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KIBA x 最鋭輝 ロング対談 アーティストとしての探求心~メタルとロカビリーの共通点は?

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 かつて日本の音楽シーンにおいて、メタルがメインストリームに近い存在だったときがある。それらはジャパニーズ・ヘヴィメタル、通称「ジャパメタ」と呼ばれ、1980年代の音楽シーンを彩った。LOUDNESSやANTHEMをはじめ、聖飢魔ⅡやX(現 X JAPAN)、Gargoyleなど多種多様なバンドがデビューしていった。

 90年代に入ると時代の流れとともに、メタル市場は世界規模で徐々に縮小していく。その一方で、熱狂的なファンに支えられながらメタルは消えることなく発展していく。殊に日本においてはXの流れでヴィジュアル系が誕生するなど、独自の発展をし、現在に至る。

 2022年のデータになるが、高校生男女に対して「好きな音楽ジャンル」が何かのアンケート調査が行われた。

 結果は男子高生の1位がJ-POP、2位がアニメ/ゲームソング、3位がK-POPと続き、4位がROCK・POPS、5位がクラシック……となる。女子高生は1位がJ-POP、2位K-POP、3位アニメ/ゲームソング、4位ROCK・POPS、5位クラシックとなり、ほぼ変化はない。ちなみにこれはランキングに載っているものに加え、ラップ・ヒップホップ、R&B・ソウル、クラブ・ダンス、ハードロック・メタル、ジャズ、ブルース、歌謡曲、演歌……などの選択肢がある中から選んでもらったものだ。ちなみにハードロック・メタルは男子が11位、女子は12位以下。全体の3%以下であった。

 もちろんJ-POPやアニソンにハードロックやメタル要素の強い曲が多く存在するので、調査対象となった高校生たちが厳密にジャンルをどう解釈しているかによって変化してしまうことも考えられるが、曲単体ではなくジャンルとして出された場合の結果が上記だったのだ。

 数字だけみると矮小ジャンルと言わざるをえないメタルだが、大きな人気を得て成功しているバンドも存在している。メタルというジャンルが持つ特有の障壁をはねのけ、1987年の結成以降、現在も一線で活躍し続けるGargoyleのボーカリスト・KIBA。前回は彼単体のインタビューをお届けしたが、今回よりゲストを招き、対談形式に変え、音楽を中心にしながらもノンジャンルに様々なことを掘り下げていく。

 その最初のゲストはソロシンガーである最鋭輝。

 最鋭輝はロカビリー然とした風貌をしながらも、抜群のセルフプロデュース力と不断の努力でキャリアを形成してきた男だ。ロカビリーは上記アンケートに項目として存在もしていない。どこまでジャンルを細分化するかにもよってしまうが、ある種、メタルと近い境遇といえよう。トークセッションでなければなかなか実現できない二人の共演をいまここにお届けする。

左:KIBA 右:最鋭輝(撮影:石川真魚)
左:KIBA 右:最鋭輝

―― お二人は音楽ジャンルが全く違いますが、どこでお知り合いになられたんですか。

最鋭輝:最初は『アラジンとスターオーシャンと秘宝』(編集注:通称・アラスタ。ヴィジュアル系ロックバンド・Psycho le CémuのドラマーであるYURAサマが座長を務めた出演者のジャンルの枠を超えたコラボレーション・ロックミュージカル)ですよね。

KIBA:『アラスタ』で共演してからですね。大きいイベントライブの幕間に、弾き語りやMCをやってらして、ユニークな人がいるなって知ってはいたんですよ。『アラスタ』ってお芝居だったから2ヶ月くらい稽古とかあって、一緒の時間を過ごすうちに徐々に仲良くなっていきましたよね。

最鋭輝:僕はもっと前からKIBAさんのことを知っていたんですよ。僕の世代っていわゆるジャパメタブームだったので、学生の頃はみんなメタルが大好きだったんです。大学のサークルはフォークソング愛好会だったんですが、みんな金髪で長髪でした(笑) 僕も長髪だったんですよ。

 Gargoyleはその当時、既に大物バンドでした。とにかく曲が速くてツーバスドコドコのスラッシュメタル。それなのにボーカルが天草四郎みたいな見た目で、なんかすげぇバンドがいるって話題だったんですよ。

 KIBAさんの歌声って唯一無二じゃないですか。だから正直怖いってイメージがあったんですよ。でも実際お会いしてみるととても優しくて、ずっと仲良くさせてもらっているのが夢のようです。

KIBA:いやいや。僕はバンドやって長いし、知り合いもたくさんいるけれど、最鋭輝さんこそ界隈じゃ一番優しい人なんじゃないですかね。

最鋭輝:そんなことないですよ(笑)

KIBA:だって『アラスタ』の稽古って、稽古場が毎日変わって不慣れな土地に行くこともあったじゃないですか。まだスマホもなかったから、駅への行き方や乗り換えなんかも分かんなくて。それで困っていたら、最鋭輝さんが「一緒に帰りましょう」って言ってくれて、駅のホームまで一緒に行ってくれたんです。

 でも、ホームに着いたら「ここですからね」って言って、戻って行っちゃうんですよ。どこ行くんですか、って訊いたら「僕はこっちじゃないんです」って。普通一緒の電車なんだって思うでしょ。口で説明するだけじゃなく、わざわざ自分とは関係ない駅のホームにまで一緒に行ってくれる人はなかなかいないです(笑)

最鋭輝:確かにそんなことありましたね(笑)

―― KIBAさんは最鋭輝さんのミュージシャンとしての活動は知っていたんですか。

KIBA:僕は正直あまり知らなかったですね。最鋭輝さんがロカビリーということも分かっていなかったくらいで。

 仲良くなってから、銀座で歌ってるって聞いて観に行ったんです。路上の弾き語りだったんですけど、お客さんは歩道で紙テープを投げたりしていて、エンターテイメントなショーとして成立してたことに驚きました。

―― 銀座の路上で弾き語り……そこに至るまでの最鋭輝さんの音楽遍歴を教えてください。

最鋭輝:大学生の頃に新宿ACB(アシベ)ってライブハウスに出たとき、対バンのロカビリーバンドに感動して、自分も始めてみたんですよ。僕はジャパメタも好きでしたが、クールス(※舘ひろしが所属していたこともあるバンド)やキャロル(※矢沢永吉を輩出したバンド)も大好きだったので。そのバンドって3ピース(※ギター、ベース、ドラムの最小単位構成のバンド)で音はスカスカだったんですが、自分がギターボーカルって初めての経験ですごく楽しかったんですよね。

 日本のロカビリーシーンって広くないから、仲良くなる人がすぐに増えていったんです。その関係で、原宿にあったラブミーテンダー(※エルヴィスプレスリーの専門店。現在実店舗は閉店し、オンラインストアのみ)でバイトとかさせてもらったりしていたら、『元テレ』(※『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』。1985~96年に放送されていた伝説的なバラエティー番組)のディレクターに「ロカビリーバンドを集めてくれない?」って声をかけられて、僕が集めたりしてたんです。テレビに出たもんだからあれよあれよと有名になってしまって、レコードとかもすごく売れたんですよ。

 このバンドでそのままやっていけるんじゃないかって期待もあったんですが、大学4年のときに僕を除いた2人が就職するってことで辞めちゃったんです。だけど僕はそのままラブミーテンダーで働いていました。そしたらバンドに入らないかってまた声をかけられたんです。そのバンドで活動していたら、今度はクールスの事務所から声をかけられて。その流れでテイチクレコード系列から1stアルバムを出させてもらいました。

 でも、自分の音楽ができなかったんですよ。ロカビリーシーンっていうのは、実はあまりオリジナリティーが求められず、カバー曲が主体の世界なんです。ライヴでは、古い定番カバー曲が絶対的に盛り上がってしまう。オリジナル曲で勝負できないことに一定の理解はしていたんですが、自分のオリジナルをやりたいって、葛藤がありました。

 1stアルバムまではその環境に我慢したんですけど、徐々に居心地が悪くなってきて、25歳の誕生日の時にメンバーに辞めさせてもらいました。

KIBA:デビューしての脱退っていうのは、バンド内でどう受け止められたんですか?

最鋭輝:お前はお前の音楽やった方がいいよって、快く送り出してくれましたね。そこからやっと自分の音楽をちゃんと見つめて、曲を書いていくようになりました。

 実は5年前に一度そのバンドに復帰して1枚だけアルバムを出したんです。ソロ活動が忙しいのでずっと続けられなくて、また辞めましたけどね。ロカビリーは自分の故郷でもあるんで、たまにそういう活動も良いなって思うんです。

KIBA:シャンソンとかも好きでしたよね。

最鋭輝:好きですね。美輪明宏さんや金子由香利さん、その界隈では有名な方たちのコンサートを観に行ったりしていました。シャンソンは歌っている人は変わってないのに、曲ごとに主人公が演じ分けられたりするんです。落語のような感覚もあって、つまりはもう一人芝居なんですよね。それが本当に刺激的で。

 シャンソンは無理としても、自分でも何か一人芝居ができないかなって考えたときに、弾き語りだったんです。弾き語りなら曲を止めてセリフ言っても良いわけじゃないですか。それで、銀座に至ると。

KIBA:どうして銀座だったんですか?

最鋭輝:弾き語りをするにあたって、表参道とか下北沢とか色んな街に行ったんですよ。でも必ず誰かがいるんですね。そんな中で唯一誰もいなかったのが、銀座だったんです。

 それで恐る恐る鳩居堂の近くで始めてみたんですよ。そしたら足を止めてくれる人がけっこういて、お捻りももらえたんです。これは最高なアルバイトだなって。

―― 弾き語りはオリジナルとカバーどちらをやられるんですか?

最鋭輝:オリジナルもやりますが、やっぱりカバーを求められますね。

KIBA:カバーから逃れたくてソロになって、またカバーにとらわれましたか(笑)

最鋭輝:本当にそうなんです。だけどお客さんにとても盛り上がっていただけるし、レパートリーに無い曲だった場合、明日までに覚えてきますって言うと、翌日に本当に来ていただけたりもするんです。それがまたすごく嬉しいんですよ。オリジナルで勝負したい葛藤はありつつ、でもお客さんが喜んでくれると「プロってこういうことなのかな」なんて思ったりもしました。Gargoyleは路上ライブとかやられたことあるんですか?

KIBA:原宿のホコ天とか路上でのライブが流行った時期もあったんですけど、路上でやったことはないですね。流行り始めた頃には、活動がちょっと大きめにもなっていましたし。それに、ライブハウスにお金を払って観に来る価値があるものをやりたいというか、それぐらいのことをやらなきゃダメだ、みたいな気持ちもあったりしました。

最鋭輝:プロフェッショナルな考えとしてはそれが当然ですよ。

KIBA:そう言えば銀座に住んでたことまでありましたよね。銀座で歌うだけじゃなく、銀座に住んでいる男になるって(笑)

最鋭輝:ありました(笑) 家賃4万1000円の四畳半風呂なしアパートでしたね。寝ると部屋が傾いているのが分かるようなところで。

KIBA:どのくらい住んでましたっけ。

最鋭輝:1年くらいですね。でも大変でしたよ。銀座って当時、コインランドリーが築地のほうまで行かないとなくて。銭湯は2軒あったんですけど、両方とも月曜日が休みだったんです。だから月曜はお風呂に入れないんですよ。それにネット環境がなくて、部屋にいると自分のホームページが更新できなかったんです。

KIBA:いまも銀座路上の弾き語りは続けてるんですか?

最鋭輝:鳩居堂から別の場所に何度か場所を変えて続けていたんですけど、銀座の街が再開発で変わっていったり、自分のライフスタイルが変わっていったこともあって、いまはやっていないんです。

―― ここまで最鋭輝さんのお話を聞いて、KIBAさんはご自身の活動やメタルに通じる点とか、何か感じたものはありますか?

KIBA

KIBA:ちょっと近いなと思ったのは、お客さんがすごく盛り上がってくれるというお話ですね。ロカビリーの世界は広くないって最鋭輝さんの言葉がありましたが、メタルも一部の人が熱狂的に支持してくれているジャンルということでは同じです。

 最近になってGargoyleはメタルのイベントに呼んでもらえることが増えました。それまではヴィジュアル系イベントがほとんどだったんですが、興味あるお客さんと無いお客さんがはっきりする傾向にあるんです。だけどメタルってお客さんがジャンル自体に愛があるから、めちゃくちゃ盛り上げてくれるんですよ。ステージに立つだけでも歓声を上げてくれたりして、やっていて楽しい。

最鋭輝:分かります。僕もロカビリーをやっている分にはお客さんはすっごく優しかったです。

KIBA:だけど、その優しさに甘えちゃダメですよね。逆にそこに危機感も覚えました。僕らはメタル以外のイベントに出る機会も多いので、ここでその気になってたら、他じゃ通用しなくなるかもしれないって。

最鋭輝:僕は、ロカビリーをやめた途端にお客さんがゼロになりましたよ。ニッチ産業ってわけじゃないけれど、ちょっとマニアックなカルチャーが好きな人が集まるんで仕方ない部分はありますよね。

KIBA:いま最鋭輝さんがやってるジャンルはなんだって訊かれたら、どう答えるんですか?

最鋭輝:ムーディスト・最鋭輝、ですね。自分に付随する音楽としてムードを売る商売。それはもうムーディストだから、それで良いと思うんですよ。

KIBA:ライブの最初のほうで「今世紀最初で最後のムーディスト」って言いますもんね。

最鋭輝:そうなんです。その決め台詞みたいなことを言ってから、薔薇の花をお客さん1人に差し上げています。

KIBA:毎回1人だけ?

最鋭輝:はい。何となく目が合って、楽しそうな人とかにです。完全にランダムで選んでます。

 とはいえライブをしながらずっとお客さん側を見てて、この人は前あげたなとかも考えたりはします。ステージからお客さんの顔ってやっぱり見えますから。

KIBA:大きさにもよりますけど、ステージって案外細かいことまで見えてますもんね。あの人この曲はのってる、この曲はのらないんだ、あの人はここで手を挙げるけど、この人は挙げない、とか。

 それを見ながらやるのも、ライブの醍醐味の1つだったりしますし。1曲目のときはしかめっ面していた人が、ライブの後半になって楽しそうにしてるみたいな。そういうのを見るとすごい充実感があったり。

最鋭輝:すごく分かります。

―― 最鋭輝さんは昨年、新宿ロフト公演を大成功させたと聞きましたが、かなりの量のチケットを手売りなさったという話は本当ですか。

最鋭輝:はい。1年前にロフト店長から200枚渡されたんですよ。それを受け取って、「んじゃこれを全国で売ってきます」って(笑) もちろんプレイガイドなどで売れた分もありますが、当日はトータルで254名の入りとなりました。札幌から福岡、九州まで回って、やりきりましたね。

KIBA:すごいですよ。弾き語りだから、本当に1人だけでですもんね。全国はどうやって回ったんですか?

最鋭輝:ギター担いで1人在来線に乗って街から街に移動って感じですね。色んな場所を人に紹介してもらって、それをつなげていくんです。でも昔からの流れで、ここではあの店、あそこではこの店っていうのが1軒くらいはあって、そこを起点に動いていきます。

 とにかく交通費を掛からないようにしたいんで、京都から大阪、大阪から神戸みたいに細かく移動するんです。そうすれば朝もゆっくりできますしね。

KIBA:全国を回っていて、ライブで渡す薔薇が切れたこととかないんですか?

最鋭輝:あるんですよ(笑) 日曜日とかの場合、花屋が休みで買えないなんてことがあります。一応そういうときのために造花を用意してあるんですが、それすらも無いときはどうしようもなくて、魚肉ソーセージを渡したこともあります(笑)

KIBA:魚肉ソーセージ!?

最鋭輝:でもやっぱり生の薔薇が良いですよね。

KIBA:年間のライブ本数ってどのくらいですか?

最鋭輝:150本ぐらいですかね。週に2~3本ぐらいの感覚です。月火水はなるべくアルバイトを入れて、木曜日から日曜日の間はライブしてっていうね。

KIBA:すごい本数。僕も最鋭輝さんみたいなことをやってみたいなとは思いますけど、楽器ができないんですよ。見てて羨ましいなと思います。僕はライブをやってる時間が一番楽しいから、1本でも多くやりたい。だけど演奏してくれる人がいないとできないんです。

最鋭輝:ギターとかはやられないんでしたっけ。

KIBA:実はコロナ禍のときに、3ヵ月くらい毎日頑張って練習してみたんです。でも全然何も弾けるようならなくて。そこでふと、だいたいこういうことってみんな10代でやるから出来るんじゃねぇか、50代後半からやるもんじゃねぇな、って気づいてやめちゃいました(笑)

 最鋭輝さんはソロ以外にバンド形態でもやられますよね。それは何本くらいやってます?

最鋭輝:最鋭輝隊とかのバンドもその150本の中に含まれますけど、毎月五反田のロッキーや銀座TACTとかでやらせてもらっていたりするので、月に2本くらいですかね。

KIBA:これまでのライブ本数ってどのくらいなんですか? Gargoyleはちょうど1500本を迎えましたが。

最鋭輝:ソロになって25年ですからね。年間100本にならしても、2500本とかになっちゃいます。

KIBA:オリジナル曲ってどのくらいあるんですか?

最鋭輝:MC上では2175曲ってことにしています(笑)

KIBA:Gargoyleは222曲なんで約10倍……。

最鋭輝:あくまでMCする上でそう言っているだけですけどね(笑) 実際に音源化しているのはそのうちの300曲くらいかと思います。

 いまでも毎月新曲をCD-Rにしてプレゼントをしてるんですが、これだけ曲を作り続けていると近しい曲があったりで、自分でも分からなくなるんです。タイトルだけ見ても何の曲かさっぱり思い出せないとか(笑)

―― お二人ともすごいキャリアをお持ちですが、何十年とやっていて衰えを感じることはありますか?

最鋭輝:50歳を越えてから体力的な問題は増えましたね。ライブが3日連続とかになると、最終日が体力的にきつくなったりします。本番前にずっと咳き込んでしまったりとか、その日の打ち上げに参加できないほど疲れちゃうとか。これが年齢ってことなのかなって思いました。もちろんお客さんには絶対にそんな姿は見せないですが。

KIBA:僕はあまり感じてないんですよね。ライブ中の自分の歌や動きも変わった気はしていません。もちろんしんどいっちゃしんどいんですが、ライブ自体は20代のときもしんどかったから、変わらないなと思ってて。でも、やってるとしんどいよりも「楽しい」が勝っちゃう。だから身体も動くんじゃないかと思ってます。

―― 長く現役でいるために日々ケアしているようなことはありますか?

最鋭輝:喉のケアとかはやんなくちゃいけないんでしょうけど、やってないですね。食欲が勝っちゃうと言うか。

KIBA:喉と食欲って関係あるんですか(笑)

最鋭輝:知り合った頃って、僕はもっと痩せてたじゃないですか。強くはないんだけど、お酒を飲んじゃうんですよね。休肝日がないんです。365日必ず飲みます。それも昼間から。

KIBA:僕は普段からまったく飲まないんですけど、歌う前とかも飲むんですか?

最鋭輝:以前はちょっと飲んでました。でも動悸息切れが激しくなってきたんで、やっぱりこれは良くないって感じて基本的にはやめました。50歳を過ぎたくらいから脈拍数が明らかに変わった気がするんですよ。

 とはいえ今でもライブが終わってからは飲みますし、フォーク系をやるときは飲みながらやってしまうこともありますけどね。KIBAさんは何かされているんですか?

KIBA:僕もケアみたいなことは何もしてないですよ。むしろ、してたまるかって思ってるくらいです。

 筋トレして身体を大きくしたり、お酒を飲んで酔っ払ったりするのもそうなんですが、そういうのって、自分じゃないものになりたいのかなって、僕は感じてしまうんです。でも、僕は普段のこのままの自分でいたいと、いつも思っていて。

 例えば、ライブ前に楽屋で精神を集中したり、逆にテンションを上げる人とかもいますが、僕はものすごい平常、ニュートラルな状態。この普段の僕がライブのステージでは何が出来るのかがやりたいから、そこに向かう過程の自分も作り込みたくはないんです。

 普段の生活もそうですね。だったら、それはもう僕じゃなくても良いんじゃないかって。日々を普通に生きて、その僕がやれることをやって勝負してみたい、僕以外になりたいわけじゃないと思ってしまうんです。

最鋭輝:それはすごい。なかなかできることじゃないですよ。

―― 先ほど体力的な問題が増えたというお話もありましたが、キャリアを重ねていく上で、音楽を辞めようと考えたことはありますか?

最鋭輝:本気でやめようと思ったことはないです。

KIBA:僕も全くない。

最鋭輝:単純に自分のお客さんがゼロのときとかはヘコんでしまいますし、ライブ打たなきゃよかったかな、とかは思いますよ。でもそうであっても、ステージに出ちゃえば何とかなるんです。

KIBA:僕はむしろ、もっとやりたいとしか思ったことがないです。なかなかできないもどかしさをいつも感じてるくらいで。やりたくてもできていないことがまだまだ多いなと思ってます。

 でも逆にやめたいって一度でも思ったら、あっさりやめる気がしてるんです。やりたくて仕方ないしか思ってこなかったものを、やめたいと思うんですからね。そのときはすぐやめる気がしています。

―― 今後の目標があれば教えてください。

左:KIBA 右:最鋭輝

最鋭輝:新宿ロフトの楽屋とステージの差って、たった2段の階段なんです。でもその2段の階段の先には日本武道館がある……っていうのを、BOØWYの氷室さんが当時言っていたらしいんですよ。ロフトの先輩たちは、ずっとそれを信じているんですね。昨年、ロフトにはなんとかしがみつけました。だからいつか日本武道館に辿り着きたいですよね。

 でもその前にLINE CUBE SHIBUYA(※旧・渋谷公会堂)ですかね。その次が野音(※日比谷野外音楽堂。現在は老朽化により休館。建替え予定)です。キャパシティを少しずつ大きくしていくという意味では、Spotify O-EAST・O-WESTとかもあるんですが、そこはもう飛び越えてやりたいですね。

KIBA:それはソロで?

最鋭輝:LINE CUBEは弾き語りですね。新宿ロフトも、弾き語りのソロライブってかなり企画として難しかったはずなんですよ。だからこそ成功させたかったんです。LINE CUBEも規模的に弾き語りは難しそうなんです。だからこそ同じく1人でやりきりたいと考えています。

 もしも武道館が実現できたら、いままでの仲間たちと全員でやりたいです。武道館の真ん中に僕のステージがあって、そこから最鋭輝隊のステージとかに分かれて、こっち行ったり、あっちに行ったりと僕が移動するんです。そういうことをして、今まで携わった仲間達と喜びを分かち合いたいですね。

―― 以前のインタビューでも聞いたかと思いますが、KIBAさんは改めてどうでしょう?

KIBA:僕はこれからも、その時々で面白いと思うことをやって生きていたいくらいですよ。
(文・構成=編集部 撮影=石川真魚)

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最終更新:2024/02/11 18:00
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