『光る君へ』ついに職を得たまひろ・吉高由里子の父、為時と宋人の存在、そして道長の思惑
#光る君へ
策略家・道長の“本当の目的”とは?
そんな為時の運勢が大きく変わったのが、朱仁聡の2回目の来日だったようです。
大臣などの高官は必要に応じ、時期に関係なく任命されるのですが、それ以外の朝廷でのポストは春と秋の年2回の除目(じもく)で決まりました。お正月の除目では「下官(げかん)」、つまり地方官の人事が決まります。また、京都で働く「京官」の任命式は主に秋に行われました。
かくして長徳2年(996年)の1月25日、為時が淡路守に任命された記録があるのですが、28日には「直物」(なおしもの)――つまり先日の決定が覆され、為時が淡路守ではなく、越前守に任命され直しているのです。その経緯をはっきりと語った一次史料は存在しないのですが、鎌倉時代の説話集『古事談』などによると、天皇に仕える女房(侍女)を通じて、為時は自作の漢詩を献上したのだそうですね。
その内容の一部が「苦学の寒夜。紅涙(こうるい)襟(えり)を霑(うるお)す。除目の後朝(こうちょう)。蒼天(そうてん)眼(まなこ)に在り」――私は血の涙を流しながら学問に励んできたのに、ようやく除目で任官されたのは「小国」淡路守で、がっかりして空を仰ぎ見てしまいました……というものだったので、一条天皇が哀れに思って食事も喉を通らなくなり、それを見た道長が間に立ってくれて、自分の配下の源国盛(ドラマでは森田甘路さん)という貴族を犠牲にし、為時を越前守のポストにねじ込むことに成功したという逸話も伝えられています。国司の任国には「大国」、「上国」、「中国」、「下国」の4つがあり、高官たちの覚えがめでたい部下たちほど、実入りの多い「大国」の国司に任命してもらうことができました。
ドラマの道長も「関白にはならない」と一条天皇に宣言していましたが、史実の道長は関白にならないことで、こうした朝廷の人事を決める公卿会議に積極的に介入し、部下たちにうまく恩義を与えることができていました。それゆえ、為時が約10年ぶりに官職に、しかも「大国」である越前の国司に任命してもらえたのは、道長から使い勝手のある男であると認められたにほかならないのでしょう。
もしかしたら、為時の切り札は、すでに文才を発揮していたとしてもおかしくはない娘の紫式部だったのかもしれませんね。史実の道長は策謀家ですから、長女の彰子(ドラマでは見上愛さん)が成長したら天皇の後宮に入内させようと考えていたでしょうし、その際には文学好きの帝をいかにして喜ばせるかの作戦も立てていたでしょうから……。
ちなみに紫式部も為時に付き従って越前国に向かっていますが、越前での暮らしが性に合わなかったようで、わずか1年ほどで京都に戻り、以前からプロポーズされていた藤原宣孝と結婚しています。何人もの妻や子をすでに持つ宣孝との結婚は、条件のよい結婚とは言えなかったものの、それでも越前での暮らしよりは「マシだ」と判断したのかもしれません。いずれにせよ、今後のドラマで紫式部と宣孝(そして道長)の関係がどのように描かれていくのか、興味津々ですね。
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