうかがえるキャリアである。
だが、指導者としての松井は決して優秀な成績を収めたわけではなかった。
2軍監督としての初シーズンとなった19年はイースタン・リーグで7チーム6位。翌20年は日本ハムと同率で最下位に沈み、翌21年は単独最下位。ファームのライオンズが2年連続で最下位となったのは、03・04年以来だった。
それでも、ライオンズは松井を監督の座に据えないわけにはいかなかった。第1期ライオンズ在籍時代の松井は、まぎれもなくスーパースターだった。功労者、球団を象徴する存在。そんな時代を築いた選手を自チームに呼び寄せて引退の花道を作ったのだから、腰を折るわけにはいかない。そんな強迫観念にも似た状況が、松井稼頭央監督を誕生させたのだ。
最近の試合後の監督インタビューのうつろな表情が目に浮かぶ。あんな顔の松井稼頭央を、誰が見たかったというのか。
「既定路線」の危うさを感じさせる監督交代劇だった。
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