『不適切にもほどがある!』第4話 企画と脚本家のやりたいことが全然違うのでは?
#不適切にもほどがある!
16日放送のTBS金曜ドラマ『不適切にもほどがある!』は第4話。もう10年も20年も前の話だから今は違うのかもしれないけれど、取材か何かでクドカンが言ってたことがあるんです。
自分は書かせてもらえない時期が長かったから、書かせてもらえる仕事は断らない。
さすがに今は国内屈指の人気脚本家先生ですから全部のオファーを受けるなんてことは物理的に不可能でしょうけど、今回を見てなんとなく思い出したんです。そういえば、あんなこと言ってたな、クドカン。
前回のレビューで、このドラマは作劇にかける情熱とメッセージ部分にかける情熱が、あまりにかけ離れているように見えると書きました。ここで言う作劇とは「面白い」を作ることで、メッセージとは「時代による文化・風俗の変遷と、その是非を問うこと」です。「面白い」にはとことん真剣に取り組んでいるけど、「文化・風俗の変遷とその是非を問う」については、懐かしい(昭和)&目新しい(令和)ガジェットだけ登場させてテキトーに済ませている。今回、特にそう感じました。
■タイムスリップコメディとして
2つの時代に同一人物を置いて、主人公を行き来させながら恋愛したり青春したり。時にパラドックスに阻まれたり、思い通りに時間旅行ができなかったりというトラブルに見舞われながら、つじつまを合わせていく。『バック・トゥ・ザ・フューチャー』(85)の例を見るまでもありませんが、タイムスリップものの最大のカタルシスは「つじつまが合う」ことです。
誰が誰の親だから、ここがくっついたらダメ。この時代に放たれたたったひとことの言葉が、別の時代を大きく変えていく。謎と伏線をばらまけばばらまくほど、つじつまが合ったときの快感は大きくなりますから、脚本家にとっては腕の見せ所だし、一生に1回くらいはチャレンジしたいものなのでしょう。『BTTF』は1時間56分しかないけど、それが連ドラなら10数時間が与えられるわけです。謎は残し放題だし、伏線は張り放題。そんなの、楽しいに決まってるんだ。
今回も、昭和の純子(河合優実)とムッチ先輩(磯村優斗)、キヨシ(坂元愛登)の三角関係についての描写は楽しかったし、スカイラインRS TURBOの登場には「『西部警察』だ!」と思わずにっこりします。令和でヨボヨボの古田新太が元気印の阿部サダヲに「お父さん、ですよね……」と打ち震えるシーンなど、まさしくタイムスリップ物語のひな型みたいでわくわくするものです。これだけやってればいいのに、と思うけど、それじゃ企画が通らないんでしょうねえ。
■時代の変遷を問う者として
一方で、昭和に舞い戻った令和の社会学者・サカエ(吉田羊)が、将来の夫である少年に「おまえが男好きなのは女にモテないからだ」という暴論を吐いたシーンを筆頭に、『俺はチアリーダー』という新ドラマのタイトルにクレームが入った話とか、それに対する局側の対応とか、どうにもスイングが一定じゃないんです。
インティマシーコーディネーターという時代の象徴ともいうべき職業を登場させておきながら、まるで昭和みたいな高圧的な芸能マネジャーも同時に出しちゃうことで、事前にすり合わせて了承を取りましょうという本来のコーディネーターとしての役割をスポイルしてしまっていたり、業務連絡に使っているLINE(のようなアプリ)を一緒くたに「SNS」と呼んで「本気で取り組むもんじゃない」と断言する粗雑さだったり、企画としては「昭和のシンボルであるオガワによって令和を撃ちたい」という青写真がくっきり見えてるのに、それを現像する脚本家が全然撃ちたくない、むしろ「真剣に撃とうとしてませんよ」というエクスキューズを得るために、あえて令和の問題をデフォルメしているように見えるんです。
今回の性差の問題にしても、前回のテレビのコンプライアンスの話で「うどんがシコシコ」「カニクリームコロッケの中がトロトロ」を問題視するシーンだったり、茶化してるだけでコメディにもなっていない切り口をずっと見せられてる感じ。
で、思うんですよ。社会的なテーマを含んだタイムスリップをやりたいとクドカンのところに話がいって、タイムスリップをやりたいクドカンが作品を成立させるために渋々社会的なセリフを書いてるという構図が思い浮かぶんです。
だって、本気で令和を撃とうとしててこの見識じゃ、それこそ時代錯誤だもん。
おそらくこのドラマは、クドカンがタイムスリップものをどう組み上げて、どうつじつまを合わせてくるか、というところにだけ注目して見ていたほうが楽しめるし、健全だと思います。
(文=どらまっ子AKIちゃん)
サイゾー人気記事ランキングすべて見る
イチオシ記事