『不適切にもほどがある!』第7話 無展開でフリに徹したからこそ確信する最終回
#不適切にもほどがある!
8日放送の『不適切にもほどがある!』(TBS系)は第7話。いわゆる“フリ”の回ですね。最終回に向けて、視聴者に「あのころは楽しかったなぁ」と思わせるための、特に展開しない回。ただ美しくて、優しいだけの回。
ちょっと前のレビューで、このドラマはタイムマシンモノの「未来を変えてはいけない」という鉄則に抗おうとしているのかもしれないと書きました。それはつまり純子とオガワは震災で死ぬことになるけど、もしかしたらそれを回避するかもしれない、ハッピーエンドになるかもしれないという意味でした。
クドカンが、タイムパラドックスの鉄則を破ることに説得力を持たせて、誰もが納得する形でうまくやるんじゃないかと、そういう話だったんですが、ちょっとどうやら違うかもしれない。これ、やっぱりちゃんと悲劇かもしれない。そういうザワザワを感じさせる回でした。
振り返りましょう。
■もう社会的なアレはいいみたい
もともとクール序盤は昭和と令和のカルチャーギャップがどうこうとかで、けっこう社会を刺しにきていたこのドラマでしたが、前々回あたりからわりとどうでもよくなったようです。
もとい、ほんとは最初からどうでもよかったけど、最初のほうは一応取り繕って見せていた感じがするんですよね。それが、もう「どうでもいいよ」と宣言してしまった感じがある。
もはやコンプラ云々に対するドラマの問題意識は形骸化し、単に企画を成立させるためだけのエクスキューズに過ぎなくなった。個人の感想ですが、それ以降、このドラマは大変おもしろいと思ってます。
タイムスリップを50のクドカンが書いたら、どうなるか。どういう切り口にするのかというところには、めちゃ興味がわいてくる。切り口というのは、社会に対してではなく「タイムスリップ」というフィクション上のギミックに対して、今のクドカンがどう向き合うのかという。朝ドラもやったし大河もやったし、もう「ただ、おもしろい話」だけでは周囲も納得しないし、自身も満足しないでしょう。最終回がどうなるか全然わからないけど、なんか仕掛けてるんだろうな、何かをドーンとやるつもりなんだろうなという雰囲気がビンビンに感じられました。
そんな感じでドラマ全体の大仕掛けの概要が見えてくると、今回みたいな展開がなくて感情のフリをつくるだけの回はレビューで言うことがないんですよねえ。
ただただ、クドカンの巧さ、器用さを目の当たりにするだけの回でした。脚本家との会話にデートの内容をシンクロさせたり、オシャレでしたねえ。ドラマというのは、ある状況に人物を配置して、その配置に適した行動・セリフをあてがうという作業なわけですが、最終回が決まっていないと書けない脚本家に対して「最終回が決まってないなんて最高」とか阿部サダヲに言わせるところなんか、特に「技巧が冴えてんな!」と思いました。あとは、令和にきた純子ちゃん(河合優実)の良さがすごい。かわいい。
それにしてもなぁ。最終回が終わったら「社会派のドラマでこんなに感動させるクドカンすごい!」って、またまた評価上げちゃう未来が見えるなぁ。たぶん、タイムスリップドラマとして、すごくおもしろい終わり方をすると思う。そういう信頼感はある。あと3回ですかね。しかと見届けたい。
(文=どらまっ子AKIちゃん)
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