『光る君へ』直秀がまひろを誘い、想像する都の外「かの国」との交易と文化交流
#光る君へ
外国文化を日本風にアレンジする「国風文化」
平安時代の日本では、中国など諸外国の影響力が低下し、過去に輸入された外国文化を日本風にアレンジして愛好する「国風文化」が隆盛しました。独自の美意識が育まれたのも事実ですが、当時でも外国から運ばれてくる珍しい文物はクールなもの、おしゃれなものとして珍重された一方、流行り廃りもありました。
『源氏物語』には、不美人の没落令嬢で、時代おくれの代名詞のように描かれている末摘花が、ボロボロの装束の上に不似合いなくらいに立派な毛皮をまとって登場しています。なぜ、紫式部がわざわざ末摘花に毛皮をまとわせたか。これには理由がありました。かつて日本が交易していた渤海の特産品が毛皮だったからです。しかし、紫式部が生きたのは、渤海が滅亡してから50年以上は経過した時代でした。毛皮は依然、高価ではあっても以前ほどはファッショナブルなアイテムではなくなっており、それをあえて末摘花にまとわせることは、彼女が昔は富裕層だったものの没落した家系の姫で、最近の流行にはまったく疎い女性だということを一瞬で読者に理解させるのに最適だったからです。
実は末摘花には実在のモデルだと目される男性(!)がいます。平安時代中期の帝・村上天皇の母違いの兄だった重明親王の息子・源邦正です。彼は光源氏同様、源の姓をいただき、臣下に下った人物なのですが、顔色がいつも青白かったので、皆からは「青常の君」とあだ名され、軽く扱われるような立ち位置にまで没落していました。鎌倉時代前期に書かれた説話集『宇治拾遺物語』にも源邦正の名は語り継がれていました。鼻がやたらと大きく、その先が赤いなどの外見的特徴があったそうで、これは『源氏物語』の末摘花の特徴と同じなのですね。ほかにも源邦正にはヒゲが赤い(茶色い)などの特徴もあったそうです。
カンの鋭い読者はピンと来たかもしれませんが、源邦正は重明親王と、ペルシャ系などの外国人女性との間に生まれた子……かもしれないわけですね。
唐の街にはペルシャ系の美女が働く酒場などがあったことが知られていますし、日本が鎖国していなかった時代には、そうした「美女」が日本に流れつく可能性もありえたでしょう。また、重明親王は渤海を通じ、毛皮などの交易に熱心でしたから、他の貴族たちよりは、外国人との付き合いもあったことでしょう。しかし、国際色が残っていた親王の時代には「美しさ」だと考えられた外国的な容貌も、日本が鎖国し、外国との交流がとぼしくなった後世では、「異質さ」の象徴になってしまったのかもしれません。
紫式部にも、彼女の父・為時が国司に任命された当時は越前国(現在の福井県越前市)で暮らした経験がありました。日本海側の越前国は、かつては渤海、当時でも高麗、中国の宋王朝などとの私貿易の舞台になっていた可能性があります。もしかしたら、紫式部は越前の地で東アジア以外からやってきた外国人、もしくは外国人を父母に持つ人びとや、その子孫と接したことがあるのではないかと筆者は想像してしまうのです。すでに紫式部には、そうした外国的な容貌を「美しさ」だと捉える感性はなかったのかもしれませんが……。
今回は、直秀のセリフに出てきた「かの国」という言葉から、それこそ吉高由里子さんがNHK朝ドラ『花子とアン』のセリフで言っていたように、想像の翼を広げるようなことをしてしまいました。また次回、お会いしましょう。
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