『M-1アナザーストーリー』わずか20秒に満たない敗者・さや香のインタビュー映像
#M-1グランプリ #さや香
『M-1アナザーストーリー』を見た。令和ロマンとヤーレンズ、2組のドラマに弾き出されたある敗者の映像は、2人合わせて20秒にも満たなかった。
楽屋で新山は、清々しい表情で語る。
「好きなことやって、あかんかったんで」
「やっとできました、M-1で、好きなネタ」
帰路、石井は悔しさを隠そうとはしない。
「個人的なことを言うと、2本目も、俺も汗かきたかったなっていう部分はありますけど」
映像は一度、ここでカットになる。歩いている石井の背景が変わっている。
「……これがさや香やし」
この間に石井が何を語ったのかはわからない。だが、この言葉の意味はわかる。さや香という漫才師は、新山のコンビだ。新山がすべてのネタを書き、ボケ・ツッコミの入れ替えというコンビにとっての大きな変革さえも、石井に相談はなく“通達”の形で伝えられたという。
「あいつが考えてることとか、やることが間違いなくおもろいから、そこにベットすると思ってコンビは組んでるんで」
前回の『アナザーストーリー』で石井が語っていた言葉だ。
さや香は2年連続、最終決戦で敗退した。だが、ウエストランドに敗れた22年と今回とは、まるで意味が違う。22年は優勝を目指して、優勝できなかった。23年は最終決戦への進出を目標に据え、それを果たした上で「好きなネタ」を披露して散った。さや香の好きなネタではない。新山の好きなネタだ。
結成3年の17年に初めてファイナルに残り、その後の18~20年の3年間は準々決勝どまりが続いた。一度ファイナルの味を知ってしまったがための迷走。その低迷期、「好きじゃないネタをやってしまった」と語る新山の映像も、前回の『アナスト』で放送されている。
ボケとツッコミを入れ替え、21年には準決勝。そのスタイルが完成を見た22年には優勝に手をかけた。新山は23年のM-1公式YouTubeによるインタビューでも、22年ファーストステージの「免許返納」を超えるネタは書けないと公言している。
予選でも、準々決勝と準決勝はファイナルと同じ「ホームステイ」、3回戦は「石井が芸人のかたわら大学に行っている」という、同じスタイルのネタだった。新山の言葉を借りれば「免許返納」より弱いネタであり、おそらくは好きではないネタなのだろう。その2本でさや香は勝ち上がってきた。予選での勝ちっぷりは圧倒的であり、文字通り周囲を蹴散らしてきたという印象だった。
もう言ってしまうけれど、最終決戦で「大学」をかけていれば、おそらく、さや香は優勝していた。まったく別の『アナスト』が放送されることになっていた。
「優勝を目標にしてしまうと、優勝するまで終われないんですよ。僕らは出場資格的には、あと7年出られるんですけど、気持ち的にはもう7年は出られないんですよ。もちません」
昨年4月にYahoo!ニュースに掲載されたインタビュー記事で、新山は語っている。
「最終決戦まで行ければ『M-1』でネタが2本できる。“ウケるネタ”も“やりたいネタ”も両方できる。そうなれば、自分としてはそれで『M-1』を終えられる」
「ウケるネタ」と「やりたいネタ」が違う。「見せ算」はやりたいが、ウケない。新山はアフタートークなどでさんざん「勝算があって2本目を見せ算にした」と語っていたが、それは強がりでもあり、応援しているファンや関係者への礼儀でもあっただろう。さや香というコンビは、間違っても「勝負を捨てて好きなことをやった」などと言えるようなキャリアを送ってきてはいない。
「ウケるネタ」と「やりたいネタ」が違う。
それは漫才師にとって、不幸なことだろうか。さや香は、新山と石井はあの日、負けたのだろうか。
存外に短くなった『アナスト』におけるさや香のインタビュー映像のバックに、七尾旅人の「if you just smile」が流れている。
* * *
if you just smile
運命がどれほどきみを打ち据えたとしても
もしもきみがほほえんだら
古びていた言葉が息を吹き返す気がする
* * *
おそらく、さや香の『M-1』は終わった。
「あくまでも『M-1』は通過点でその先もある。そう考えると、次のステップに行くには少しでも早いほうがいい。今、僕は31歳なので、何とか30代前半で次のステップに行きたい」
同じインタビュー記事で新山はそう語っていた。言い換えよう。おそらく、さや香は『M-1』を卒業したのだ。
(文=新越谷ノリヲ)
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