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日刊サイゾー トップ > エンタメ > お笑い  > 「一発屋」と「お笑い第七世代」の関係

『全力!脱力タイムズ』があぶり出した「一発屋」と「お笑い第七世代」を考える

四千頭身後藤/THE RAMPAGE藤原樹 | TVer

 4日放送の『全力!脱力タイムズ』(フジテレビ系)に四千頭身・後藤拓実がゲスト出演。ゆってぃ、三瓶、ですよ。、ムーディ勝山と横並びで紹介され、“一発屋芸人”扱いされる一幕があった。各々「当時の忙しさ」「当時の最高月収」など「当時」に関するエピソードを披露し、最後に話を振られた後藤が「なんで僕に来るんですか、当時って言わないでください」とツッコむパターンで笑いを誘っていた。

 番組が後藤を指して言う「当時」とは、わずか2年前にブームとなった「お笑い第七世代」のこと。日本中が熱狂に沸き、あっという間に収束したが、担ぎ上げられた芸人たちはおおむねブームの中で自分たちの居場所を定め、それぞれに軟着陸したように見える。

 一方で、お笑い界における“一発屋”の世界にも、変化が訪れている。

 先月放送された『あちこちオードリー』(テレビ東京系)の「元一発屋特集」、レイザーラモンHG、小島よしお、ジョイマンを迎えた回で出演者たちから語られたところによれば、いわゆる“一発屋”の最後はひょっこりはんであり、それ以降、一発屋と呼べるような芸人は出現していないというのだ。言われてみれば確かに、その通りである。

 ひょっこりはんのブレークのきっかけは2018年の新春『ぐるナイ!おもしろ荘』(日本テレビ系)だった。この年ひょっこりはんは、それこそテレビで見ない日はないほどの大活躍を見せた。

 そして、その年の年末に『M-1グランプリ』(テレビ朝日系)で霜降り明星が優勝し、翌年からバラエティ界は空前の「第七世代ブーム」に突入する。

 ひょっこりはん以前、第七世代ブーム以後。18年を分水嶺に、バラエティの世界で何が変わったのだろうか。第七世代が世の中を席巻し、その1つ上の世代のニューヨークやかまいたちがMC席に収まり始めたころにも、一発屋になる可能性を秘めた芸人が登場していないわけではない。

 例えば19年にブレークしたチョコレートプラネットは、当時あらゆる番組でIKKOと和泉元彌のモノマネしかしていなかった。明らかに一発屋の出方だったが、一発で終わるどころか、『ヒルナンデス!』(日本テレビ系)、『おはスタ』(テレビ東京系)などのレギュラーを獲得するなど支持層の幅を拡大し、昨年末にはバナナマンが長く務めた『NHK紅白歌合戦』の副音声を担当するまでになった。今や国民的タレントという枠に片足を突っ込んでいる。

 チョコプラがすぐに消えなかった理由は、もちろん長年コントで培ってきた自力はあるだろうが、それ以上にYouTubeが作用しているように思う。自らの公式チャンネルで、次々に新しい企画を発表し、芸人としてのみならずプランナーとしての力もテレビ界から必要とされたということだろう。あのYouTubeがなければ、「どんだけ~」の人で終わっていた可能性もありそうだ。

 チョコプラ以上に一発屋然としてテレビの世界に飛び込んできたのが、フワちゃんだろう。20年前半から露出を増やしたフワちゃんには特に目立ったギャグやフレーズがあるわけでもなく、ルックスの目新しさと振る舞いの珍しさだけで一点突破していたように見えた。

 フワちゃんの場合は、おそらくSNSではないか。バラエティがSNSの反応を気にしだしたのも、ちょうど10年代後半から20年代に入るころだった。「フワちゃんはああ見えて、意外に頭がいい」「ああ見えて、しっかりしている」そういったコメントがSNSに書き込まれることで、人物像に深みが与えられていったのかもしれない。

 例えば00年代にSNSがあったら、「ゆってぃは、ああ見えて実は超オシャレな渋谷系だ」という評判や、「ですよ。は、ああ見えてサッカー選手を目指してボリビアに単身乗り込んだほどのワイルド人間だ」という情報も広がっていただろう。彼らがバラエティ2週目を、それらのエピソードで渡り歩く姿も、想像できないわけではない。ですよ。が過酷な海外ロケに駆り出されて、現地で「あいとぅいまて~ん」している姿を思い浮かべると、ワクワクしてくる。

 当の四千頭身も人気先行で登場したトリオに見えたが、実はブレーク前から『オールナイトニッポン0』(ニッポン放送)、『四千ミルク』(FM FUJI)と2本のラジオレギュラーを抱えており、若くして開花した才能のみならずメディアでの立ち居振る舞いもある程度心得ていたことが有意に働いたのだろう。いわずもがな、四千頭身もYouTubeで若年層の固定ファンを得ている。

 こうして見ると、第七世代の出現と一発屋芸人の消滅には、あまり相関関係がないように思えてきた。むしろ、一発屋的なプロセスでブレークを果たした芸人が「消えにくい」という時代になってきたのかもしれない。

 とはいえ、それにしても、である。例えば18年の『M-1』ファイナルステージは、霜降り明星4票、和牛3票だった。あのとき、もう1人誰かが和牛に票を投じていたら。霜降りが優勝していなかったら。せいやが「第七世代で~」などと発言することもなかったし、「お笑い第七世代」ブームは起こっていないのである。その現在とはまったく違う風景に思いを馳せながら、このとりとめのない文章をしめくくっておく。

(文=新越谷ノリヲ)

新越谷ノリヲ(ライター)

東武伊勢崎線新越谷駅周辺をこよなく愛する中年ライター。お笑い、ドラマ、ボクシングなど。現在は23区内在住。

n.shinkoshigaya@gmail.com

最終更新:2023/11/04 17:00
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