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日刊サイゾー トップ > 社会 > 事件  > 文春、新潮が並んで報じた松本問題への懸念

文春、新潮が並んで報じた松本人志問題と未来への懸念

刹那的な記事が招く社会的困難

 言えないことを私は言わないが、書かれる側の芸能人ばかりに本当に非があるのか。そうじゃないことも多いだろう。調子のよいときはおだてて、問題が起きれば、まずは素知らぬ顔。そして、世間の空気を読んで、バッシングする側に回る。ジャニーズ問題しかり、松本人志氏の問題しかりだ。

 そんな風潮が続けば、みながみな、人間不信になるのではないか。人が人を信じられない世の中を作って、政治も経済も文化も発展などするだろうか。言ったもの勝ちの風潮が蔓延すれば、そこに本来あるべき真実などにたどり着くことなんて到底できない。報道が有する公益性とは、世の中の利益になることを伝えていくことではないのか。週刊誌ジャーナリズムとは、それを筆の力で伝えていくものではないのか。

 やはり、今の風潮は間違っていると思えてならない。これだけ社会的問題に発展しているのに、ジャニーズ問題にしても、松本人志氏の問題にしても捜査当局は動いていない。それなのに犯罪者扱いされ、人生を変えられるような社会的制裁を加えられる人々を生んでいる。

 当局が動かないから、シロと言いたいわけではない。法治国家のもとで、片方の主張のみの報道がここまでの状況を生んでいることに違和感を感じるのだ。人気者を刺すことを目的とした刹那的な記事は、ある意味、社会的困難を招く暴力であり、人々に恐怖を植え付けていくという懸念を抱かずにはいられないのである。

 私は特段、世の中がよくなればよいなんていう、ガラにもなく崇高なことなんて、清々しいほど思っていない。だが、48歳にもなると、これからの若い人たちのことを考えている。そこに私の作品を残し、それを読んだ彼らの心に新たな体験を生み出せればいいなと思っている。

 一昨年、俳優の木下ほうかが文春に叩かれ、芸能界からの追放を余儀なくされたとき、私なりに彼をサポートしていた。その際、ほうかを心配し、陰で声をかけてくれた人々のことをはっきりと覚えている。私はそれを知って嬉しかった。特段、私とほうかは友人ではない。でも誰であったとしても、自分なりに少しくらいは力になってやることもできるようになってきたし、そもそも性分的に放っておきたくないのだ。それは、電車でお年寄りが立っていれば、席を譲ることと変わらない。そもそも私がことの是非を説けるような人間ではない。だからこそだ。損得で生きるようなことをしたくないのだ。

 今でも思う。ダウンタウンの松本人志氏がテレビからいなくなるのは、何かの冗談ではないかと。

 ここ最近は、ずっと観ていなかったテレビを最近はつけるようにしている。多くの番組はびっくりするくらいおもしろいし、CMのクオリティもえげつないほど高い。だが、国民のテレビ離れは進んでいる。

 それは今回のように世の中で何かあると、自分たちのことを棚にあげ、声高にコンプライアンスを叫びながら自己保身に入ることで、結局自身の首を締めているからではないのか。週刊誌もそうだ。文春の記事は週刊誌の中でもずば抜けている。一方で過激化し、さらなる刺激を求める読者のためにエスカレートしていく。その心性は、迷惑系YouTuberと変わらないのではないのか。

 これだけは書き記しておきたい。私は私の考えのもとで、この騒動が沈静化するまで、旧ジャニーズとダウンタウンをこれからも応援していきたいと思っている。

作家・小説家・クリエイター・ドラマ『インフォーマ』シリーズの原作・監修者。2014年、アウトローだった自らの経験をもとに物書きとして活動を始め、小説やノンフィクションなど多数の作品を発表。小説『ムショぼけ』(小学館)や小説『インフォーマ』(サイゾー文芸部)がドラマ化もされ話題に。最新刊は『インフォーマ2 ヒット・アンド・アウェイ』(同)、『ブラザーズ』(角川春樹事務所)。調査やコンサルティングを行う企業の経営者の顔を持つ。

Twitter:@pinlkiai

最終更新:2024/01/29 18:10
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