千鳥のターニングポイントは「ロケ」 トガリ漫才師が朝の情報番組に出る意味とは
#千鳥
「ロケ芸人」という言葉が普通に使われ始めたのは、おそらく千鳥の台頭がきっかけだったのではないか。
28日に放送された『いろはに千鳥』(テレビ埼玉)の冒頭、スタッフに「芸人としてのターニングポイント」を尋ねられた千鳥・ノブは、上京前の『せやねん!』(毎日放送)と『なるトモ!』(読売テレビ)でのロケ出演を挙げた。
「千鳥っていうのは、漫才だけじゃないんだ。ロケも面白いんだ、みたいなことをスタッフさんに言ってもらえたあたりですかね。ロケがんばっていこうと思ってから、好転した」
一方の大悟は、上京後の『シューイチ』(日本テレビ系)を挙げた。
「パンのコーナーで、そのままの千鳥でやったら、意外と受け入れてくれたことがあって、なるほどな、東京に染まらずにそのままでやったほうがいいんだと」
『せやねん!』ではMCのトミーズ雅が、『シューイチ』では中山秀征が“そのままの千鳥”を受け入れてくれたことが、現在に至るきっかけだと語る。
では、“そのままの千鳥”のロケとは何なのか。そこには、関西と東京の情報番組におけるロケスタイルの大きな違いがある。
関西の情報番組のロケについて、頻繁に語られるのがその拘束時間の長さだ。芸人のスケジュールがある限りカメラを回し、徹底的に当たりのボケやハプニングを待つ。一方、東京の情報番組はあくまで情報を優先し、必要な素材を押さえれば仕事は終わる。芸人のボケは不要とされ、いくらボケてもカットされる。すべてがそうではないが、そういう傾向があるということだ。
千鳥は関西時代、そのスタイルのロケを年間200本以上こなしていた。「ロケの王者」の名を欲しいままにし、2011年には『千鳥の白いピアノを山の頂上に運ぶDVD』(よしもとアール・アンド・シー)というロケに特化したパッケージ作品も作っている。関東のお笑い界隈に「千鳥のロケが面白いらしい」という評判が広がり始めたのも、このころだった。
翌12年、上京した千鳥が“そのままの千鳥”のロケをさらに磨き上げた番組がある。13年から始まった土曜深夜の『噂の現場直行ドキュメン ガンミ!!』(TBS系)だ。「取材ディレクター」となった芸人たちがさまざまな突撃ロケのVTRで競い合う番組だが、ここで千鳥は突出した面白さを見せる。まさに、「ロケの王様」の面目躍如である。
だが、要するに、それが通用しなかったのだ。笑いの方向に先鋭化した千鳥のロケは、東京の情報番組にまったく馴染まなかった。ボケを不要とされた千鳥のロケは、単にガラの悪いあんちゃんが街をうろついている姿に過ぎなかった。
そんなころに『シューイチ』に呼ばれた千鳥は、ディレクターから「いつも通り、やっちゃってください」と指示されたという。大悟が「どうせカットされるやろ」と思いながらボケ倒したところ、それがすべて使われたということがあった。16年5月のことだ。
大悟は「秀ちゃんが笑ってくれた」と言ったが、まずは「ディレクターが使ってくれた」のほうが正しいだろう。
朝や昼のメジャーな情報番組におけるロケ企画は、ときに芸人を飛躍させる。M-1王者・サンドウィッチマンのステージを一段階引き上げたのは『バイキング』(フジテレビ系)の「地引き網クッキング」だったし、長く中堅の位置にいた松竹芸能の兄貴分・なすなかにしが「2023年上半期ブレイク芸人ランキング」(オリコン・モニターリサーチ)で2位に入ったのも、やはり『ラヴィット!』(TBS系)でのロケがきっかけだった。
千鳥が冒頭でターニングポイントに挙げたのも、東西の朝の情報番組だった。そこで顔を売ることが、ブレークに直結したのだ。
そしてそれを、千鳥は意図していた。
「どうにか、(漫才の)ネタを変えるんじゃなくて、俺らがポピュラーになれば、ポップな存在になれば、こんなしょうもない、とがったネタもウケるようになるんじゃないかと思って、情報番組にしこたま出たな」
18年4月、ノブは『オードリーのオールナイトニッポン』(ニッポン放送)にゲスト出演した際、そう明かしている。
(文=新越谷ノリヲ)
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