松本人志のいない『IPPONグランプリ』競技性の純度と価値観の発明、あと靴下の話
#松本人志 #バカリズム #IPPONグランプリ
3日に放送された『IPPONグランプリ』(フジテレビ系)の第29回大会。週刊誌報道を受けて活動休止中のダウンタウン・松本人志に代わり、バカリズムがチェアマン代理を務めることが報道されて大きな話題を呼んだ当番組だが、終わってみれば大きな混乱や違和感もなく、ロバート・秋山竜次の優勝で大団円を迎えた。
大役を仰せつかったバカリズムも普段通りの飄々とした振る舞いで、ときにお題を補足してみせたり、出場者の回答を解説したりしながらチェアマンの役割を滞りなく果たしていたように見えた。
おそらくバカリズムは今回「チェアマン代理」という仕事を受けるにあたって、その役回りを研究したはずだ。前回、松本がチェアマンを務めた第28回の『IPPON』と見比べてみると、発言の量やタイミングは驚くほど一致していた。
『IPPON』におけるチェアマンは、そもそも「チェアマン」などという権威染みたネーミングが付いているものの、番組の進行に必要不可欠な立場というわけではない。進行と実況はベテランの伊藤利尋アナウンサーが担っているし、採点は別ブロックの出演メンバーが行っている。チェアマンとスタジオとの絡みはオープニングとブロックの幕間に限られており、『IPPON』の勝敗には一切、影響を及ぼさない。
どちらかといえばこの“競技大喜利”を視聴者と共に楽しむという立場であり、いわゆる副音声、今風にいえば裏実況のような、一緒にテレビを見ている「お笑いに詳しい兄ちゃん」くらいの役割である。何しろ権威性が必要ないのだから、前回まであの席で競技に参加していたバカリズムがチェアマンに回っても違和感がないのは当然だろう。
松本人志がいなくなって、テレビはどうなってしまうのか。お笑いファンの間ではこのところ、そんな話ばかりだ。だが、『IPPON』に限って言えば、別に問題がなさそうである。今回も面白かったし、結局のところいい回答が多く出れば盛り上がるし、そうでもなければ盛り上がらないという性質の番組に仕上がっている。
松本がいなくなって感じたのは、やはり『IPPON』という番組の純粋な競技性だった。フリップに回答を書いて答えるとか、「写真でひと言」とか、そのフォーマットが芸人の発想を引き出しやすいという事実を発見したのは明らかに松本だったはずだ。だが、それを才能ある後輩たちに競わせる番組を作ろうとしたとき、松本はおそらく、一歩引いたのだと思う。なるべく自分の発想や存在感が競技に影響を及ぼさない立場を作り、そこに収まることによって競技としての大喜利の純度を高める。芸人の発想そのものを主役にする。自らが“お飾り”になる。
番組初期から松本がそうした考え方で「チェアマン」という別室から出てこなかったからこそ、『IPPON』は多くの芸人に恩恵を与えてきた。
出場27回、優勝6回のバカリズムはもちろん、麒麟・川島明も『IPPON』の優勝が飛躍のきっかけだったと明かしていたことがある。有吉弘行やおぎやはぎ・小木博明、ネプチューン・堀内健など「大喜利が意外に強い」ということで再評価を受けた芸人も数知れないし、そもそも芸人の評価軸やキャラクター付けに「大喜利が強い/そうでもない」という要素を生んだのも『IPPON』だったはずだ。松本が発明したのは単に「フリップ大喜利」という手法ではなく、お笑いにおける「大喜利力」という価値観だったのだ。今回の松本のいない『IPPON』を、そんなことを考えながら見た。
それとは別に、前回の第28回『IPPONグランプリ』を見返していて、なんだこの話は、と思った一幕がある。オープニング、松本がおもむろに始めたエピソードトークだ。
「靴下がなくなることがあるじゃないですか、片方が。なくなったんですよ、こないだ。だいたいなくなっても、いつかは出てくるんですけど、どうやら今回ホントに出てこなくて。昔は、出てこなかった靴下に対して腹立ってたんですけど、ふっと僕思ったんですけど、考えたら、残ってる靴下のほうがムカついてきて。いやいやおまえも一緒にいなくなってくれたら、俺は靴下がなくなったことも気づかんで済んだかもしれないわけじゃないですか。結局、残ってるこいつが悪いんだよな、残ってるおまえのせいで存在がなくなったことの存在を強調させてるわけですよ」
もちろん、単なる偶然と松本の気まぐれの産物である。それにしてもダウンタウンすぎないか、この話。
(文=新越谷ノリヲ)
サイゾー人気記事ランキングすべて見る
イチオシ記事