Gargoyle KIBA~”ライブハウスの帝王”が語る自身のバンドと音楽の世界
#バンド #ヘビーメタル #ライブハウス #Gargoyle
1988年にX(現 X JAPAN)からリリースされたフルアルバム『Vanishing Vision』はインディーズながらも驚異の初動で1万枚以上のセールスを記録し、現在に至るまで40万枚も売れたモンスターアルバムである。
Xはこのアルバムの成功の後にCBSソニー(現 ソニー・ミュージックエンタテインメント)と契約し『BLUE BLOOD』でメジャーデビュー。その後の活躍は言わずもがなだ。
デビューから35年以上経ったいま、X JAPANはメンバーの悲劇などもあったが、それでもバンドの解散はすることなく、現在もメンバー個々の活動は観ることができる。
X JAPANが『Vanishing Vision』をリリースする前年に結成し、89年に『禊』でインディーズデビューを果たし、それ以降、現在も精力的に活動しているバンドがある。
――Gargoyleだ。
現在までオリジナルアルバム17枚(メジャーからの3枚を含む)をリリースしており、ミニアルバムやベストアルバムや映像作品などを含めると50タイトルを超す。
日本では市場が極めて狭いヘヴィメタルが音楽性の中心でありながらも、人気と知名度を獲得し、長期のツアーや町のライブハウス、大きな会場でのワンマンライブも積極的に行ってきた。そこから付いた異名は”ライブハウスの帝王”。メンバーも多少の変動があったものの、ほぼ変わることがない強固なバンドであった。
しかし、2018年にボーカルのKIBA氏を除いて全員が脱退。以降、KIBA氏は1人になっても活動を続けている。
なぜ彼は1人でもバンド活動を続けられるのか。Gargoyleはどういったバンドなのか。音楽の世界をライブハウスという生々しい世界から見続けた彼に、過去を振り返りつつ、語ってもらった。
――2018年に4人体制に終止符を打ち、1人になられてからサポートメンバーを迎えてバンド活動を継続しています。まず脱退をメンバーから申し出られたときは率直にどう思いましたか。
KIBA:最初に言ってきたのはTOSHI君だったんですけど、めちゃくちゃビックリしましたよ。
――予兆みたいなのはあったのですか。
KIBA:なかったですね。驚いてしまったこともあったし、一旦申し出だけ受けるに留めて、ぼくも後でじっくり考えてみたんです。
それまで、ぼくら4人は間違いなく人生をかけてバンドをやってきて。そんな一生懸命やってきた大切なものを辞めたいというくらいだから、生半可な気持ちで言ったわけではないんだろなって思ったんです。だったらそれは尊重するべきなんじゃないかなって。
他のメンバーにも個々で今後のことを1ヵ月近く考えてもらって……いまの決断に至った感じです。
――KIBAさんはいつの時点で1人でもやると決めていたんですか。
KIBA:ぼくはTOSHI君の申し出の時点で1人でもバンドは続けると伝えました。みんなが抜けることになったときでもその気持ちは変わりませんでしたね。さすがに1人だと何かと困ることが出てくるかなとは思ったんですが、困ってる自分も楽しそうだなって思ったりもして。
――メンバーがいるのと1人なのと、何が大きく異なりますか。
KIBA:一番は相談できないことですかね。サポートメンバーに演奏の細かいことは相談できますけど、バンドとしての決定事項は他の誰にもできません。これが最初に感じた違いでした。
――4人の頃は、セットリストとかもみんなで相談して決めていたんですか。
KIBA:実は、結成して20年くらいはセットリストを当日決めてたんです。でもだんだんライブハウス側から「事前に曲順が欲しいです」みたいな要望をもらうようになって、みんなと相談して事前に決めるようになっていきました。と言ってもメンバーの誰かがセットリストをまず決めることがほとんどだった気がします。それに対して各自があれやりたいこれやりたいと言って変更を多少加えるくらいでしたね。
――でも当日決める場合、普段からリハーサルで合わせている曲だとか練習している曲にしぼられていきませんか。
KIBA:リハーサルはね、あんまりしなかったんですよ。下手すれば1年くらいやらないときもあったんじゃないかな(苦笑) ライブの本数も多かったし、久し振りににやる曲は、当日のサウンドチェックで合わせて、それで大丈夫でした。
――それはみなさんが高い技術をお持ちだからできることですね。
KIBA:いや、もちろん失敗だってたくさんあります。
――例えばどんな失敗ですか。
KIBA:カウントで始まったらドラムが違う曲を叩き出していたりとか。同じ漢字2文字だから他の曲と間違えたわ、なんてザラで。でもそういうトラブルも楽しいなって思っていたし、そういうことが起こってもメンバーは笑ってました。
――アンコールはどうしていたのですか。
KIBA:アンコールは事前に曲順を決めるようになっても全く決めてなかったですね。本編後、楽屋に戻ってきて、呼んでくれてるから何かやるかってちょろっと話をして、んじゃこれでいくか、って感じで決めてました。
――セットリストやアンコールにしても、今日は身体の調子悪いから他の曲にしてほしいとか、そういうことはなかったんですか。
KIBA:そういうのはあまりなかったと思います。とはいえボーカルでいうと、今日は喉の調子がいまいちだとか、高音が出づらい日とか、やっぱりあるんですよ。だけどそれで高音が多い曲をやって、うまく歌えなくても別に良いかなって思ってるんです。その日のコンディションでしか観せられないライブができたほうが楽しいんちゃうかなって感覚で。Gargoyleのやり方が正しいとは言えないかもだけど、ライヴは発表会じゃないから、音源みたいな完璧な演奏よりも、観てくれる方も演奏する側も楽しめるライブをすることを大切にしています。
――メタルというジャンルは音楽市場においてもかなり狭いですよね。特に日本においてはそれが顕著だと思うのですが、その中でもGargoyleが高い知名度を獲得し、ここまでやり続けられている要因は何だと考えますか。
KIBA:ぼくが小心者だからなのもあったかもしれません。普通にライブなんてやってもお客さんが入るわけないと思ってしまって。
バンドを始めた頃(※編集部注:1987年結成)は、今と違ってヘヴィメタルが少しブームではあったんですよ。とはいえポッと出のバンドがいきなり注目を浴びるなんてできないんで、なんかオモロいことせんとな、とは思っていて。それで衣装やら何やら凝ったりとかしていたんです。その気持ちが始めた頃から今まで続いているからかもしれないですね。
――KIBAさんが影響を受けたボーカリストってどなたかいらっしゃいますか。
KIBA:うーん……あまり思い浮かばないんです。実はレコードとかCDとか、買った記憶がほぼないんです。普段、音楽を聴かなくて。自分のiPodにもGargoyleしか入ってないくらいです。
――運転中とかに聴いたりもしないんですか。
KIBA:何も聴かないですね(笑) 自分の曲を忘れないために聴くことはありますけど。
――ではKIBAさんのあのボーカルスタイルはどうやって形成されていったものですか。いまでこそ吐き捨てるようなボーカルスタイルは珍しくないですが、バンド結成当初は他にいなかったんじゃないですか。
KIBA:当初からバンドの音がでかかったから大声で歌わないと、自分で聴こえなかったんです。そしたら自然とああいう歌い方になっていきました。いまでも普通に歌うよりあの歌い方のほうが、喉が楽なんですよ。
――バンドを始めて、ビジネス的にはどうでしたか。
KIBA:初期インディーズ3枚(※『禊みそぎ)』『檄(ふれぶみ)』『璞あらたま)』)はビジネスという点では成功したんだと思います。そのとき大阪のBahamaさん(※大阪心斎橋にあった老舗ライブハウス)が面倒を見てくれてたんですが、CDの売上から中間マージンを抜かずに管理していただけて。インディーズというより自主制作盤だったから、売れれば売れるだけお金にはなりました。
――メジャーデビュー後はどうですか。
KIBA:メジャーだと契約金とか活動資金とか色々あると思うんですが、その頃もBahamaさんがずっと管理してくれていたんです。ぼく自身がバンドのお金に触るようなこともなかったし、考えてなかったですね。
ただ、そもそもバンドって経済的に成立しないとできないじゃないですか。だからBahamaさんから離れてからは、ちゃんとするようにしてきました。
――Gargoyleの歌詞のほぼほぼ全てをKIBAさんが書かれています。メジャーデビュー以降は歌詞作りへの変化はありましたか。
KIBA:メジャーとは関係ありませんけど、個人的にはありましたね。初期の3部作があり、『天論』(※4thアルバム。このアルバムで日本コロムビアよりメジャーデビュー)があったわけですが、『天論』はそのさらに次に行く過程の作品ってイメージがあって、アルバムとしては4枚目なんだけど、感覚的には3.5みたいな感じです。
自己表現のために歌詞を書いてきて、それまでは人間という生物を極めたいみたいな精神的なことを歌ったりしていたんですね。だけどそれを突き詰めていっても、普段から歌詞に近い生活スタイルに変えないと、自分でリアリティがもう無くなるなと思ったんです。
――確かに『天論』までは歌詞がユニークだけれどどこか難解なイメージもありました。
KIBA:『天論』で屍忌蛇君が脱退することになり、新メンバーとしてKENTARO君と与太郎君が加入してくれることになったんですが(※与太郎は厳密には再加入)、それまでのGargoyleってメンバー個々それぞれが楽しめればいいかなっていうスタンスだったんですよ。それが5人でバンドを支えていこうみたいな体制に変わったんです。そのとき、人と分かり合えるってこんな楽しいんだなって感じて。それもあってか、もっとお客さんに言葉や自分を”伝えよう”と思うようになって、5枚目の『月の棘』になりました。
――『月の棘』といえば屈指の名曲「約束の地で」が収録されていますね。この曲は過去のGargoyleにはないロックバラードでした。
KIBA:あの曲はKENTARO君が加入してくれて最初に持ってきてくれた曲だったんです。それで歌詞を付けていったんですが、全然うまくいかなくて、結局レコーディング当日まで歌詞ができなかったんですよ。そこに妹が結婚するという連絡がきて、大切な家族からの結婚連絡でぼくも驚いたんです。でもそこで妹と話すことでヒントをもらい、大切な人とどうやって付き合っていきたいか、想いを届けたいか、を詩にすればいいんだと思ったらバーッと書けたんですよね。
――インディーズで瞬く間に人気を得てメジャーデビューしていったわけですが、ビジネス的にはどうでしたか。
――それまでのGargoyleと雰囲気が異なる楽曲と詞が増えたことで、ファンからの反発はなかったのですか。
KIBA:『natural』(※6枚目のアルバム)ではありましたね(苦笑) 「Gargoyleよ、お前もか」みたいな声をたくさんいただきました。
――確かに1曲目の「natural」はメタル色が薄く、哀愁のあるギターロックと言えますよね。個人的にはブリティッシュロックなイメージもありました。アルバムにGargoyleらしさはあっても、どこかマイルドな印象があります。
KIBA:とはいえ6枚目にもGargoyleらしいスピードナンバーもハードな曲も入っているので、曲順が違えば印象は変わってたんかなと思います。
レコード会社からも「お前らこれでいいんか?」みたいなこと言われたんですよ。だけどあの当時、やりたかったことを前に出していこうっていうバンドの意思もあって、怖がらずに1曲目にしたんです。
――その後、ベスト盤『borderless』を最後にインディーズに再び戻りますが、その時のいきさつをうかがえますか。
KIBA:まぁ、普通に契約期間が終わったって感じでした。今後のことをレコード会社の人と話したり、色々動いてくれた方もたくさんいたんですが、とにかくバンド活動を止めたくなかったんですよ。メジャー前もずっと自分たちで音源作ってライブをやってたから、自分たちでやれることをやってバンド活動を継続しつつ、良い話があったら考えていこうと。
――メジャーからインディーズに戻るとすぐに尻すぼみになるバンドが多い中、それからずっと活動し続けられるって本当にすごいことです。
KIBA:普通に活動していけば良いと思っていて、メジャーじゃなくなったことで焦りたくはなかったんです。なんでも良いから飛びつくようなことはしたくなくて。ちょうどそのとき『電波少年』っていうテレビ番組を観ていたら、そこに出ていたミュージシャンが「レコード会社も所属事務所もなくなるかもしれない崖っぷち」と紹介されてたんです。ならGargoyleなんていま事務所もレコード会社もないから崖っぷちどころか崖の下だったの!? って驚いたくらい、その状態も普通だと思ってやってました(笑)
Gargoyleは自分たちで音源作れていたしライブもできていたんで、そんなに大きな問題は感じていませんでしたね。
――メジャーとインディーズって活動していて差のようなものはありましたか。
KIBA:ライブに関しては、助けていただくこともあったけど、メジャー期も自分たちでやっていたんで差はなかったですね。
ただ、アルバムを作った時に、すごい才能のあるディレクターさんに見てもらえたり、アレンジャーの方に編曲を手伝ってもらったりして、音源制作に対する自分たちの姿勢はずいぶん変わりました。勉強させてもらって、本当にあれは良い経験でした。
――メジャーとインディーズを渡り歩きながら、ずっと第一線に立たれていますよね。バンドの環境は時代と共に大きく変わったかと思いますが、変わった点を挙げるとしたら何がありますか。
KIBA:音楽で食べていけるようになったことじゃないですかね。ぼくらがバンドをやり出した頃、芸能事務所以外のバンドが音楽で食べていけることなんてほとんどなかったんです。
それがX(※現 X JAPAN)の登場でガラって変わったと思いました。大きな転換だったと思います。インディーズ上がりのロックバンドでもビジネスとして大成功できると示したんで。その意味でXの功績ってめちゃくちゃ大きいと思っています。
逆に言うと、昔のバンドマンの人たちってやってもやっても食えないのが分かってやっていたから、ギラつきがいまの子たちには無いものだったとも思いますけど。
――いまや音楽はCDからデジタル配信に変わっています。それによって音楽活動に影響って出ましたか。
KIBA:曲自体はCDでも配信でもどっちでも好きなほうで聴けばいいと思うんですね。
だけどバンド側の立場からすると、ぼくはアルバムのデザインをどうしようかとか、歌詞カードのフォントをどうしようとか、ジャケットのケースをどうしようかとか、そういうのを考えるのが好きなんです。
ぼくは音楽家になりたいわけではなく、バンドがやりたいだけなんです。バンド活動って中心には音楽があるべきなんだけど、そういう周りの創作もバンドの活動だと思っていて。衣装や写真やタイトルなど、他のものもすべてがバンド活動だと思ってます。どれもやってて面白いんです。デジタルに移行することで、もしCDがなくなれば楽しみが減っていく寂しさはありますね。アルバムのジャケットはこだわって作っていたから。
――ライブについてはいかがですか。
KIBA:ライブは配信とか出てきましたよね。コロナ禍のときに何度か無観客での配信ライブをしましたけど、それだけになってしまったら辞めるかもな……。自分がやりたいこととは違うって思いましたね。
通常のライブに加えて配信があるってのは良いんですけど、無観客配信のみだとぼくもお客さんも面白さ半減だと思うんで。やっぱりドーンと音を出して、お客さんの表情や反応を見て、お互い「来た!」っていう感覚が配信だと薄れるんでね……。それにGargoyleは生の迫力と力業でなんとかしてきたバンドだけど、配信じゃそれが通用しないし(笑)
――Gargoyleもいまや重鎮となったわけですが、若手から売れるためにどうすればいいんですか、のような質問を受けたりしますか。
KIBA:あんまりされることないですね。もしされても答えは知らないけど、バンドで例えば毎月生活できるだけを稼ぐんだったら、アルバムを何枚売って、ライブの動員は何人にして……。それらを5年後に実現させるのには、4年後にはこれくらい、3年後はこれ、2年後は、1年後は……じゃあ、今やらなくちゃいけないことは何なのか。
こんなに話はするかもしれないですが、基本はしません。何かを言ってその子たちが売れなくても責任持てないですから(笑)
――今年の4月に渋谷で開催された「渋谷メタル会」という若手とベテランが入り混じったイベントに出演されましたよね。これまでのGargoyleだとあまりああいったイベントに出ることがなかったかと思うのですが、いかがでしたか。
KIBA:楽しかったですよ。確かにああいう直球のメタルイベントとかに声をかけてもらうことってほぼなかったんで嬉しかったです。
――ライブハウスで開催されるようなメタルイベントに出演してこなかった理由はあるのですか。
KIBA:いや、特にないです。声をかけていただいて、都合さえあえば出ますよ。もちろん自分たちのやり方でライブはやらせてもらいますけどね。
Gargoyleって見た目も曲も特殊だからメタル系からは「ヴィジュアル系じゃないの?」って言われて、ヴィジュアル系からは「メタルじゃないんですか?」って言われたりもして。だから周りも誘いづらかったのかもしれないですね。
――現在活動をしているとはいえ、正式メンバーはKIBAさんのみ(※ライブはサポートメンバーを迎えている)ですが、今後も1人で活動していくのですか。
KIBA:実は深く考えていないんですよ。一緒にやっていて楽しいなと思ったら誰かメンバーになってもらうこともあるかもしれないですが。
――1人になってからはしばらくUNDER GARGOYLE(※ガーゴイル未満の意)名義で活動されていました。このときはどういう心境だったのですか。
KIBA:1人になった当初、なってみたはいいものの、誰に演奏を頼んでいいかも分からない状態でしたんで、とりあえずやれることは一通りやってみるかって感じでしたね。
UNDER GARGOYLEはライブごとにメンバーを変えてやっていたんです。それが面白いかなって思って。でもGargoyleの曲って特殊なんで、メンバーによっては上手くいったりいかなかったりしたこともあったんですよ。
やっぱりどんなテクニックを持った人でもジャンルの得意不得意ってありますからね。そこで見えてきたことがあったし、一通りやれることはやったかなって思ってGargoyleに名前を戻し、サポートメンバーも毎回変えるようなことはやめました。
――1人になってもやり続けられるモチベーションはどこから来るのですか。
KIBA:なんだろうなぁ……。まずバンドを辞めようと思ったことがないんですよ。やっているほうが自分の人生が面白いですし。
それにバンドをしていて努力しているみたいな感覚がないんです。例えば、アルバムジャケット考えるのに三日間寝てないときがあっても、それが楽しくてやっているから努力とは思わない。基本的にやっている全てが楽しいんです。
――今後、新譜の予定はあるのですか。
KIBA:考えてますよ。来年に何かしらアナウンスができればなとは思っています。
(文・構成=編集部/写真=石川真魚)
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