サラリーマンボクサー阿部麗也、世界へ! 井上尚弥とも「やってやるよ」の心
#ボクシング
フィットネス会員としてボクシングジムに通い始めたサラリーマンが、世界タイトルに王手! IBF世界フェザー級1位でプレス工業に勤める会社員でもある阿部麗也(30)が3月2日(日本時間3日)、米ニューヨーク州のターニングストーンリゾート&カジノで、IBF世界フェザー級王者のルイス・アルベルト・ロペス(30)に挑戦する。かつては「プロボクサーを雲の上の存在として見上げていた」という男が、なぜここまで辿り着くことができたのか? 今なおサラリーマンとの“二足のわらじ”にこだわる理由は何なのか? 勝って世界王者になれば井上尚弥(30)との対戦も現実味を帯びてくるが、心の準備はできているのか?――大一番を目前に控えた阿部に話を聞いた。
――ボクシングファンにとってはおなじみの阿部選手も、一般の認知度はまだまだ低いと言えます。そこで本日は、阿部選手の生い立ちや、現在の生活環境、初の世界戦にかける思いなどを改めて紹介したいと思います。まずはボクシングを始めたきっかけから教えてください。
阿部麗也(以下、阿部) 父親がボクシングをよく見ていた影響で、僕も小学生の頃から見るようになって、「ボクサーって格好いいな」「将来はプロボクサーになりたいな」と思ったのがきっかけですね。で、ボクシング部のある地元・福島の高校に入り、「全国大会で優勝してやるわ」くらいの気持ちで頑張ったんですけど、高校時代の通算成績は7勝8敗の負け越し。ボクシングの厳しさを思い知り、もういいや、プロは無理だと諦めて、卒業後は神奈川へ単身引っ越して就職しました。その会社で今も働いています。
――一度はプロボクサーになる夢を諦めた阿部選手。またボクシングを始めるようになったのは、なぜでしょう?
阿部 入社1年目に同期と一緒に、「健康のためにボクシングのジムでも通うか」という話になり、職場から電車で10分程度のところにある、このジム(KG大和)にフィットネス会員として入ったんですよ。で、週に2日程度、仕事終わりに汗を流していたら、ある日、僕の動きを見ていた(片渕剛太)会長から、「プロを目指してみたら?」と言われました。
――そのとき、どのような気持ちになりましたか?
阿部 福島にいた頃は周囲にプロボクサーがいなかったから、プロのことは雲の上の存在として見上げていたんですよ。でも就職後にジムでプロの方たちを間近で見ているうちに、「あ、これ、頑張れば俺でも行けるんじゃねえか」という気持ちになっていたのは確かです。なので、会長から声をかけられたときは、「やってみるか」とスイッチが入りましたね。ただし、「やるからには最低でも週5はジムに来ないとダメ」と言われたので、それ以来、週5の仕事と週5以上のジム通いを両立させています。
――その生活、キツくないですか?
阿部 部活で鍛えていたし、子どもの頃から体力には自信があるので、キツさはあまり感じないですね。
――どんな少年時代だったのでしょう?
阿部 活発で、じっとしていられないタイプでした。興味のある運動はなんでもやりましたね。スノボも得意だったし、小中時代はずっとバスケ部だったし、中学では陸上や相撲、サッカーなどもやりました。
――砲丸投げで活躍したという話を聞きました。
阿部 中学のバスケ部の顧問が陸上部も掛け持ちしていて、最初はバスケの体力付けのために長距離走に参加させられたんです。それが嫌で、砲丸投げに逃げました(笑)。そしたら自分に合っていたみたいで、中3のときに県大会で6位に入賞しました。5キロの砲丸で、記録は11.5メートルだったかな。僕のボクシングはサウスポースタイルですが、砲丸も左投げでした。
――いわゆるスポーツ少年で、決して不良少年だったわけじゃないんですね?
阿部 不良ではないけど、喧嘩したら負けないという自信はありました。まあ、ワンパク君でしたね。
――当時のご家族構成は?
阿部 兄貴一人と、両親の四人家族です。父親は花屋さんに勤務していて、母親はスーパーでパートをしていました。
――お父様からは、厳しく育てられたんですか?
阿部 いや、そうでもないですよ。父親はガミガミ言わないタイプ。でも圧力はあるので、子どもの頃は怖く感じましたけどね。
――現在のご家族構成は?
阿部 嫁と小さな子ども二人と一緒に暮らしています。
――阿部選手のプロ通算成績は、29戦25勝(10KO)3敗1分。世界戦に至るまでの道のりは、決して順風満帆だったわけではありません。過去には日本タイトル挑戦に二度失敗していますが、そこで心が折れなかったのはなぜでしょう?
阿部 二度目の失敗のときも、僕の中では不完全燃焼だったし、まだまだ全然行けるという感覚があったので、辞めるという考えはなかったです。落ち込むより悔しくて、次を見ていましたね。嫁からもケツを叩かれました。「なんであのとき行かなかったの?」「なんか変えなきゃダメだよ、あんた!」と。二人で泣きながらいろいろ話し合いました。
で、何かを変えなきゃと思って、海外のフィリピンまで練習しに行ったり、このジムだけじゃなくフィジカルやパーソナルのジムにも通うようになり、会社にも残業を免除してもらえるようにお願いして、そこからボクシングに対する向き合い方が変わりましたね。
――どのように変わったのでしょう?
阿部 それまでは距離を取って、自分が優位に立ってボクシングをしていたけど、二度目の日本タイトル戦のときの相手が自分と似たタイプで、そこで自分よりちょっと勝っていたので、今後は場面によっては自分から距離を潰して展開を作っていかないといけない、と。自分に足りないものが明確になったので、そこを意識的に練習するようになり、再起戦を勝ち上がるうちに自信もついてきて、心身ともに変わったという実感がありますね。
――ご自身のボクサーとしての長所を教えてください。
阿部 スピードとフットワーク、パンチのキレ、カウンター。それが自分の得意とする部分です。今にして思えば、バスケの経験が生きているなと。体重移動とかフットワークを使いますからね。あと、スノボや相撲も足腰を鍛えるのに役立ったし、砲丸投げも体の使い方が上手くないと飛ばないので、強いパンチを打つ動作に生きていると思います。
――ご自身の性格は?
阿部 良くも悪くもクールで、カッとなることはあまりないですね。あと、良くも悪くも雑と言いますか、深く考えずに行動が先に出るタイプでもあります。なんとかなるだろ、まあ行けるんじゃないか、というざっくりした感覚で生きています。ただ、やると決めたらやり遂げる。そういう責任感は強いほうですね。
――日本タイトル獲得後の流れがとんとん拍子であるため、阿部選手は「運が強い」とも言われています。
阿部 そうですね、本当にツイていると思います。日本タイトルや地域タイトルを取ってからも世界に行けない選手が大勢いる中、自分は日本タイトルを取って防衛戦を一度やってから、すぐに世界タイトル挑戦権の話が来て、勝ったらすぐに世界戦。そういう巡り合わせに関しては、運を持っていますね。今にして思えば、あのとき(二度目の日本タイトル戦に)負けてよかったな、とさえ思います。負けた結果が今につながっているわけですから。
――現在の精神状態は?
阿部 来るとこまで来たので、あとはやるだけ。気負いはないですね。ボクサーなら誰もが憧れるアメリカで世界戦をできるので、不安よりも楽しみのほうが強いです。
――世界戦を目前に控えた今も、プロボクサーとサラリーマンを両立させている阿部選手。普段のタイムテーブルを教えてください。
阿部 朝7時に起きて、8時から17時まで仕事をして、いったん帰ってからロードワーク。で、一息ついて、20時から22時までジムワーク。家に帰るのは22時半か、23時頃。寝るのは翌1時ですね。
――ジムワークが2時間というのは、他のプロボクサーと比較してどうなのでしょう?
阿部 いろんなトッププロとしゃべっていても、みんなその程度みたいですよ。2時間以上やる人は少ない。ボクシングはマラソンと違うので、短い時間に集中して練習したほうが良いのかもしれません。
――お仕事の内容を教えてください。
阿部 自動車の部品メーカーで、工場の現場作業を担当しています。ロボットが溶接した部品が出てくるので、それをチェックして、不具合があったら溶接したり削ったりして、終わったら次、という作業ですね。常に立って体を動かしています。
――ボクシングに専念するため、お仕事を辞めようと思ったことは?
阿部 世界ランク入りして、スポンサーからいい話が舞い込んできた頃に、実は一度、仕事を辞めようと思ったことがあります。上司にもその旨を打ち明け、「お前はボクシングをとことん頑張れ」と理解してもらえたんですが、うちの父親に「俺、仕事を辞めるわ」と電話で報告したら、反対されましてね。「お前はここに来るまでに会社に応援してもらったり迷惑をかけたりしたわけだろ? それで急にスポンサーからいい話が来たからって、コロッと行くというのは、都合が良すぎるんじゃないの?」と。
父親も花屋さんで働いていて、かつて他の花屋さんから「もっといい給料を払うからうちに来なよ」と引き抜きの話があったらしいんですけど、断ったそうです。「お金も確かに大事だけど、もっと大事なのは恩や義理だろ。むしろ、もっと結果を出して、今いる会社からもっと応援してもらえるように頑張ればいいじゃないか」と言われまして。説教じみた感じじゃなく、最終的にはお前の好きにすればいい、というニュアンスでしたけど、父親の言葉を聞いて、確かにそれもそうだな、と思い直しました。で、プレス工業で働いたまま、まずは日本王者にまではなろうと決めました。
――実際に2022年5月に日本王者となりました。その後、長谷川穂積選手の3階級制覇を阻止したことで知られるキコ・マルチネス選手を2023年4月のIBF世界フェザー級挑戦者決定戦で下し、いよいよ世界タイトルに王手をかけましたが、それでも会社で働き続ける理由は?
阿部 自分はエリート街道を歩んできたわけじゃないし、井上尚弥選手みたいにプロ無敗の強さを誇るわけでもない。ボクシングのスタイル的にも決して派手ではありません。となるとこの先、世界チャンピオンになったとしても、あまり注目されないんじゃないか。だったら、サラリーマンであることにこだわり、そこをアピールポイントとして発信したらどうだろう、と少し前から考えるようになりまして。世の中には社会人がたくさんいますから、そこって、多くの人が共感できるポイントだと思うんです。だから「自分は社会人でありサラリーマンだぞ。みんなと一緒なんだぞ。そんな中で夢を追いかけていますよ」ということを打ち出していきたいと考えています。
――井上尚弥選手の名前が出ました。気の早い話で恐縮ですが、もし阿部選手が今度の世界戦に勝てば、ゆくゆくは井上選手と激突する可能性も出てきますね。
阿部 今、国内で井上選手と戦う可能性が最も高いのは、自分ですよね。井上選手がスーパーバンタム級で防衛戦をしたのち、フェザー級に階級を上げたときに、自分がもしIBFのチャンピオンの座にいたら、まあ真っ先に狙われるでしょうね。
――その日のことを多少はイメージしていますか?
阿部 ボクサーとして井上選手と試合をやれるのはありがたいことだし、とても光栄なことなので、もし実現するなら「やってやるよ」という気持ちです。
――それを実現させるためにも、まず倒すべきは、次戦で激突するIBF世界フェザー級王者のルイス・アルベルト・ロペス選手です。ロペス選手の通算成績は31戦29勝(16KO)2敗。変則的な強打を武器とするメキシコ人ファイターですが、攻略法は?
阿部 立ち上がりが肝心だと思っています。相手はしょっぱなからデタラメな感じで振り回して来るでしょうから、それに飲み込まれないことが大事です。序盤はポイントを取られてもいいけど、ペースは握らせない、みたいな。立ち上がりの猛攻に対して、フットワークなりガードなりを使ってしっかり対応したいです。なおかつ相手のパンチを空転させて、自分のパンチを当てられるのがベスト。中盤くらいから相手の隙が必ず出てくるので、そこを逃さず狙っていきたいですね。
――「熱くなって打ち合わないのが阿部の良さ。そこに勝機がある」と語るボクシング通もいます。日本が誇るクールなアウトボクサーの戦いぶりに注目したいと思います。ところで、いつまでお仕事のご予定ですか?
阿部 2月24日にアメリカへ出発するので、前日の23日は休みで、22日まで勤務する予定です。そして、試合の翌日の飛行機で帰るので、3月4日の夜に日本に到着し、6日から勤務を再開する予定です。
――職場のみなさんの反応は?
阿部 社員の多い会社なので、僕のことを知らなかった人も大勢いて、「何? 世界戦やる奴がいるの?」って感じで盛り上がっています。最初は有給休暇を使って渡米する予定だったんですけど、会社の上の方が便宜を図ってくださるみたいで、もしかしたら有給を使わずに済むかもしれません。
――応援の輪が社内外でさらに広がっていくといいですね。では最後に、読者にメッセージをお願いします。
阿部 自分はこういう何者でもない、ただのサラリーマンです。そんな人間が世界を取って、みんなに夢を与えたいと思うので、注目してもらえたら嬉しいです。
試合の模様は日本時間3月3日(日)午前10:00頃より、WOWOWオンデマンド(https://click.j-a-net.jp/1785320/1052363/)にてライブ配信される予定。一世一代の大勝負に挑むサラリーマンに、日本から熱い声援を送ろう!
(取材・文=岡林敬太)
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