爆笑問題・太田光がNEWS・加藤シゲアキに激白「漫才は苦しくてしょうがない」
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「漫才作ってるときは苦しくてしょうがないから。田中と2人でさ、ああでもない、こうでもないってやってるときは、憂うつでしょうがない」
爆笑問題・太田光は、そう告白する。
8日深夜に放送されたラジオ『TOKYO SPEAKEASY』(TOKYO FM)は、太田とNEWS・加藤シゲアキという組み合わせ。ともに本業とは別に小説家としての顔を持ち、加藤は昨年11月に出版した『なれのはて』(講談社)で、前作『オルタネート』(新潮社)に続いて直木賞候補にノミネートされている。
加藤は『なれのはて』執筆開始後にウクライナで始まった戦争や所属するジャニーズ事務所の問題が創作に与えた影響を語り、かつて事務所トラブルを体験している太田がそれに共感するなど、36歳と58歳という年の差を超えた創作談義に花を咲かせた。
太田は漫才や映画と小説執筆作業の違いについて「人を1人2人作る、人格を作っていくっていう。そうすると中盤あたりから『こいつこうするんだろうな』ってこっちが考えるより先に動き出す、そういう楽しさがあるよね」と語る。
それに比べて「漫才は苦しい」と言うのだ。
爆笑問題のネタ作りについては、ラジオ『爆笑問題カーボーイ』(TBSラジオ)などで、たびたびその様子が語られている。太田の自宅に相方の田中裕二と作家を集め、時事の話題について太田がボケを考え、その場で田中がツッコミを入れるという作業を繰り返しながら書き溜めていくのだという。新ネタは隔月のタイタンライブ用に1本ずつ、それに年末年始の特番用に数本、さらに毎年『爆笑問題のツーショット』と題した1時間から1時間30分ほどの新作を下ろしている。『ツーショット』で披露する漫才は1カ月以上前から準備を始め、制作期間中に起こった事件も織り込みながら仕上げていく。
それほど苦しいのに「なぜ漫才を続けてるんですか?」と加藤は問う。「テレビもたくさん出てるのに」と。
太田の答えは「成り行き」だった。爆笑問題は太田プロダクションから鳴り物入りでデビューしたものの、当時の担当マネジャーの画策した独立計画が頓挫したことで退社を余儀なくされ、約3年間にわたって空白の時期を過ごしている。その後、太田プロ復帰の話が持ち上がったこともあったが、太田は義理を通す形で現在の事務所であるタイタンの立ち上げた。
「当時はプライドがあったから若手が出るようなライブなんか出ても、って思ってた。けど、そんなこと言ってる場合じゃないってなって」
プライドを捨てて挑んだ1993年の『NHK新人演芸大賞』で大賞を受賞。落語やコントではなく漫才師が同賞を受賞するのは史上初となる快挙だった。さらに翌年には『GAHAHAキング 爆笑王決定戦』(テレビ朝日系)で10週勝ち抜きを果たし、再び活動を軌道に乗せている。
「だから、漫才やり続けなきゃいけなくなったのかもしれない」
現在では一昨年のM-1チャンピオンであるウエストランドをはじめ、後輩も増えたという太田。その手前、トップである自分たちがネタをやるのは「必然」だと語った。
最近の太田は、ネタ作りだけではなく「ネタが覚えられない」「(自分も田中も)すぐネタが飛ぶ」という悩みも頻繁に語るようになった。舞台では奔放に見える爆笑問題だが、実は綿密な台本を書き上げ、練習に練習を重ねて作り上げるタイプの漫才師だ。太田は自身を指して「臆病者」と呼ぶ人間である。
「漫才って、まだ俺らはウケるかなって心配ばっかりでやってるから」
昨年、タイタンライブに西川きよしがゲスト出演したことがあった。その際、太田はきよしから「漫才やってるときが一番楽しい」と聞かされたのだという。そして「その境地に行きたい」と感じたのだそうだ。
もしかしたら、と考えた。
太田と田中がいろいろどうでもよくなっちゃって、頭空っぽのままセンターマイクの前に飛び出してきたら。それはそれで死ぬほど面白い漫才が見られるのかもしれない。そんな日が来たら、太田も漫才を楽しめるんだろうなと、私たちただ見るだけの側は、まったく気楽なものである。
(文=新越谷ノリヲ)
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