小池百合子都知事周辺で風雲急! 「カイロ大卒」問題再燃でどうなる……?
#週刊誌スクープ大賞
今週の注目記事・第1位「小池百合子元側近小島敏郎が激白『公選法違反で刑事告発します』(週刊文春4/25日号)「『小池百合子都知事』の化けの皮が剥がれる日」(『週刊新潮』4/25日号)
同・第2位「日本最大のドラッグストア『ウエルシア』社長が『取引先』中国人女性と『危険な情事』」(『週刊新潮』4/25日号)
同・第3位「嵐新会社社長を直撃 20億円利権巡る『あざとすぎる匂わせ』」(『週刊文春』4/25日号)
同・第4位「『山崎製パン』社員は見た!『ダマでの買取り』『中抜き』『送り込み』の実態とは」(『週刊新潮』4/25日号)
同・第5位「いなば食品は食品衛生法違反!」(『週刊文春』4/25日号)
同・第6位「レイプ被害 白い錠剤 尻タッチetc.元女優・若林志穂は今なぜ告発したのか」(『FLASH』4/30日号)
同・第7位「口裏合わせ懇願で『大谷翔平』を道連れにしようとした『水原一平』の『病理』」(『週刊新潮』4/25日号)
同・第8位「6月『裏ガネ総選挙』そして自民党崩壊へ」(『週刊現代』4/27・5/4日号)
同・第9位「ソフトバンク社長宮川潤一が明かす“孫正義の本音、韓国側の抵抗”」(『週刊文春』4/25日号)
同・第10位「パートナーたちが明かす『曙太郎』の豪快伝説と病室で語った『最後の夢』」(『週刊新潮』4/25日号)
【巻末付録】現代とポスト、SEXYグラビアの勝者はどっちだ!
今週は、文藝春秋5月号が再び火をつけた小池百合子都知事のカイロ大学卒業疑惑が話題だ。
以前、二期目を目指す小池百合子都知事が大ピンチを迎えたことがあった。
2000年5月下旬にノンフィクション作家の石井妙子が『女帝 小池百合子』(文藝春秋)を上梓し、その中で小池のかつてのカイロ時代の同居人が、小池のカイロ大学主席卒業は作り話だと告発したのである。
これが大反響を呼び、都議会でも自民党や共産党が「小池百合子都知事のカイロ大学卒業証書・卒業証明書の提出に関する決議案」を提出し、大騒ぎになった。
だが、駐日エジプト大使館が突然、フェイスブック上でカイロ大学長名の声明を英語と日本語で公表したのである。
そこには、
「カイロ大学は、1952年生まれのコイケユリコ氏が、1976年10月にカイロ大学文学部社会学科を卒業したことを証明する。卒業証書はカイロ大学の正式な手続きにより発行された」
とあり、日本のジャーナリストがたびたびこれについて疑義を呈し、信ぴょう性に疑問を抱いているが、これはカイロ大学および、カイロ大学卒業生への名誉棄損であると警告。これが続くようならエジプトの法令に則り適切な対抗手段を講じるとしたのだ。
公式なHPでの発信ではなく、SNSでの発信、しかも日本語と英語だけで、アラビア語は載っていないというやや不可思議なものだったが、事態を鎮静する効果は絶大だった。
結局、都知事選に自民党は対抗馬を立てず、366万票という得票を得て小池は圧勝したのである。
この問題はこれで決着がついたと思われていた。
だが、三選を目指すだけではなく、あわよくば衆院選に出て当選して自民党総裁選に出馬するのではないかと囁かれている今、小池百合子の元側近で、都民ファーストの会の元事務総長だった小島敏郎が、「私は、学歴詐称工作に加担してしまった」と告白。
もし次の都知事選に出馬するのなら、学歴詐称の公選法違反で刑事告発すると語ったのである。
小池と親しいといわれる二階俊博元幹事長が引退を表明したこのタイミングで、こうした告発が出るというのは、何か仕組まれているような気もしないではないが、どちらにしても、小池百合子都知事は、この問題を避けて通るわけにはいくまい。
これについては、後で詳しく触れたい。
第64代横綱・曙太郎が亡くなった。まだ54歳という若さだった。
ハワイ出身の元関脇・高見山こと元東関親方にスカウトされて来日し、身長203センチの恵まれた体躯を活かして、序の口から歴代1位となる18場所連続勝ち越しという記録をつくった。
その頃は、貴乃花、若乃花という兄弟の人気がもの凄かったが、その前に立ちはだかった曙も存在感を示し、1993年1月場所後に横綱に推挙され、横綱になった。
見た目とは違って、素顔はやさしく皆から慕われていたという。
だが糖尿病を患いインスリン注射を打っていたのに、ジンロの瓶を27本空けて上機嫌になり、20人くらいいたホステスたちに1万円ずつ配ったこともあったそうだ。
引退し、日本国籍も取得していたのに、相撲界を離れて、プロレス界に転身した。
2001年大晦日、K-1のリングでボブ・サップと対戦。失神KO負けを喫したが、視聴率43%(ビデオリサーチ調べ)というもの凄い数字を叩き出したのである。
だが格闘技では4戦全敗。大きすぎる上半身を下半身が支えられず、立っているのもやっとだったから仕方あるまい。
結婚して3人の子供をもうけたという。長い入院生活だったが、巨大なおむつを穿きながら、「またK-1のリングに上がりたい」といっていたそうだ。
記録よりも記憶に残る力士だった。冥福を祈りたい。
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