『霜降り明星のオールナイトニッポン』また神回! せいや、生放送直前の第1子誕生を報告
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8日深夜に放送された『霜降り明星のオールナイトニッポン』(ニッポン放送)で、せいやが第1子の誕生を報告した。
この日、夕方から大阪での出番があったというせいやは、妻のお産が始まっていたことから帰京せず、番組にZOOMで参加。スタジオの粗品と掛け合う形での生放送となった。
冒頭、「いつものスタジオにせいやさんはいません」という粗品のひと言からスタートし、状況説明が終わると、せいやが「先ほど、子ども生まれました!」「10分おきくらいに泣きそうになる」と報告した。
「ラジオの直前って、すごいよな。ついさっきやで」
せいやは、そう何度も繰り返した。人生で最大の喜びをラジオで報告できること。それは、ごく一部の芸人にだけ許された特権である。
『霜降り明星のオールナイトニッポン』という番組は、これまで何度もコンビの風景を生々しく描写してきた。特にせいやにとって、2020年の秋頃は芸人人生を左右するほどの局面だった。
18年の年末に『M-1グランプリ』(テレビ朝日系)を制した霜降り明星は、20代半ばにしてバラエティの荒波に足を踏み入れた。その翌年には「お笑い第7世代ブーム」が世の中を席巻し、そのフラッグシップとして2人は躍進していく。いくつもの冠番組や特番が雨後の筍のように乱立し、薙ぎ払われるように消えていった。
せいやは20年夏ごろから、精神に不調をきたすようになっていく。楽屋での笑顔が消え、かつて“飛んだ”経験のあるナインティナイン・岡村隆史やキングコング・梶原雄太の「気持ちがわかる」と繰り返すようになる。『爆笑問題&霜降り明星のシンパイ賞!!』(テレビ朝日系)では、収録中にもかかわらず、あからさまに孤独を吐露することもあった。
そうした経緯を、せいやはすべてラジオで告白した。粗品はときに明るく、ときに静かに、その話を聞き続けた。20年11月13日、限界の近くなったせいやは『ANN0』の生放送スタジオにギターを持ち込み、「原曲キーで歌わせて」というオリジナルソングを披露する。
「おまえの背中がどんどん遠くなっていく」
「おまえの翼をもいで、低く飛ばしてるときがあるよ」
「うまみだけを俺が持っていく物語なんて、1ページ目で破りたい」
「残念な自分に飽き飽きした家の日々」
「人に迷惑かけながら生きてもいいですか?」
「原曲キーで歌わせて、俺は原曲キーで生きたいんだ」
唐突で、珍妙で、切実なせいやの歌唱は10分も続いた。最初は茶化しながら耳を傾けていた粗品の表情も、真剣なものになっていく。当時、『ANN0』は動画配信サービス「ミクチャ」で同時配信されていた。
せいやが告白したのは、驚くほどストレートな粗品に対する劣等感だった。粗品のようにはできない。ずっと無理をしてきた。このままでは壊れてしまう。だから「原曲キーで歌わせて」。
おそらくは粗品に対して、ラジオにギターを持ち込んでしか明かせなかったせいやという芸人の本当の本音だろう。リスナーという限られた仲間と共有することでしか、言えなかった泣き言だろう。
「トゥルーマン・ショーです、オレ、全部メディアで発表してるからな。みんなに見てもらってるっていう」
出産報告がおおむね終わった後、せいやはそうつぶやいた。喜びも苦しみも、ラジオとともにあった。「原曲キー」回から3年、せいやのピン稼働の数は粗品を優に超える。もう霜降り明星のコンビバランスに違和感を唱える者はいない。
せいやの第1子の誕生日は、粗品の父親の命日でもあるのだという。
「最低の日やで、12月8日、俺にとって。でも、ええ日になったから、ありがとうやわ」
奇跡としか、縁としか言いようがない巡り合わせ。相方にこんなプレゼントができる芸人がいるだろうか。霜降り明星以外に、こんなコンビ関係ってあるのだろうか。
(文=新越谷ノリヲ)
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