とあるラジオ投稿で考えた「他人の価値観をお笑いにすること」について
#ラジオ
今週、とあるラジオ番組のリスナー投稿で、ひとつのエピソードが笑い話として語られた。
メールテーマは「なんかわかんないけどすごいこと」。投稿の内容は、草野球チームのチームメートが、普通のサラリーマンなのにトミー・ジョン手術をするというもの。そのチームメートは特にすごい選手というわけではなく、ストレートの球速も110km/hくらいしか出ない。日常生活に支障が出ているわけでもない。それなのに手術を受けることについて「なんかわかんないけど、すごいと思った」のだという。ちなみにトミー・ジョン・手術は保険適応で、費用は10万円程度なのだそうだ。
パーソナリティと作家は、そのメールに爆笑。「めちゃくちゃ面白いんだけど、本当なの!?」と、番組は大いに盛り上がった。
普段は何も考えずにゲラゲラ笑いながら聞いている番組である。しんみりすることもあるし、勉強になることもある。このときも、特にそのパーソナリティに対して不快感を覚えたわけではないし、お笑い的にも良識ある社会人としても信頼を置けるパーソナリティだと思っている。ラジオは毎週聞いているし、来週も聞く。だが、何かこのとき、感じたのである。
「これって、笑っていいんだっけ?」
予備知識として、トミー・ジョン手術についてはそれなりに理解していたつもりだ。主にヒジを悪くしたピッチャーが行う治療だが、稀に野手が行うこともある。自分の身体の別の部分から腱を切り取って、傷めたヒジなどの患部に移植する。リハビリに時間がかかり、選手として復帰するには1年以上を要する。「今季絶望」ってやつだ。日常生活ができるまでにも数カ月かかるらしい。米メジャーリーグではすでに一般的で、年間100人くらい受けてるらしい。最近じゃ日本の中高生でもトミー・ジョン手術を受ける人がいるという話も聞く。そんな感じだ。
110km/hの球速って、プロと比べれば話にならないし、大谷翔平やダルビッシュ有と同じ治療を施す必要があるのか、という違和感は理解できる。
だが、まずは110km/hってけっこう速いぜ、と思ったのだ。少なくとも、野球が好きじゃなきゃ110km/hまで出せるようにはならない。きっとこの人は野球が好きだし、草野球チームに参加しているくらいだから日常的に野球を楽しんでいるのだろう。
そういう人が、ヒジを傷めて思うように野球ができなくなった。おそらくこの人は、趣味を失うと仕事にもハリが出ないというタイプのサラリーマンに違いない。週末の趣味が生き甲斐のサラリーマンなんていくらでもいる。一生に一回、趣味に10万円を使うというのも、えぐい大金というわけでもないだろう。ギター初心者が少し上手くなって、新しくもう1本買うくらいのものだ。
おかしなことじゃないよなぁ、と感じて。その人にとっては、普通に野球ができることが大切なことなんだろうなぁと。
次に、美容整形のことを考えた。自分の顔に気に食わないところがあって、美容整形を行うことも、ごく一般的になっている。あまり詳しくないけれど、あごのライン、鼻の高さ、目の周辺、いろいろな手術の方法があるのだろう。
「あのK-POPアイドルと、同じ施術をすることにしたんだ」
誰かがそう言ったら、それは笑っちゃいけないことだよなぁ。がっつり顔を変えようと思ったら10万円なんてもんじゃないし、それでも憧れのアイドルと同じ顔になれるわけではない。あいかわらず脚も短いし、ダンスが踊れるようにもならない。頭の骨格の大きさまで変えられるわけでもない。あくまで自己満足の世界だ。
そういう他人の価値観を、安易に笑い飛ばさないようにしましょうって、今はそういう風潮なんじゃなかったっけ。
他人の価値観を安易に笑い飛ばす意図なんて、なかったことはわかっている。たぶん今回の件は、私とパーソナリティとの間に「トミー・ジョン手術」という題材に対しての解像度の違いがあったのだと思う。私は「けっこう一般的らしい」と思っていて、パーソナリティは「大谷やダルがやるもんだ」と思っていた。ただそれだけのことだろう。
それでも、笑っていいとか、笑っちゃいけないとか、そういうことをいつの間にか、自然に考えるようになったなぁと感じた。人を傷つけない笑いがどうとか、いやいや笑えればええやんとか、ここ数年、お笑いってそんなことばかり話しているよな。
今日はそんな話。毎日冷えますね。風邪などひかぬよう。
(文=新越谷ノリヲ)
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