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日刊サイゾー トップ > エンタメ > ドラマ  > 『不適切にもほどがある!』第9話

『不適切にもほどがある!』第9話 モンスターを一般化しないでいただきたい

第9話 分類しなきゃダメですか? | TVer

 22日放送の『不適切にもほどがある!』(TBS系)第9話はラス前です。うーん、ドラマも終盤になってくると、「結局、この作品は何をやりたかったんだろう」ということを考えてしまうわけですが、まだ定まらないんですよねえ。社会に何かを投げかけたいのか、話題を呼んで数字を取りたいのか、未来にタイムスリップしたことで自分が死ぬことを知った男の人生を描きたいのか。

 問題提起だとすれば上辺をなぞってるだけに見えるし、話題性最優先というほどキャッチーでもないし、真面目にSFをやりたいならノイズが多すぎるし。結局のところ、スタッフ側が一枚岩じゃなくて、みんなが少しずつやりたいことをドラマに織り込んでパッチワークみたいな作品になってるんですよね。視聴者は見たい部分だけ見ていれば満足感があるけど、全体像をとらえようと努力してみると、すごくゆがんで見える。もっと遠くから、例えば半年後くらいに見直してみたら意外に別の風景が見えたりするのかもしれないけれど。

 というわけで、振り返りましょう。

■『ふてほど』話題性の正体

 一見、パワハラ・マタハラ問題を扱ったように見えるんですよね。わんちゃん(仲里依紗)が社内報のインタビューで語った以下のセリフ。

「私のまわりにも計画的に妊活している女子社員いますけど、そういう子たちに言いたいのは、人生なんて思い通りにならなくて当たりませなんだから、ある程度流れに身を任せる心のゆとりっていうか遊びを持ってたほうがいいと思うんです」

 これにひとりの女子社員が咬み付いて、「アウティングですよね」と言い出す。私のことだからアウティングだと。

 こんなのアウティングじゃないよね。そんなことは作ってる側だってわかってるけど、アウティングという言葉を使いたいから、女子社員に告発をさせなきゃいけない。

「マタハラですよね。許せない。遊びが必要? ふざけんなよ、遊びじゃねえんだよ!」

 この女子社員は、アウティングとは別のところで怒っている。というか、八つ当たりをしている。しかもこの女子社員を、ドラマは「結婚もしてないのに彼氏ができたらすぐ妊活する変な女」として、つまりは揶揄の対象として登場させている。

 視聴者に対して、「アウティング問題について語っている先進的なドラマですよ」とアピールしたいがために登場させた女子社員が、結果として「アウティングの問題を語る女はイタイ」という印象を与えてしまっている。

 このドラマでは、ずっとそういうことが起こってるんです。

 だから、このドラマは話題を呼ぶんです。

 毎回ちょうどいいキーワードが散りばめられていますので、普段から何か世間に言ってやろうと思っている人たちにとっては、うってつけの作品なんです。ホラ、ドラマでも言ってるだろ。今、こういうのが問題なんだよ。

 ところがドラマの主張が弱い、古い、薄いがために、その「何か言った人たち」が簡単に反論される環境が生まれている。直接「何か言った人たち」に反論したり、議論したりするのは面倒ですが、このドラマの社会問題の描き方を批判しておけば、間接的に誰かの意見に対して反論したことになって溜飲を下げることができる。

 ドラマがそういう世間の不毛な議論のための道具になっている。

 マタハラを訴えた女性に対し、オガワ(阿部サダヲ)が「よう杉山ちゃん、チョメチョメしてる?」「3連休だから3チョメだな」「チョメるなら夕方のほうがいいよ、3チョメの夕日つてね」とLINEを送っていたことが発覚したとき、同席している男性が「オガワさんが特別なわけじゃない」「ぼくらひとりひとりの心に居座っている小さなオガワさんを駆逐しなければ」とか言いだします。

 小さなオガワさん、みんなの中にいるの? いなくない? こんなLINE送るやつ、ただのモンスターじゃない?

 ペットボトルのラベルをはがさない。犬のオシッコに水をかけない。あの人たちも、モンスターだと思わない? めんどくさくても目の前で注意されたら気まずくなってちゃんとやるのが普通じゃない? みんな逆ギレするの?

 このドラマは、ずっとこうやってモンスター的な行動を一般化して、それを現代の普遍的な問題のような語り口で描いて、まるでその問題と正対する者であるかのように振る舞って、世論を焚きつけてる。

 そうやって議論を活発化させることがドラマというメディアの役割と考えているなら、そういうのを一生懸命作ればいいと思うけど『ふてほど』はそうじゃない。だから、悲しくなる。

■だったら人なんか死なすなよ

 7割くらいそういう話題性を狙ったことをやりながら(キョンキョン出したり、れなぁにエロいこと言わせたりもそう)、残りの3割でめちゃくちゃに切ないSFをやってる。

 昭和から令和にタイムスリップしてきたら、自分と娘がもう死んでいることを知ってしまう。そういう状況に置かれたとき、父は昭和に戻って娘に何を伝えられるのか。君たちはどう生きるのか。社会派話題性優先ネットニュースウハウハドラマの添え物としては、このタイムスリップ譚としてのプロットは、よく出来すぎている。「ドラマを見たい」と思っている私たちにとっては、あまりにも展開に期待を抱かせすぎる。

 しかも、今までも震災についてだけは照れもヒネリもなく真正面から向き合ってきたクドカンだからこそ、本当はこれがやりたいんだろ? とそっちにばかり共感してしまう。

 添え物だったら、最初から軽々しく震災で人を死なすなんてことしないだろ。しないよな、クドカン。そう思ってしまうんです。

 でも、もう無理よな。最終回だけちょっとそっちのテンションに持ってったとしても、もう無理と思う。震災で人を殺してまで刺したかったところには、このドラマは刺さらない。ありていに言って、被災者には届かない。

 今回はほんとに悲しい気分になっちゃった。そんな感じで、最終回を待ちたいと思います。

(文=どらまっ子AKIちゃん)

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最終更新:2024/03/23 16:07
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