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元横綱・曙さんが格闘技転向後、ボブ・サップに2連敗した本当の理由

元横綱・曙さんが格闘技転向後、ボブ・サップに2連敗した本当の理由の画像1
第64代横綱・曙(写真/Getty Imagesより)

 史上初の兄弟横綱となった若乃花・貴乃花のライバルとして大相撲で一時代を築き、元横綱でプロレスラーの曙太郎さんが4月に入り、心不全で亡くなったことを11日、各メディアが大々的に報じた。

 曙さんは2001年の1月場所、持病となった両膝のケガの悪化により全休。その1月場所終了直後、両膝の回復がこれ以上見込めないなどの理由により、突如現役引退を表明した。

 その後、現役引退後は曙親方として東関部屋で後輩の指導をしていたが、東関親方との関係や将来設計、日本相撲協会の体制ややり方に不安を抱き、03年11月、日本相撲協会に退職願を提出し、受理されたのちに記者会見を開き総合格闘技「K-1」参戦が発表された。

「K-1が提示した契約金は1億円とも言われ、それが参戦の理由のひとつとされていますが、両膝が悪く、まともに格闘技に練習ができる状況ではなかった。彼の身体能力を考えると、ベストコンディションのまま総合格闘技に転向していたら、サップ戦で“あんなこと”にはならなかったでしょう」(スポーツ紙の元大相撲担当記者)

 03年おおみそか、ナゴヤドーム(当時)で開催された『K-1 PREMIUM 2003 Dynamite!!』で格闘家デビュー。当時、格闘技界を席巻していたボブ・サップと対戦し、1ラウンドKO負け。その注目度の高さから、曙さんがうつぶせになって倒れているシーンの瞬間最大視聴率は裏番組のNHK・紅白歌合戦を上回る43.0%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)というすさまじい数字を記録したのだ。

「ナチュラルパワー全開でK-1王者、アーネスト・ホーストを撃破するなどしていたサップだが、“プロレス”をこなせるクレバーさも持ち合わせていた。曙さんとの試合だが、もっとうまく時間を引き延ばす手もあったはず。だが、とにかくギャラにうるさかったサップは、曙さんの契約金を聞いて『オレが勝ったら、もっとオレの価値が上がる』とたたきつぶすことを決心してリングイン。そしてあの結果となった」(格闘技業界関係者)

 その後、格闘技でなかなか結果が出なかった曙さんだが、05年7月にはWWEでプロレスタッグ戦に挑み、勝利。以降、「全日本プロレス」「新日本プロレス」「ノア」「ハッスル」「ZERO1」など多くの団体に参戦し活躍した。

「絶大な知名度を誇っていたので、地方興行に行けば強い集客力を誇っていた。また、プロレスのリングではしっかり“結果”を出していたので、もっと早くリングに上がっていれば、と関係者の間では惜しまれていた」(元プロレス専門誌記者)

 サップとの対戦から12年後の15年のおおみそか、曙さんはさいたまスーパーアリーナで行われ、同年旗揚げした格闘技イベント「RIZIN」のリングで再びサップと対峙(たいじ)することになった。

「曙さんは14年4月に肺炎のため入院するなど、体調が優れていなかったが、旗揚げしたばかりのRIZINのオファーを受け、断らずにリングに立った。とはいえ、その時の試合はあくまでもエキシビションマッチでガチンコとはいえず。おまけに、すでにサップはギャラ次第では寝る(=負ける)ことも辞さず……という姿勢で挑んでいたのは有名な話。なので、曙さんに“譲る”という選択肢もあったが、『曙だけには負けない!』とあくまでもガチンコでリングに上がることを宣言。結果、2ラウンド負傷判定でサップが勝利。曙さんは2連敗となった」(先の業界関係者)

 ここに来て、サップは50歳にして韓国で行われたボディービルコンテストに出場。3位入賞でその肉体の健在ぶりをアピールしたが、海の向こうで激闘を繰り広げた曙さんを追悼しているはずだ。

黒崎さとし(編集者・ライター)

1983年、茨城県生まれ。ライター・編集者。普段は某エンタメ企業に勤務してます。

Twitter:@kurosakisatoshi

くろさきさとし

最終更新:2024/04/13 19:00
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