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松本人志の芸能活動休止に想うこと…逸脱したメディアパワーを振りかざす責任

著名人に極刑を下す週刊誌の傲慢さ

 人それぞれ、感性や倫理観も異なれば、なにを真実かと思うかの判断基準は違う。私の場合は、自分の目で見てもいないものに対して、簡単に信じるか信じないかの判断をするようなことはない。そんな身分でも、もちろんない。

 だが今回のように、昨日今日の出来事ならばわかるが、8年前のことを持ち出し、突然、犯罪者のごとく痛烈に批判することが、本当にジャーナリズムとして正しいといえるだろうか。被害を訴える女性の声が編集部に届いたのは事実だろう。だが、商業媒体がその声だけを材料に断罪するかのごとく、社会に問題を問うことには大きな責任が生じる。真実かどうかの判断を待たず、そして、被害を訴える側、訴えられる側を問わず、その人たちの人生を左右しかねないことが起きかねないのだ。

 これは松本氏の件だけでなく、ジャニーズ問題にしてもそうだった。片側の意見だけに焦点が当てられ、一部の世論が形成され、猛烈なバッシングが始まっていく。ジャーナリズムにおける取材の鉄則である「一方を聞いて沙汰するな」を堂々とぶち破っているのだ。今回のケースにおいても、週刊誌側は、アリバイ的にいわゆる「あて取材」を行うだけでなく、真実を浮き彫りにするため、誠意をもって松本氏を説得し、彼の言い分を聞くための努力を最大限したといえるだろうか。

 なにも、週刊誌ジャーナリズムの存在を全否定しているわけではない。個人的な恨みや正義感でやっているのではなく、記者は仕事だからやっていることは当然理解している。商売のために話題性があるものを並べて、読者に読んでもらわなければならない。そのためにはゴシップも必要となってくる。それは一定層、読者に求められてもいるからだ。

 すまないが、私の感覚でいっても、客商売である芸能人にとってゴシップは有名税だと思う。しかし、あくまで支払い可能な税金程度であるべきで、タレント生命を絶つような致命傷を与えるべきものではない。その秩序は、長きにわたり、芸能人側とメディア側で保たれてきたはずだ。

 だが今や、ゴシップの枠を越えて、一人の人間の人生を奈落の底へと突き落とし、その人を応援している人々をも悲しませることが行われている。それは、メディアというくくりにかかわず、人間としてやっていいことだろうか。相手は、犯罪者ではないのである。

 しかも、相手が反論などの抵抗的な態度を示してくれば、意地になって追加取材を進め、さらにはタレコミを募り、追撃記事を出す。これが本当にジャーナリズムといえるのだろうか。

 もちろん、本当に犯罪を犯しているのならば、それ相当の処罰を受けるべきだ。だが、その判断を下すのは、メディアが担う領分ではなく、当局の仕事のはずだ。

 メディアの力は、ときに司直のそれをも上回る。推定無罪などの理屈はなく、報道を通じて、犯罪者というレッテルと一度貼られた人間は、仮にその後の民事裁判で勝訴し、報道内容の真実性が否定されたとしても、一度、社会に植え付けられたイメージは簡単に回復できないのだ。大きな社会的制裁も受ける。

 著名人というだけで、そんな極刑を下す役割を週刊誌が担うことが本当に必要なのだろうか。あのダウンタウンの松ちゃんが、テレビで観られなくなるのだぞ。考えられるか。報じる側は、正義とまではいかなくとも、本当に意義はあったのか。松ちゃんが芸能活動を休止すれば、スピードワゴンの小沢一敬氏だって、今後、テレビに出にくくなるのではないか。さらに芋づる式に、そうした人々が増えていってもおかしくない。

 それによって、誰の何が報われるのだろうか。被害を訴えているという女性も、これで本当に救われるのだろうか。求めていたものが得られるのだろうか。これだけの騒ぎになり、今後、この女性の心理的負担も大きくなるのではないかと心配でならない。そう考えると、私はどうしようもない喪失感に襲われるのである。

 今から30数年前の16歳のとき、同級生の幼馴染と東京に向かい、歌舞伎座のコマ劇場前に佇む女性に声をかけたとき、

「ダウンタウンみたいな喋り方だね~」

 と親近感を持ってくれた。ダウンタウンが東京に進出していなければ、そのときのねぐらを確保することもできなかっただろう。

 ダウンタウンの笑いには、何度も救われてきた。塀の中で「紅白歌合戦」を見るか、「笑ってはいけない」を見るかで、他の受刑者と大喧嘩したこともある。

 いつもダウンタウンが当たり前にテレビの向こうにいた。天下一のお笑い芸人であり、尼崎の誇りはダウンタウンである。

作家・小説家・クリエイター・ドラマ『インフォーマ』シリーズの原作・監修者。2014年、アウトローだった自らの経験をもとに物書きとして活動を始め、小説やノンフィクションなど多数の作品を発表。小説『ムショぼけ』(小学館)や小説『インフォーマ』(サイゾー文芸部)がドラマ化もされ話題に。最新刊は『インフォーマ2 ヒット・アンド・アウェイ』(同)、『ブラザーズ』(角川春樹事務所)。調査やコンサルティングを行う企業の経営者の顔を持つ。

Twitter:@pinlkiai

最終更新:2024/01/25 15:20
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