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#週刊誌スクープ大賞
「森喜朗元首相『裏金問題』真相を語る240分」
今週は番外編がもう一本。週刊誌からではない記事を紹介したい。
月刊誌「文藝春秋」の6月号から、派閥の裏金問題のキーマンといわれる森喜朗元総理のインタビューを紹介したい。
残念ながら、森喜朗から「裏金問題の真相」を聞き出したのではない。森の「弁明」を丸ごと書き写したようなものではあるが、渦中の森を引きずり出した功績は認めてあげるべきであろう。
インタビューしたのは、ノンフィクションの世界では今やナンバー1という評価の高い森功である。
彼の力なくしては、このインタビューはできなかったとは思う。しかし、派閥の裏金問題について、新しい証言があったかというと、ノーというしかない。
森喜朗は、インタビューに臨むにあたって、様々な人間に意見を聞いたのであろう。近しい法曹関係者もいたのではないか。
模擬答弁なども、小心者の森はやったのではないかと推測する。
準備万端な森喜朗に対して、インタビュアーのほうは、彼の「嘘」を打ち破る新証拠を持って追い詰めることができなかった。
読んだ後の正直な感想をいうと、森喜朗にしてやられたと思った。
見かけは茫洋としていて、聡い人間には見えないが、数々の修羅場をくぐり抜け、塀の向こう側にいまだに落ちていないのは、小心者ゆえの石橋を叩いても渡らない用心深さ、他人を信用しないなど、彼なりの処世術があったからであろう。
では、いくつか見ていくとしよう。
――今になってインタビューに応じる気になったのはなぜですか。
森元首相 本音を言えば、「政治とカネ」については話したくない。けれども、自分一人がいい格好すると思われるのも嫌だし、これは関係した議員すべて、さらに自民党の名誉にかかわる問題です。(中略)
それともう一つ、やはりこれは大罪です。場合によっては、国を滅ぼす事態になりかねない。したがって国民にお詫びをしなければならない。誤解があるにしても、大罪の一端が私にあると言われた以上、真実だけはきちっと話しておかねばなりません。そうでないと、私の子孫に対しても申し訳ない。
――(岸田総理から=筆者注)裏金作りについて何も質問はなかったのですか。
森 あの時の電話で、総理はこう言っていました。
「私から森先生に電話した事実を言わなければならない事態になれば、それを公表させていただきます。それまでは、私から電話があったことをおっしゃらないでください」
私は「承知しました」とだけ答えました。あとは「ご体調はいかがですか」とか、「強いてお目にかかることはありません」というようなことを言われました。
岸田は、森に電話をしただけで、何も聞かなかったのだ。ここがこのインタビューの白眉だろう。
「(中略)私自身、仮に国会の証人喚問に呼ばれても、知らないものを知っているとは言えない。磔にされ、拷問に遭っても、ないものをあるとは言えません。むしろ、もし国会に呼ばれたら、「森が裏金作りを始めたと言っているのはいったい誰なんだ」と言いたいです。
――安倍派(清和政策研究会)のパーティを駆使した裏金作りのシステムは、森会長時代の二十年以上前に始まったというのが、定説になっているが、違いますか。
森 私はこの問題から逃げようとは思っていません。けれど、本当のところ、いつ誰が始めたのか、わからないのです。(中略)私も二〇〇〇年に総理になる前は党幹事長や政調会長、総務会長、閣僚とずっと派閥から離れていたので、実は派閥のことは詳しくわからない。その一方で、私を陥れるためのつくり話がまかり通っている。
――安倍派の衆院議員でいえば当選一回で百万円、二回生で二百万円、大臣経験者だと五百万円のパー券販売がノルマの相場です。近年、それを超えた分がキックバックされて裏金に化けてきましたが、そのシステムを派閥の事務方が創るわけがありません。発案者は誰ですか。
森 (中略)ノルマや還付金について議論するために派閥の役員会を開いたことなんてありません。ましてノルマを超えた分がバックされる仕組みなんて知りませんでした。そもそもキックバックなんて半ばインチキ臭いことを議員同士で話し合えるわけがありません。安倍派になりノルマの件で役員会を開いたことまであったそうですが、そんなことだから、次の会長選びまでゴタゴタしてしまうのです。
――では、キックバックの仕組みを知ったのはいつですか?
森 今度の報道で明るみに出て初めてです。(各議員の裏金)一覧表を見ましたけれど、こんなにあったのか、と驚きました。パーティもやらないのに、パーティー券だけ作って売っていた職員もいたというから、呆れます。それに利権漁りばかりしていた議員までいたり。
ただし、なかには五年で百万に満たない記載漏れもあり、本当に計算違いかもしれません。だから、岸田総理も細かく精査して実態を掘り下げてから処分をすればよかった。けれど、早く結論を出して、訪米の日程にそなえたいという気持ちが強かったから、あのような形になって、またまだ尾を引いているのでしょう。
――なぜか安倍晋三元首相がキックバックをやめようとしたが、没後の二二年八月五日、下村博文氏と世耕弘成氏、塩谷立氏、西村康稔氏ら派閥幹部が会合を開き、復活が決まったとされます。これも森さんの意向が動いたかのように報じられています。誰かが判断してキックバックが復活したのは間違いありません。森さんの判断では無いのですか。
森 (中略)もう一度言いますよ。私は清和会の会員でもありません。そんな話を知るはずもありません。
――安倍派の会長ポストを巡る混乱のさなか、裏金問題が起きました。その幕引きとして岸田首相は塩谷立座長に自民党の処分で二番目に重い離党勧告を下し、塩谷氏が不服を申し立てました。森さんはその前の一月二十六日、塩谷氏に責任を取るよう迫ったと仄聞していますが。
森 「誰かが罪をかぶり、総理の判断を願い出るようにすればいい」と知恵をつけた人が党内にいたそうです。それで五人衆が相談し、座長の塩谷君に、その役を担ってもらおう、となった。五人衆の総意として、塩谷君の説得を「森先生に頼むしかない」となったようです。
萩生田君から「こんなことを先生にお願いするのも変だけれど、ここは塩谷先生が引き受けてくれたらありがたい、というのが皆の意見です」と連絡をもらいました。直接会うとマスコミがうるさいので電話です。あの頃、二階派も、二階(俊博)さんが全責任をかぶって議員辞職するという話が聞こえてきました。安倍派としても対応しなければならないので、なるほどそれも一理あると思い、塩谷君をここ(森事務所)へ呼んだのです。
――結局、五人衆は仲違いし、安倍派をまとめきれませんでした。
森 仲違いはしていません。私はそうならないよう毎週彼らを呼び、飯を食ってきた。みんな派の会長をやりたいけれど、すぐに岸田総理と勝負して総裁になる勇気もない。次の総裁選に出たがっていたのは西村君だけでしたが、岸田総理とぶつかるのは、安倍さんの遺志じゃないと止めてきました。
派閥内では萩生田君を推す声が多いけれど、彼もあちこちに弾を受けてますから、少し時間を置いた方がいい。世耕君は参院議員である限り総理になれないから、衆院に移ることを絶えず考えていたようです。しかし、こうなっては、次の衆院選には慎重になると思います。
森喜朗は、裏金問題については全く知らない。安倍派の跡目は俺が目を光らせているから、萩生田にしてやるがもう少し待てといっている。
自分がどれほどの大物かを誇示しているだけで、裏金問題の真相は依然として真っ暗闇。しかし、これだけは見えた。森喜朗がすべて仕切っていたことは間違いない、と。
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