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日刊サイゾー トップ > 連載・コラム  > 『光る君へ』疫病の流行と宮中での火事
歴史エッセイスト・堀江宏樹の「大河ドラマ」勝手に放送講義16

『光る君へ』清少納言、紫式部が描かなかった疫病の流行と宮中での度重なる火事

「泣きっ面に蜂」だった一条天皇

『光る君へ』、清少納言、紫式部が描かなかった疫病の流行と宮中での度重なる火事の画像2
吉高由里子

 この年の秋に「疱瘡」が流行してからは、道真は「太政大臣」にまで出世しましたが、当然ながら効果などなく、翌年つまり正暦5年(994年)には新たなる疫病の大流行が始まりました。えせ預言者が巷に現れ、「左京三条南、油小路西にある小さな井戸の水を飲め。病気にならないで済む」というので、身分の上下にかかわらず多くの人々が群れをなしてその井戸に詰めかけたそうです。逆にこれで感染が広まったのではないか……と思われますが、当時の人々にもそういう感覚はあったらしく、次の段階では平安京の誰もが家の外に出ようとしなくなって門を閉じ、逼塞する事態になったとか。『枕草子』でひたすらに華麗な日常が描かれている一条天皇の治世ですが、内裏の外は「死の都」となっていたのでした。

 朝廷は(おそらく陰陽師の占いで決まったのであろう)北野地区の船岡山山頂に行疫神スサノオノミコトの神霊を遷すための神輿を2基作らせて奉納し、そこで僧侶に読経させたり、楽人を招いて音楽を演奏させたりしたそうです。「疫病対策」といっても、こうした神事・仏事の儀式をするか、あとは元号を変更するということくらいしか、平安時代の役人たちに難局を乗り越える発想はなかったのです。

 ちなみに清少納言が一条天皇の中宮定子に出仕し始めたとされるのが、疫病が平安京に蔓延し始めた正暦4年(993年)だったのですが、こうしたネガティブな事件は『枕草子』には絶対に書き留められていないことは注目に値します。ドラマ同様、史実の清少納言も定子という女性に惚れ込んでいましたから、定子とその父・藤原道隆が存命していた頃の「中関白家(なかのかんぱくけ)」の栄華だけを『枕草子』には描き込んだのですね。

 ちなみに「中関白家」という呼称がすでにドラマにも登場していますが、「藤原家ではないの?」と思った方もおられるでしょう。史実でこの呼び名が文献などに登場するのは、鎌倉時代に入った12世紀くらいからで、藤原兼家と道長の間の時期だけ、全盛期を謳歌できた関白家という意味で、藤原道隆とその子どもたちが「中関白家」と呼ばれたのでした。ドラマでは放送開始直後、藤原兼家(段田安則さん)が健在だったころは「右大臣家」などと言っていましたが、「ほぼ全員が藤原」という、複雑な状況をわかりやすくするためにドラマで用いられている演出上の工夫として受け止めるとよいのではないでしょうか。

 清少納言の『枕草子』だけでなく、紫式部の『源氏物語』にも、おそらく意図的に描写を自粛されたネガティブな事件が、一条天皇の時代に頻出した内裏の火事です。ドラマのように付け火でボヤが出るのはまだマシなほう。当時は、天皇やその側近に不満を抱いている誰かによる嫌がらせの放火でさえも、怨霊の仕業として片付けてしまうことが多かったのには苦笑せざるをえませんが、一条天皇は長保元年(999年)から寛弘2年(1005年)までの約6年間に、3回も内裏が全焼して焼け出されています。止まらない疫病に相次ぐ火事……まさに「泣きっ面に蜂」でした。

 寛弘2年11月15日に起きた内裏の火事はとくにひどく、天皇の権威の象徴たる「三種の神器」のうち、「八咫鏡」が破損してしまったという記述が道長の日記『御堂関白記』に出てきます。当時、すでに道長の長女・彰子(ドラマでは今後、見上愛さん)が一条天皇の中宮となっており、以前の連載でもお話したように、それは道長が定子から中宮の位を奪って、皇后として形だけ祭り上げ、わが娘を中宮にするという実にあくどい手段を使った末のことでしたから、迷信深かった道長は余計に天罰のようなものを感じ、恐れおののいたようですね。

 ガレキの下から「八咫鏡」が出てきたのは17日になってからで、破損した鏡をそのまま神器として扱うか、作り直すかで議論がありましたが、とりあえず新しい辛櫃(保存ケース)に収める時、破損したはずの鏡が太陽のように光り輝いたなどの理由から、そのまま神器として取り扱うことが決定したそうです。

 現在でも皇位継承に不可欠な「三種の神器」ですが、天皇や皇族方でさえ絶対に直接見ることは許されていないのに対し、少なくとも藤原道長の時代くらいの天皇や公卿たちは、大火事という惨事の結果にせよ、神器の「姿」を垣間見ることくらいはできていたのかもしれません。

<過去記事はコチラ>

堀江宏樹(作家/歴史エッセイスト)

1977年、大阪府生まれ。作家・歴史エッセイスト。早稲田大学第一文学部フランス文学科卒業。日本・世界を問わず歴史のおもしろさを拾い上げる作風で幅広いファン層をもつ。原案監修をつとめるマンガ『La maquilleuse(ラ・マキユーズ)~ヴェルサイユの化粧師~』が無料公開中(KADOKAWA)。ほかの著書に『偉人の年収』(イースト・プレス)、『本当は怖い江戸徳川史』(三笠書房)など。最新刊は『隠されていた不都合な世界史』(三笠書房)。

Twitter:@horiehiroki

ほりえひろき

最終更新:2024/04/28 12:00
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