『耳をすませば』清野菜名、松坂桃李出演の実写版が放映 アニメ版を酷評され、激怒した宮崎駿監督
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スタジオジブリの人気アニメ『耳をすませば』(1995年)の10年後を描いたのが、清野菜名と松坂桃李がW主演した実写映画『耳をすませば』(2022年)です。朝焼けを見つめながら、将来を約束した中学生男女は一体どんな大人になったのか。5月10日(金)の夜9時から放映される『金曜ロードショー』(日本テレビ系)で、雫と聖司との初恋の行方が明かされることになります。
童話作家を目指す月島雫に清野菜名、イタリア留学中の天沢聖司に松坂桃李。さらに山田裕貴、内田理央、松本まりか、田中圭らが脇を固めています。人気キャストを揃えての実写化だけに、注目度の高い話題作でした。しかし、宮崎駿監督がプロデュースし、近藤喜文監督のデビュー作となったアニメ版の興収が31.5億円だったのに対し、実写版は5億6000万円という寂しい結果に終わっています。コロナ禍でイタリアロケができなかったそうですが、実写版が残念な出来だったのはそれだけが原因ではないように思います。
原作を思いっきり脚色することで知られている宮崎アニメですが、実写版『耳をすませば』はアニメ版からさらにアレンジされています。アニメ版の聖司はヴァイオリン職人になるためにイタリア留学を決めたわけですが、実写版ではチェロ奏者に変えられています。地味なヴァイオリンづくりよりも、チェロ演奏のほうが映画的に盛り上がるだろうという判断からでしょう。しかし、中学生ながらヴァイオリン職人を目指すという聖司の変人ぶりが実写版からは感じられず、聖司の魅力は大幅にダウンしています。
今や「昭和遺産」となった団地暮らしにプライドを持っていたアニメ版の雫ですが、そうしたこだわりもばっさりカットされています。「カントリー・ロード」の替え歌「コンクリートロード」を雫は自慢げに歌っていたものの、「カントリー・ロード」そのものが実写版からは消えています。代わりに雫が歌うのが、合唱コンクールでおなじみの「翼をください」です。合唱コンクールが苦手だった人間には、しんどい選曲です。
アニメよりも「絵空事」感が強まった実写版
雫のお父さんは図書館の司書、お母さんは大学院に通っているため、慎ましい団地生活を少女時代の雫は送っていたのですが、実写版ではかなり大きめな一軒家暮らしとなり、アニメ版での生活臭はまったく感じさせません。
細部のこだわりが実写版からはきれいさっぱりに消滅し、昔なじみの喫茶店のあった場所が整地化され、チェーン系のカフェに建て替えられたような侘しさが実写版からはするのです。
松坂桃李はアニメ作品を実写化する上で、チェロ演奏シーンにリアリティーをもたらそうと懸命に努めていることは伝わってきます。清野菜名が『キングダム2 遥かなる大地へ』(2022年)と180度異なる役を演じているのも評価できます。出版社で働きながら、作家を目指すという雫の甘い考えを、ガンガン責め立てるパワハラ上司役の音尾琢真もいい感じです。『耳をすませば』というタイトルを回収する「地球屋」の主人役の大ベテラン俳優・近藤正臣は、もはや文句のつけようがありません。
でもね、アニメ版以上に実写映画版のほうがファンシーで、お花畑状態になっているわけですよ。アニメより、実写映画のほうが絵空事感が強いというのはどうなんでしょうか。
ジブリの運命を決めた宮崎駿監督の怒り
実は宮崎駿監督がアニメ版『耳をすませば』を企画した経緯も、問題を抱えていました。高畑勲監督が『おもひでぽろぽろ』(91年)、宮崎駿監督が『紅の豚』(92年)をそれぞれヒットさせ、両巨匠のために作られたスタジオジブリは、やりきった感が漂っていた時期です。そんな折に、ジブリの若手スタッフによって制作されたのが、1993年に放映された氷室冴子原作の青春アニメ『海がきこえる』(日本テレビ系)でした。
「宮崎・高畑には絶対作れない作品」という鈴木敏夫プロデューサーの触れ込みで完成した『海がきこえる』ですが、この作品にはノータッチだった宮崎駿監督は認めませんでした。『海がきこえる』のヒロインとなる高校生の武藤里伽子は、同級生の杜崎拓に向かって「わたし、生理初日が重いの」と口にする非常に生々しいしい女性キャラクターです。宮崎駿作品に登場する『風の谷のナウシカ』(84年)のナウシカ、『天空の城ラピュタ』(86年)のシータのような「清純かつ、母親のように優しい理想的な」少女とは真逆のキャラだったのです。
宮崎駿監督が「作品は『こうある』を描くんじゃない、『こうあるべき』を描くんだ!」と激怒したことが知られています。若手スタッフが制作した『海がきこえる』へのアンチテーゼとして企画されたのが、アニメ版『耳をすませば』でした。
アニメ版『耳をすませば』を観た社会学者の宮台真司氏は、宮崎駿監督との対談の際に「『海がきこえる』のほうがずっと面白い、『耳をすませば』に感激するのは、小学校低学年以下とジジババだけではないか」と言ったところ、宮崎監督はまたしても激怒したそうです。当然と言えば当然ですが、その後、鈴木プロデューサーらが間に入り、対談が無事に済んだことにも驚きを覚えます。
宮台氏に酷評されたアニメ版『耳をすませば』でしたが、世間は宮崎駿監督のイメージする「清純かつ優しい理想的な」ヒロインを愛し、興行的にも成功を収めました。こうなると、もうスタジオジブリには、「宮崎・高畑が作れない」ような新しい作品を企画する存在は現れません。『ハウルの動く城』(2004年)には東映アニメーションにいた若手時代の細田守監督が招かれましたが、細田監督はジブリの空気が合わずに途中降板するはめに。ジブリが世代交代できなかった要因のひとつに、『海がきこえる』から『耳をすませば』への流れがあったように思います。
ジブリ次世代への橋渡し役として期待されていた近藤喜文監督は、アニメ版『耳をすませば』が公開された2年半後に47歳の若さで亡くなりました。先週(5月3日)放映された『耳をすませば』のスピンオフ作品『猫の恩返し』(2002年)に起用された森田宏幸監督は、ジブリを離れた後にTVアニメ『ぼくらの』を2007年に手掛けています。『ぼくらの』はいわゆる巨大ロボットアニメですが、巨大ロボットを操縦する15人の少年少女たちは、敵を倒すごとに一人ずつ亡くなるという非常に残酷なストーリーです。作品を完成させるごとにスタッフが次々と倒れていくという、アニメ界の残酷さをリアルに反映したかのような内容でした。もはや、日本は実写映画よりもアニメ作品のほうがリアリティーがあるのかもしれません。
もちろん、将来のある若者たちが夢を持ち、好きな人に想いを寄せることは、素晴らしいことです。でも、夢を追い続けることにこだわり過ぎ、初恋の相手のことが忘れられずに、しょっぱい人生を送ってしまった人が大勢いることも覚えておいたほうがいいんじゃないですか。夢を諦めた人や恋愛に失敗した人にも優しい映画やドラマが、少しはあってもいいと思いますよ。
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