『光る君へ』道隆・井浦新が強行した中宮/皇后問題の本質と清少納言・ファーストサマーウイカの道長ぎらい
#光る君へ
清少納言=ききょうの志とキャラクター
中宮/皇后問題についてのお話が長くなってしまったのですが、夫や子どもを捨ててまで、「己のために生きることが他の人の役にも立つような、そんな道を見つけたい!」と熱く「志」を語っていた清少納言(ファーストサマーウイカさん)についても少しお話しておきます。ドラマではトルコの軍楽みたいな劇伴が流れ、すんごい戦闘ムードでしたね。
前回はドラマの清少納言=ききょうのキャラがはっきりと見えてきた回でもありました。『光る君へ』の紫式部が人の気持ちを考えてしまう心優しい女性として描かれるぶん、清少納言が天衣無縫の天才少女のように描かれるのは仕方ないことかな、とは思います。また、藤原道長がドラマでは「正義の味方」として描かれすぎているので、これが史実の清少納言の「志」と、ドラマのききょうの「志」のズレにもつながっているのかな、と思っています。
筆者の個人的な解釈なのですが、清少納言が最初の夫・橘則光と離婚したのは、やはり彼女の「志」が影響しているのですが、史実における離婚理由は、清少納言の藤原道長という男への嫌悪だったのではないか……と思われるのですね。
天元4年(981年)、清少納言は橘則光と結婚し、則長という息子も授かっていましたが、早い時期に離婚しています。一説に橘則光が無粋な男だったので別れたともいうのですが、実際は、清少納言は彼が道長の部下のひとりであることがどうしても嫌で、距離を置くしかなかったのではないか、と想像されます。史実の道長は、すでにお気に入りの部下を試験に合格させるために、試験官を拉致監禁するなど相当な事件をいくつも起こしていました。
また、そのうち詳しくお話することもあるでしょうが、史実の道長は正義の味方どころか、気に食わない人物がいれば、自分の手は汚さず、腹心の部下を使って拉致監禁したり、ひどい場合は殺しても平気というかなりダーティな人物でした。
清少納言の実家の清原家はおそらく藤原道長派で、兄・清原致信も、俗に「道長四天王」のひとりだった藤原保昌という人物の部下となり、道長派の末端に連なっていたのですが、保昌の命でかかわってしまった殺人事件への報復を受け、寛仁元年(1017年)3月、自宅にいたところを白昼堂々リンチ殺人されたといわれています。
その一方で、清少納言という女性は、父や兄が道長派であったにもかかわらず、自分は一貫して道隆の娘である定子やその兄弟に忠誠を誓っていました。おそらく、やはり彼女が「道長ぎらい」だったのではないか……と想像されるのです。先述の通り、道隆は優れた政治家でもなんでもないのですが、「道長よりマシ」という感覚だったのでしょうか。「父親や兄と私は違う! 私は自分が信じた道を行く!」というのが史実の清少納言の「志」だったような気がしています。
とはいえ、ドラマの天才芸術家タイプのききょうも嫌いではないので、今後、彼女がどのように描かれていくのか楽しみに見守りたいと思います。
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