『さよならマエストロ』ガチ勢vsエンジョイ勢という集団の宿命、そして最終兵器芦田愛菜
#さよならマエストロ
日曜劇場『さよならマエストロ~父と私のアパッシオナート~』(TBS系)、28日に第3話が放送されました。
今週もよかった。すごくいいと思います。誰でも聞いたことくらいあるよな、というクラシックの1曲をモチーフに物語を立ち上げて、展開を作って、最後にその曲をドーンと聞かせる構成もいいし、芦田愛菜師匠のすごいお芝居でポイントを作るのもいい。
実際、2分なり3分なりを演奏シーンだけで使うのは、連ドラにおいて勇気の要ることだと思うんです。しかも、やれタイパがどうした倍速再生がどうしたといわれる時代にです。このドラマを見ていると、自分ももともとクラシック音楽が好きだったんじゃないかという錯覚に見舞われる。いつの間にか、もっと晴見フィルの演奏を聞きたいと願い始めている。それどころか、バイオリンのひとつでも弾けるんじゃないかとまで思えてくる。
小学生のころです。『ビー・バップ・ハイスクール』(85)の映画を見たときに、わけもなく友達にメンチを切りたくなったし、友達が履いているズボンを脱がせたくなった。『ロッキー4』(85)を見たら体中にセンサーを付けてサンドバッグを叩きたくなったし、『プロジェクトA』(84)を見たら時計台から落下してみたくなった。あの感覚と同じです。要するに、刺さってるんだ、物語が。
そういう感覚は、なかなか得難いんですよね。大人になってからというもの、本当に得難いものになったと思う。今回のモチーフはベートーベンの「田園交響曲」でした。振り返りましょう。
■絵に描いたような不協和音
初回から、このドラマはむちゃくちゃ「ベタ」だと言い続けてます。市民オーケストラにレベルの違う奏者が加入したら、軋轢が起こるのは当然です。今回、元プロの若い男性チェリストが従来のメンバーの演奏にケチをつけることで、オケに不協和音が漂うことになります。このチェロの羽野役の佐藤緋美さんって、浅野忠信とCHARAの息子なんだってね。さすがの存在感です。そして、昔はこのチェロのような存在感、異物感、猛獣感をビンビンに振りまいていた玉山鉄二が一見誰だかわからないくらいオーラを消し去って観光課のおじさんを演じているのも楽しいところです。
話が反れました。
チェリストはオケの中心メンバーであるトランペット(宮沢氷魚)の演奏に「ピッチが悪い」と文句を言います。「ちゃんと練習しろ」「できるまでやってこい」。その言い分には、一点の曇りもありません。
「ガチ勢」vs「エンジョイ勢」の対立というのは、どんな集団においても問題になる構図です。例えば『SLAM DUNK』(集英社)では、エンジョイ勢の中で唯一のガチだったゴリが孤立していましたが、ここにガチ勢がどんどん加わることで解決に至りました。
しかし、湘北バスケ部と違って、晴見フィルには具体的な目標がありません。3カ月後には廃団が決まっていて、なんとなくそこまで活動してみようという曖昧な方向性の集団ですので、ガチ勢が必ずしも正しいというわけではない。ほかのメンバーも市民奏者ですから、ガチチェリストもけっこう分が悪い。
チェリストをオケに引き入れたのはマエストロ(西島秀俊)ですので、追い出すわけにもいかないし、追い出すつもりも毛頭ない。でも、この不協和音を解消しなければいけない。それが今回の物語の目的となります。
マエストロは「田園」をアレンジし、自ら楽譜を書いてトランペットとチェロに渡します。そして「客前でデュオ(2人での演奏)をやれ」と指示します。チェロには「ヘタに合わせろ」と言う。ガチ勢のチェロにとっては、なかなか受け入れにくい提案だとも思うのですが、マエストロとしての西島秀俊の芝居が説得力があるので、チェロがそれを受け入れることにも違和感がない。そして、勝利や成功を目的としない集団だからこそ、ガチ勢がエンジョイ勢の「ヘタに合わせる」ことにもカタルシスが生まれる。前回、このチェロをオケ加入に導いた「他人と演奏することの喜び」にもつながってくる。
チェロには他人の演奏にケチをつけてしまう一流の演奏家としての性(さが)と責任感があって、それとは別にこの冴えない市民オケに参加した動機がある。その動機を、2人の「田園」の演奏を聞きながら、私たち見ている側も登場人物と一緒に思い出していくんです。こういうところ、ホントによくできてると思う。
■芦田愛菜というリーサルウエポン
今回も、芦田愛菜が圧巻の芝居を見せるシーンがありました。父であるマエストロに「ちゃんと幸せか?」と問われ、感情をあらわにして言い返す場面です。
芦田愛菜演じる響ちゃんは優秀なバイオリン奏者でしたが、なんらかのトラブルがあって音楽から離れている。同時に、父からも離れて暮らしていた。そんな中で、音楽とは関係ない人生を模索しながら生きてきた。
「知らないみたいだから教えてあげるけど、世の中には音楽と関係のない一生を送る人もたくさんいるの」
人生丸ごと究極の「音楽ガチ勢」であるマエストロと、音楽にトラウマを植え付けられて他の何かを探そうとしている響ちゃん。
この響ちゃんの訴えのシーン。すごいんだよなぁ。滑舌は淀まない。声も震えない。抑揚もコントロールされてる。涙も完璧なタイミングで流れ出る。所作や発声はめちゃくちゃ安定してるのに、撮影のカメラを激しめに手ブレさせることで不安定感を演出している。
明らかに、このドラマを作ってる人たちが「芦田愛菜の芝居」というものを作品の大きな武器としてとらえていることがわかるシーンです。脇役のエピソードを練り込んでいきながら、芦田愛菜にこれをやらせれば、いつでも「父と私のアパッシオナート」という縦軸に戻せるという信頼感があるのでしょう。
最後に、いよいよバイオリンを手にしてしまった響ちゃんの演奏シーンも神々しかったね。
何より、登場人物たちがみんな何かに「突き動かされている」ように見えるんです。勝手に動いてない。音楽に、人生に、みんなが突き動かされている。そう見えることが、このドラマが成功していると感じる所以です。
次回も楽しみですね。
(文=どらまっ子AKIちゃん)
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