『さよならマエストロ』第1話 TBS日曜劇場が多様性の時代に“超ベタ”をドロップ
#さよならマエストロ
1月期のTBS日曜劇場は『さよならマエストロ~父と私のアパッシオナート~』。タイトルに「父と私」とあるからには、主人公は「私」こと20歳の市役所職員・響(芦田愛菜)で、「父」は夏目俊平(西島秀俊)ということになります。アパッシオナートは「音楽の発想標語の一つ。『熱情的に』『激しく』の意」だそうです。
静岡県の片田舎で細々と活動している市民オーケストラが、予算の削減に遭って廃団の危機に。そんな大ピンチの“負け組”楽団が、ひょんなことから世界的コンダクターを迎えることに。天才マエストロと悩める団員が力を合わせて、オケの再生を目指しながらそれぞれの人生に向き合っていく……。
100万回は聞いたことがあるプロットです。それこそ、このドラマにも出てくる西田敏行が天才マエストロを演じていた映画『マエストロ!』(15)なんて、筋立ても設定もほとんど同じでしょう。オケをフラダンスにすれば『フラガール』(06)だし、シンクロナイズドスイミングにすれば『ウォーターボーイズ』(01)です。
さらにマエストロが音楽以外てんでダメで家事なんて何もできない。娘といさかいがあって、関係を修復したがっている。もう、ものすごいベタ。既視感しかない。最高。日曜劇場では、そういうのが見たいのですよ。
■ベタを丁寧にやるということ
冒頭、マエストロ夏目がウィーンの大オーケストラの指揮を執るシーンがあります。サッとタクトを頭上に掲げると、楽団のメンバーがそれぞれの楽器を構えてスタンバイ。このとき、このドラマには楽器を構える音が入ってるんです。ザザッ、ガチャ、そういう楽器によって違う複雑な音がほんの1秒、ちゃんと挿入されている。こういうところなんです。このドラマは信用できる、と思えるシーンです。
マエストロが天才であることも、実績がすごいと語るだけでなく、ちゃんと「圧倒的な才能があるんだ」と視聴者に理解させる描写がある。いい演奏、すごい指揮、ということではなく「すごい専門家って、音楽をこういうふうにとらえてるんだ」という視点の提示と「こういうふうに伝えると、素人にも伝わるんだ」という指導力の証明、さらに高校時代に演奏に失敗したというトラウマを抱えるティンパニーの泣き言を「面白い!」と言って「運命」のシークエンスを再解釈していくくだりなど、興奮を覚えました。
音楽と人生が近いところにある、音楽と生きている人物というのは、どういうものの考え方をしているのか。本来、断るつもりだった市民オケのコンダクターを引き受けるまでの心の動きは、どんなものだったのか。描くべきエピソードを描き切ることで夏目俊平という人物と能力の両方にリアリティを与えることに成功しています。
こうやってベタなことを丁寧に、ちゃんと説得力が宿るまで徹底的に作り込むことこそが物作りにおける誠意だと思うし、知性だと思うのです。
■「熱情的に」だからこそ壊れた父娘関係
娘の響がなぜ父を拒絶しているのか。それは第1話では描かれませんでした。5年前に何やら事件があったらしい。それをきっかけに家族は父を残してウィーンから日本に戻り、オーストリアに残った父はコンダクターを辞めて音大の職員として働いている。
音楽が人を救うというドラマにおける大テーマとは逆に、父親が熱情的に音楽に取り組んでいたばっかりに家族が離れ離れになってしまったという事情が示唆されます。もっとこの父親が音楽を蔑ろにして、家族に目を向けていたら避けられたかもしれない何かがあって、それをやらなかったから何かが起こった。それによって娘の心は父から離れてしまった。おそらく娘は父を憎んでいるし、音楽も憎んでいる。
だから父は、家族関係を再生するためにもう一度、自分と音楽との関係を見直さなければいけない。そういうことが、第2話以降で行われていくことになるのでしょう。そういうのでいいんです。
多様性の時代なんて言いますけど、確かにYouTubeじゃ誰でも簡単に高画質の映像を撮影できるし、お手軽に公開できるようになった。Netflixでは莫大な予算をかけた挑戦的な大作が次々にドロップされている。視聴者にとって、もう世の中にある娯楽を全部楽しもうなんてことは物理的に不可能になってる。
そういう時代において、この『さよならマエストロ』みたいな超ベタ、つまりは王道中の王道をテレビドラマという古参媒体が丁寧にやり切ることは、確かにカウンターとして機能することになると思うんです。
テレビドラマ、まだ面白いじゃん。そう思わせようと思って作ってるかどうか知りませんが、テレビドラマ、まだ面白いじゃんと思いました。来週も楽しみです。
(文=どらまっ子AKIちゃん)
サイゾー人気記事ランキングすべて見る
イチオシ記事