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#週刊誌スクープ大賞
関係者が語る「鳥山明」の功績
鳥山明の訃報は集英社の「週刊少年ジャンプ」公式サイトで3月8日に掲載されたという。
私は漫画は読まないが、ドラゴンボールくらいは知っている。
彼の最大の功績は、マンガ家をカネが稼げる職業にしたことだと思う。
新潮でスポーツ紙デスクはこういう。
「鳥山さんの作品は海外にもファンが多く、中国外務省は会見で『深い哀悼の意』を示すなど異例の対応を見せた。また、フランスのマクロン大統領も、鳥山さんから贈られたサイン色紙をXに掲げ、日本語でも追悼していました」
鳥山は1981年、申告所得額5億3924万円で長者番付の「文化人部門」で1位になり、翌年も6億4745万円でトップに。その後も長らく番付の常連であった。
「82年には地元の愛知県清洲町(元・清須市)に、現在の自宅である延べ床面積約340平方メートルの2階建てを新築(土地は約870平方メートル)。現地では『アラレちゃん御殿』と呼ばれてきました。
84年にはジャンプで『ドラゴンボール』の連載が始まり、これまで全世界で単行本累計2億6000万部を発行。アニメやゲームなど、同作関連の売上高はトータルで実に230億ドル(約3兆4000億円)以上とみられます」(同)
すごいね。ため息が出るだけだ。
だが、売れ子になっても上京せず、82年には同業者と結婚。1男1女をもうけた鳥山は、ひたすら地元愛を貫いてきたという。
かつて週刊プレイボーイ(95年1月31日号)のインタビューで、鳥山はこう話していた。
「僕は人混み嫌いだし、東京に行きたくなかったんです。それに、めんどくさがりだから、ひとり暮らしなんてとてもとても」
古くから鳥山家を知る住民がこう話している。
「明さんのお父さんは近くにある生コン製造会社に勤めていて、小さい頃は会社の敷地内にある一軒家に、両親と妹さんの4人で住み込んでいました。お父さんはミキサー車を運転し、お母さんも従業員の食事の世話をしていた。暮らしは決して楽ではなかったはずです。小学校の頃から絵を描くのが好きだった明さんは、『高校には行かない』と言いながら、結局は両親に諭されたと聞きました」
86年から7年間にわたりジャンプの編集長を務めた後藤広喜はこう語っている。
「鳥山さんは、ストーリーとギャグをうまくミックスさせながら描ける人でした。そして、それが嫌味でも何でもなく入り込んでくる。両方とも無理なく、スッと描ける、天然の素質のようなものが備わっていると感じさせられました」
手塚治虫と共に歴史に残るマンガ家である。
今日(3月18日)午後から「政倫審」に下村博文元文科相が出席した。
森喜朗元首相と仲が悪いといわれるから、爆弾発言をするのではないかと期待されたが、それは見事に裏切られた。
それまでに出た旧安倍派の連中よりもひどかった。下村が「出る、出る」といったことで、森喜朗や萩生田光一などの五人衆たちから条件を示され、手打ちしたのではないか。
そうとしか思えない。それほどひどい話しぶりだった。
文春は、森喜朗の「悪だくみ」を特集しているが、ガックリだろう。
政界というのは魑魅魍魎たちの巣窟である。それを久しぶりに実感した。
「政倫審」の焦点は2つ。裏金化はいつから、なぜ始まったのか。そして会長だった安倍晋三元首相が2022年4月にキックバック中止を指示したにもかかわらず、同年7月の安倍の死後、誰がなぜ継続を決めたのかということである。
「しかし、政倫審では、安倍派座長の塩谷立元文科相(74)、2022年8月まで事務総長だった西村康稔前経産相(61)らの証言が一致せず、実態は判然としないままでした」(政治部記者)
森喜朗の1期下の野田毅元自治相(82)がこう語る。
「安倍派は、福田赳夫元首相が立ち上げた清和会を源流に持ちますが、分裂などを経て、現在の清和政策研究会という名称になったのは森さんが会長になった時(九八年)です。以来、オーナー的な全権は、ずっと森さんが握っていた。キックバック問題も含め、森さんの参考人招致を求める声が多いのは当然でしょう」
反旗を翻した中に2004年の初当選以来、安倍派に所属してきた柴山昌彦元文部科学大臣(58)がいる。896万円分のキックバックを収支報告書に記載していなかったと明らかにし、埼玉県連会長を辞職する意向を示している。
柴山がこう話す。
「私は弁護士資格を持ちますし、法的にキックバック分の記載義務があると考えていた。実際、以前は収支報告書に収入として記載し、清和会の事務局に頼み、収支報告書にも支出として記載してもらっていました」
だが、2014年頃、派閥事務局の職員から柴山の政策秘書に、「柴山先生だけ派閥からの寄付額が突出するので、他の先生と同様、キックバック分は記載しないでほしい」と連絡があったという。
「何度も秘書に確認してもらいましたが、事務局は『問題ない』の一点張り。違法性の認識があれば、派閥の要請でも引き下がらなかったのですが、〇五年のことがあったので、派閥で十分確認しているんだと思ってしまった」(柴山)
柴山が言及した2005年とは、国会で森派の裏金問題が表面化したことがあったことを指すそうだ。
「〇五年一月二十八日の衆院予算委員会などで清和会が、年四千万超の氷代や餅代(毎年六月と十二月に各議員に配られる手当)を出していながら、収支報告書に記載していないという疑惑が指摘されていたのです」(安倍派関係者)
2005年3月9日に共同通信は「パーティー券収入裏金化」という記事を配信していた。そこでは「昨年4月に開催したパーティーの場合、会長の森喜朗前首相ら森派幹部が都内ホテルの一室に若手議員を呼び、200万円のいわゆる「氷代」とともに、パーティー券の販売数に応じて上乗せしたカネを手渡した」と、今回と同じキックバックの構図が報じられていたのである。
清和会の5人衆が裏金問題で要職を追われ、復帰するにはまだ時間がかかる。そこで、森喜朗の悪だくみはこうだというのである。
森が期待を寄せるのは、福田赳夫のDNAを受け継いでいる福田達夫元総務会長(57)だという。最近の森は、
「今後は、達夫君を中心にまとめればいい。彼には若手の面倒を見とくように言ってあるから」。
中堅議員は福田を中心に、衆院の一部は萩生田や西村、参院は世耕を軸に、安倍派内に小グループをいくつもつくって、事実上、派閥を復活し、森が影響力を保持し続けるということだそうである。
老人ホームに入っている人間がそんなことまで考えるのかとは思うが、森は自分の力がなくなれば、誰かがリークして検察に捕まるかもしれないと怯えているのではないか。
危ない橋を渡りながら、塀の向こう側に落ちなかった森だったが、人生の最後に塀の向こう側に落ちるかもしれない。考えてみれば、森は夜も眠れないのかもしれない。
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