『光る君へ』平安のモテ要素と最新話で描かれる「漢詩の会」と道長の文学的才能
#光る君へ
──歴史エッセイスト・堀江宏樹が国民的番組・NHK「大河ドラマ」(など)に登場した人や事件をテーマに、ドラマと史実の交差点を探るべく自由勝手に考察していく! 前回はコチラ
前回の『光る君へ』、主人公・まひろを演じる吉高由里子さんの熱演、そしてタイトルにもなった「告白」には涙してしまいました。吉高さんといえば、2014年のNHK朝ドラ『花子とアン』における安東はな役のさっそうとした佇まいを今でも印象として記憶に残っているのですが、大正時代の女学生のような台詞回しの紫式部も良いものですね……。
さて、今回も興味を惹かれたトピックについて、つらつらとお話させていただきます。
前回、女官たちが、道長(柄本佑さん)たち右大臣家の3兄弟を見て、「あの3兄弟、背が高くてかっこいい」と口にするシーンがありましたが、当時も「高身長」はかなりのイケメン要素でした。平安時代では、殺生を禁ずる仏教の教えに影響されながらも、貴族たちは私邸内では肉や魚も食べていたことが知られており、その食生活の影響もあってか身長は江戸時代ほど低くはなかったとされます。
しかし、身長が高すぎても一般的にはモテなかったようですね。
紫式部が『源氏物語』の「空蝉」の帖において、薄暗がりで光源氏が、背が高すぎるとされた、「民部のおもと」という女房と間違えられる記述が出てきますが、現在でいえば170センチ代後半程度がいちばんモテる男性の背丈といえたのかもしれません。まぁ、これは紫式部の目には、その程度の身長の男性が一番魅力的に映ったということに過ぎないのかもしれませんが……。
なお、当時の装束の大半はいわゆるフリーサイズで、着付け次第で、どんな体格の人でも着ることができます。装束を実際にまとってみるとよくわかるのですが、見栄え良く着こなすには上背だけでなく、肩幅もなくてはならない要素のようです。昨年、NHKで放送された男女逆転版の『大奥』では、和宮役で岸井ゆきのさんが装束姿を披露なさいましたが、華奢で小柄な女性がまとうと、雛人形の男雛さまのような愛らしい感じになって、すくなくとも「威厳」とか「恰幅の良さ」にはつながりませんでしたからね……。
余談ですが、「目が細くて下膨れ」などとよく言われる平安時代特有の美女像・美男子像は、平安時代~鎌倉時代初期、西暦12世紀はじめごろに制作されたとされる『源氏物語絵巻』の絵柄を元にした推測で、『源氏物語』の記述からは、男女ともにすらっとしたスマートな体型、はっきりした目鼻立ちが好まれたといえるようです。これらについては、またそのうち詳しくお話する機会もあるかもしれません。
さて、次回の『光る君へ』では「漢詩の会」として、平安時代の貴族たちが競い合った「作文会(さくもんえ)」が取り上げられるようですので、道長の文学的才能について、今回は少し掘り下げてお話したいと思います。
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