『ONE DAY~聖夜のから騒ぎ~』第7話 人はなぜドラマを見るのかという問い
#ONEDAY
人はなぜドラマを見るのでしょう。例えば、ドラマの提供する世界観に没頭し、そこに描かれる世界にひととき身を置くことで自らの日常を再確認できるから。例えば、架空の誰かに心を重ねることで内面の孤独を癒せるから。例えば、物語が与えるメッセージに共感し、人生における判断の指針を得られるから。その理由はそれぞれです。どうあれ、多くの人がそうして幼いころからドラマという媒体に触れ、「ドラマを見る」という習慣を身につけています。テレビでドラマをやってれば、ドラマを見る。その理由やモチベーションを意識せずとも、一定の人数がドラマを見て大人になります。
そのうちの何人かは、ドラマを作る側に回りたいと考えるようになります。勇気を与えてくれた、あの俳優のように自分も誰かに生きる力を与えたい。心の底からワクワクさせてくれたあの脚本家のように、自分も人の心をときめかせてみたい。まぶたの裏に焼き付いたあのシーンを撮った演出家のように、自分も誰かの心のアルバムに残りたい。その思いはさまざまですが、共通するのは「いいドラマを届けたい、人を楽しませたい」という思いのはずです。そういう思いのはずなんです。はずなんだよなぁ。
だから、こういう金と労力だけめちゃくちゃかかってて、まったくダメなドラマを見ると、ホントに心が痛むんだわ。誰も得してないし、誰も満足できない。見る側もやってる側も、上から下まで誰も納得してないでしょう。
今回、物語は進展しませんでした。何をした回かというと、悪者にさらわれた女の子をニノちゃんが救い出すという一連のシークエンスを見せることで、なんとなくみんなが「ニノは犯人じゃないわ」と思い始めるという、つまりは「これからみんな、ニノが犯人じゃない前提で動き出します」というエクスキューズを得るための回となっています。
見ている側からすれば、ニノが犯人だろうが犯人じゃなかろうが、どっちでもいいんです。人生は有限ですから、できれば1分1秒たりとも無駄にしたくなくて、それがドラマを見ている時間なのであれば1分1秒残らず楽しんでいたいんです。
でもドラマはそれよりも、「ニノがいいやつだから犯人じゃなさそうだろ」というエクスキューズを優先してきます。雑な段取りで女の子を誘拐し、雑な段取りでニノが救出し、雑な段取りで女の子を家族や会社のもとに戻し、あとは俳優たちの顔面で「よかった」を演出します。これで納得しろと迫ります。ハマスタにドローン飛ばして、「どうだ大規模ロケだぜ」なんてドヤ顔してます。
要するに、手段と目的が逆転してるんです。本末転倒なんです。面白いドラマであるために段取りがあるのではなく、段取りをこなすためにドラマを撮っている。ドラマの1分1秒に「人を楽しませたい」より重要な、課せられた義務のような、取らなければならない責任のような、そういうものが透けて見えてくる。どんどん視聴者とドラマが関係なくなっていく。
大人ですし仕事ですから、そりゃ成立させなきゃなんない。まさかフジテレビの月9を途中で放り出すわけにはいかないし、始まったからには終わらなきゃならない。
みんな頑張ったけど、こうなっちゃいました。時間もないし、隠し立てすることもできませんからね。放送するしかないんでしょうね。みんなが必死になって走ってたら、いつの間にか誰もリカバリーできないところまできてしまっていた。そんな大きな悲劇を見ているような、『ONE DAY~聖夜のから騒ぎ~』(フジテレビ系)第7話でした。
なぜこんなことを書いているかといえば、もうこのドラマをドラマとして楽しめてる人はほとんどいないだろうなと思ってるんです。何か別の理由、例えばニノがカッコよくて好きとか、横浜出身だからいろんな横浜の風景が懐かしいとか、そういう理由で見続けることはできても、2週前くらいから物語はプロットレベルから崩壊していて、ドラマとして楽しめるようにはできてない。ドラマを見る理由を最初にいくつか考えて書いたけど、そういう視聴意欲を満たせるものではなくなってる。そう思います。
まあでも、不健康ではあるんですよね。これを書いてるってことは、こっちだってドラマを楽しもうと思って見てるんじゃなくて、原稿を書くために仕方なく見てる。それでお金をもらったりしてる。本末転倒はお互い様ですね。すみません。
(文=どらまっ子AKIちゃん)
サイゾー人気記事ランキングすべて見る
イチオシ記事