笑い飯、2度目の「上方漫才大賞」受賞 駆け付けた盟友・千鳥との“青春の日々”
#笑い飯 #千鳥 #上方漫才大賞
13日、漫才のコンクールでもっとも権威があるとされる「上方漫才大賞」の発表会が開催され、今年の大賞に笑い飯が輝いた。
また奨励賞には見取り図、新人賞には天才ピアニストが選ばれている。
笑い飯の「上方漫才大賞」受賞は2014年以来、2度目。先輩の中川家や海原やすよ ともこ、トミーズらに肩を並べたことになる。なお最多受賞はオール阪神・巨人の4度。
西田幸治は今回の受賞に「10年前はなんとなく予感はあったんですけど、今回は全く思ってなくて、びっくりしまして」と驚きを明かし、哲夫は「(2度目の大賞受賞は)最近の高い目標ではあったんですよ。その目標を実現させてもらったということで、すごいうれしかったです」と喜びの声を伝えた。
授賞式には、笑い飯の盟友である千鳥がゲストとして登壇。駆け出し時代の笑い飯とのエピソードを披露して会場を盛り上げた。
笑い飯と千鳥は、ともに吉本興業の養成所であるNSCを通らず、インディーズライブからオーディションで劇場への所属を勝ち取っている。出会ったころは笑い飯の2人はまだ別々のコンビで活動しており、大悟はまだ18歳のピン芸人、ノブは大悟に誘われて上阪する前の時期である。
笑い飯の2人が、大悟以外に初めてみたお笑い芸人だというノブは「そらおもしろくなるでしょう」とその幸運について語り、大悟も「師匠みたいなもんですね、僕らの」と珍しく素直に笑い飯を称えた。
「最初のころは、夜中に公園の端と端で、千鳥と笑い飯で人がいなくなった公園で漫才をやるんですよ。で、朝方お互いの漫才を見合って、ダメ出しをし合って、劇場のオーディションを受けに行ってた」(大悟)
「僕なんか岡山だったんで、ツッコミというものがなかったんで。最初全然できなかったんですよ。それを笑い飯の2人と大悟で、1日8時間くらい朝までボケ続けるんです。僕1人に一晩中。それで『やめえ!』とか『こっち見ぃ!』とか、そんなシンプルなツッコミができていった」(ノブ)
2000年代、千鳥と笑い飯の2組は文字通り切磋琢磨していた。Baseよしもとの中心メンバーとして活動しながら、02年に笑い飯が『M-1グランプリ』(テレビ朝日系)のファイナルに初進出。翌03年には「上方漫才大賞」で新人賞を受賞する。
その03年末、千鳥は『M-1』ファイナルに初進出。笑い飯はそのファイナルで今でも語り草になっている「奈良県立歴史民族博物館」ネタを披露し、準優勝を果たしている。
千鳥は『M-1』で4度のファイナル、笑い飯は空前絶後の9年連続ファイナルを経験し、ラストイヤーとなった10年には念願の優勝を果たした。
だが、『M-1』が終わると立場が逆転する。11年の「上方漫才大賞」で奨励賞を受けた千鳥は、2年後の13年に大賞を受賞。このとき大悟は「笑い飯にどう伝えようかな」とコメント。盟友に先行した喜びと戸惑いを隠そうとはしなかった。
笑い飯が1度目の「上方漫才大賞」を受賞したのは、その翌年だった。このとき西田は、「これでまた、ちょっと気まずかった仲も普通になると思います」と笑っていた。
その西田は、当時の千鳥について「売れると思っていました。我々の方が売れるんだと思ってましたけど」と今回の授賞式で語っていた。
千鳥はテレビバラエティの世界で天下獲りの位置にいる。
笑い飯は漫才で2度目の天下を獲った。
この2組が公園の端と端で夜通し漫才をしていたというその風景が目に浮かぶ。その青春の日々に思いを馳せる。少し、涙が出た。
(文=新越谷ノリヲ)
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