トップページへ
日刊サイゾー|エンタメ・お笑い・ドラマ・社会の最新ニュース
  • facebook
  • x
  • feed
日刊サイゾー トップ > 連載・コラム  > 『光る君へ』道長が愛した倫子、明子の2人の女性
歴史エッセイスト・堀江宏樹の「大河ドラマ」勝手に放送講義12

『光る君へ』道長・柄本佑が愛した源倫子・黒木華、源明子・瀧内公美という2人の女性

『光る君へ』道長・柄本佑が愛した源倫子・黒木華、源明子・瀧内公美という2人の女性の画像1
ドラマ公式Instagramより

──歴史エッセイスト・堀江宏樹が国民的番組・NHK「大河ドラマ」(など)に登場した人や事件をテーマに、ドラマと史実の交差点を探るべく自由勝手に考察していく! 前回はコチラ

  前回の『光る君へ』、第12回「思いの果て」は、「庚申の日」の夜に起きた出来事が中心となっていましたね。平安時代の風習として、暦でいう庚申の日は、人の体内に住んでいる3匹の虫が宿主が寝ているスキに天に登り、天帝にその人の悪事を告げ口するとされたので一晩中寝ずに起きていたのです。

 その夜、まひろ(吉高由里子さん)は道長(柄本佑さん)に呼び出され、密会現場のあばら家に急いだのですが、最初は「北の方ではなく、妾でもいい」という気持ちになっていたのに、道長が他の女性、それもまひろがよく知る源倫子(黒木華さん)を北の方として迎えると言い出したので「お幸せに……」と返すことしかできず、帰宅するというほろ苦い一幕がありました。

 まひろの顔色ですべてを悟った弟たちに酒を勧められると、「酔ってしまうかも」というセリフまであって、「大河ドラマ」というより木曜22時の民放のドラマみたいで苦笑してしまいました。

 まひろに立ち去られてしまった道長はその「勢い」で、文も書かぬまま(ノーアポで)、左大臣家・源雅信(益岡徹さん)の屋敷に現れました。

 道長の硬い表情や態度からは、彼がその夜は顔合わせ程度だと考えていただけではないかと思われましたが、倫子は道長にガチ恋勢でしたから、抱きつくそぶりで彼を押し倒してしまい、抜き差しならない展開となりました。「大河」にしては、直球の色恋描写が多すぎるという声もあるようですが、親の目を盗んであばら家に走っていくまひろの姿には「青春だねぇ」と毎回いわずにはいられなかったですし、とりあえず道長と関係を持って、既成事実を作ろうという倫子のたくましさには拍手を送るしかありません。

 さすがにああいう結ばれ方は、民放の恋愛ドラマのスタイルを「大河」および平安時代の実在の人物にあてはめただけで、道長と倫子のように社会的ステイタスの高いカップルにはあり得ないことではあります。通常ですと、両家の間で「この日からおたくに3日連続で道長さんがおうかがいしますから、対応よろしくお願いいたします」というような約束事が取り交わされていたはずです。道長も従者たちを引き連れて、つまりそれ相応の威儀を正した感じで、倫子が住む屋敷を訪れてきていたはずですね。そして3日目の訪問があった時、結婚関係が成立し、2人は妻側の親たちと共に餅を食べるわけです。こういう平安時代以来の「三日夜(みかよ)の餅」の儀式は、結婚式をあげた初夜に寝室で餅を食べる程度に簡略化されつつも、戦前くらいまでの宮中関係者の間には残っていました(秩父宮勢津子妃も自伝『銀のボンボニエール』で証言)。

 3日連続で会っても=セックスしても、なおも会いたいと思える相手とは非常に相性がいいわけですから、ある意味、合理的かつ興味深い習慣だとは思います。史実に見る2人の結婚は永延元年(987年)12月16日のこと。道長は数え年22歳で、倫子は24歳でした。

 道長の妻となった倫子は、康保元年(964年)の生まれです。道長との夫婦仲は非常によく、そして倫子が健康体であったことから、2人は多くの子どもたちに恵まれました。道長があれだけ出世できたのも、倫子が多くの娘を産んでくれ、その娘たちを天皇や、高貴な男性の妻の座に据えることができたからだといわれています。

 前回もお話しましたが、平安時代の貴族にとって、男の子は家が途絶えない程度に授かっていれば問題はなく、逆に数が多いと兄弟間で喧嘩をしてしまうので、親としては都合が悪いのです。しかし女の子はのちのち政略結婚のコマになってくれるので、何人いてもありがたいのですね。

12
ページ上部へ戻る

配給映画