『366日』第2話 ベタドラマから一転、ストレスフルな“お涙”に興を削がれる
#366日
15日放送のドラマ『366日』(フジテレビ系)は第2話。HYの名曲「366日」をモチーフにしたオリジナル脚本です。
「恋がこんなに苦しいなんて~、恋がこんなに悲しいなんて~」
朗々と歌い上げる仲宗根泉さんのお姿は記憶に新しいところですが、ここが刺さっちゃったんだろうなぁ。歌は罪なものだと思います。
第1話ではすべての恋愛ドラマのベタを再現したかのような楽し気な企画モノの雰囲気でしたが、そのラストで主人公のハルトくん(眞栄田郷敦)が頭を打って搬送されてからというもの、非常にストレスフルなドラマになりました。
振り返りましょう。
■第2話 目覚めよ、ゴードン
なんだか特撮アニメのような見出しになりましたが、第2話は頭を打ったハルトくんの手術シーンからスタート。急性硬膜下血腫とのことですので、おそらく開頭手術を行ったものとみられます。レントゲンには右前頭部から後頭部にかけて巨大な三日月型の血腫が写っています。ひどく打ったねえ。
ハルトくんは事故に遭った日、高校の同級生であるアスカちゃん(広瀬アリス)と初デートの予定でした。卒業以来10年間、互いに想い合いながらすれ違ってきた2人がようやく付き合うことになって、ホッカホカの状態から一転、ハルトくんの意識はいつ戻るやら、もう一生戻らないかもしれないそうです。
安らかな顔でベッドに横たわるマエダ・ゴードン。茨城から総出で上京してきているご家族も、新米彼女のアスカちゃんも、祈るしかありません。
祈るしかありませんが、ドラマは進行しなければならないので、おのずと回想シーン多めになってきます。
仲良しだった高校時代、付き合うことになって、夜通し語り明かした桜の木の下のベンチ、そんなことを思い出していくうちにアスカちゃんは、たとえ意識が戻らなくてもハルトくんのそばにいることを決意するのでした。
20代後半、同級生たちにもみんなそれぞれに生活があって、悩みがある。アスカちゃんにとってハルトくんを“見捨てない”という選択は、その生活の一部を犠牲にすることもでもある。
「恋がこんなに苦しいなんて~、恋がこんなに悲しいなんて~」
うるせえなあもぅ。大人なんだから好きにすればいいし、選択には責任が伴う。それだけのことでしょう。嘆くなよ。
■意識不明の人が目覚めるタイミングの話
脚本家の方々からよく聞くのは「途中からキャラクターが勝手に動き出す」という話です。設定があって、登場人物に行動原理があれば、あとは勝手に動いてくれる。その動きやセリフをペンで追っていくような感覚に陥る。脚本家からそういう類のエピソードが伝わってくる作品は、だいたい素晴らしい作品に仕上がっています。
『366日』のようなドラマは、主人公を橋の上から突き落として意志と行動原理をキャラクターから奪うということをしているんです。「いつ目覚めるかわからない、一生目覚めないかもしれない」という設定を与えられた時点で、ハルトくんは自分の意志で目を覚ますことはできません。
逆に言えば、目を覚ますタイミングはドラマの都合によって、どうにでもなるということです。何しろハルトくんは「勝手に動き出す」ということがないので、ドラマは思うがままに視聴者にストレスを与え続けることができる。
この「ドラマにストレスをコントロールされている」という状況が、視聴体験としての興を削ぐんです。そりゃもちろん全部のドラマが作り手側のコントロール下にあるわけですが、いかにそれを見せないように、作品世界に作り手の介在を感じさせないようにできるかというところで勝負してほしいと思うんです。
これはもう設定の話なのでどうしようもないですが、こういうドラマは好きじゃないんです。すごく好きじゃない。
すごく好きじゃないという立場から、次回以降のレビューを書いていくことになりました。よろしくお願いいたします。
(文=どらまっ子AKIちゃん)
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