末期がん患者、かく語りき──叶井俊太郎『エンドロール!』刊行インタビュー
#あぷ噛む #叶井俊太郎 #エンドロール!
あっけらかんとしたものだ。数年ぶりに会った映画宣伝プロデューサー・叶井俊太郎は、すっかりやせ細っていたものの、相変わらず必要以上に大きな声でしゃべる男だった。
叶井が膵臓がんで余命半年なので、旧知の業界人を呼び出して対談集を作るのだという。その書籍の編集を担当することになって、ある程度、覚悟を決める必要があった。末期の膵臓がん、余命半年、いつ死んでもおかしくない。そういう人物と、密に接したことがなかった。直前に井上雄彦のマンガ『リアル』(講談社)を読み返していたこともあり、死に瀕した高校生・ヤマの姿が目に浮かんだ。筋ジストロフィーを患い、近く死を覚悟していたヤマは泰然とその日を待っていたが、やはり実際に死期が迫ると取り乱した。「セックスがしてみたかった!」それがヤマの未練だった。
そのヤマに比べれば、叶井が接してきた女性の数は空前絶後である。だから大丈夫だろうというわけでもないが、目の前で急変されて対応できるかどうかという大きな不安と、校了前に死んじゃった場合、編集者としてのギャラはどうなるのかという小さな不安とで、モヤモヤを抱えながらのジョインとなった。
まあ、どうにかなるか。いくつかの会話を交わしただけで相手にそう思わせてしまうのが、叶井の才能かもしれない。対談取材を通して、鈴木敏夫、奥山和由といった日本映画界の巨人たちが、まるで叶井を弟か息子のように可愛がっていたことを知った。編集者・中瀬ゆかりは、叶井を評して「できるだけたくさんの人に会わせたくなる人」と言った。
こちらの心配をよそに、叶井は元気いっぱいで対談に臨んだ。録音テープの音声は、どう聞いても末期がん患者のそれではなかった。叶井は、タクシーで10分かからない距離を電車で来た。ゲストの選定からアポイントメントまで、叶井が全部ひとりでこなした。メールの返信が早い。あやふやな確認事項があれば即座に、かつ無遠慮に電話を鳴らしてくる。遅刻をしない。奔放なイメージしかなかった叶井の、意外に実直な仕事ぶりを垣間見ることができた。
「湿っぽい内容にはしないでくれ」
それが編集者に対する、叶井の唯一の注文だった。ならば娯楽に振り切ろう。叶井という人間の死にゆく様を、エンターテインメントとしてお届けしよう。そう決めてからは、編集作業に何の迷いも生じなかった。叶井が取り扱ってきた映画の中では、何万人もの人間が死んだ。血まみれにされ、手足を切り刻まれ、人間に食われた人間もいる。叶井ひとりの死を娯楽としても、罰は当たらないはずだ。そう考えた。
タイトルの『エンドロール!』も、叶井の案だった。編集側の3人が寄ってたかって40以上のタイトル案を提出したが、叶井がそのどれでもない表題案を一発で決めてきた。これが伝説の宣伝プロデューサーかと、舌を巻くしかなかった。カバーの撮影では、「ジャケット姿でバックショットを撮りたい」とだけオーダーしたが、鮮やかなピンク色を羽織ってきた叶井の姿に天を仰いだ。
プロモーション的にも心情的にも、この本を間に合わせたかった。急ピッチの制作は、なんとか叶井が生きているうちに完成を見ることができた。
作業を共にする間、叶井の中に絶望や諦念や不安や恐怖を感じることは一度もなかった。今日は仕事ができるから仕事をする。叶井が私たちスタッフに見せる姿、そのテンションは常に一定で、そのことがどれだけ作業の救いになったかわからない。死を目の前にして、人に気を使わせない振る舞いを続けることのタフさは想像を絶するが、叶井は無理をしているわけではなさそうだった。痛いときは痛いと言うし、キツいときは「今日はキツいね」と正直に口にした。
こんな人間には、会ったことがない。編集作業を続けるうち、日に日にその思いは強くなっていく。
* * *
豊島 やっぱりあれですか、生きることに未練がないから。
叶井 そう、だから、死ぬことにも興味ないんじゃない?
* * *
もっとも印象に残ったやり取り。映画監督・豊島圭介を迎えた対談での一説だ。
発売日が決まり、パブリシティ取材が行われている合間の休憩時間に、雑談まじりに叶井に話を聞いた。
──死ぬことに興味がないやつなんているのかって、衝撃だったんですよ。
叶井 興味ないねえ。死に対する恐怖心もないし、この世に未練もないってことだよね。
──それは昔から?
叶井 考えたのは、今回(がんで余命を)言われてからだよね。まったく落ち込まないんですよ。先生助けてください、治りませんか? とかさ。普通、自分でも治療法を調べたりすると思うんですよ。一切ないからね。人任せ。
──病院もくらたま(妻・倉田真由美)さんに連れて行かれて行くだけ?
叶井 そう、サイゾーの社長に言われてNKT治療したりさ、全部人任せ。
──まあ、断るのもアレだし、くらいの。
叶井 そうそうそう、みんな一生懸命だなぁって、他人ごと。だから、ホントに興味ないんだなと思った。対談してよかったよ。自分でも、そういう死に対する考え方があるんだとか、自分がそうだったのかとか、いろんな気づきがあって。最後にがんになって、こういうことがわかってよかった。
──10代とか20代のころも、死ぬこととか一切考えなかったですか?
叶井 考えないですね、考えます?
──みんな少しは考えると思うんですけど。
叶井 10代、20代だよ。何を考えるの。
──その、命というか、自分はなぜ生まれてきて、どうやって死んでいくんだろうとか。
叶井 ……そんなこと、考えます?
──考えますよ、少年は。
叶井 10代で? 死について?
──死とか、命とか、宇宙とか。
叶井 宇宙とか、そういう神秘的なものとかね、そういうのは考えたけど。
──命なんてめちゃくちゃ神秘的じゃないですか。
叶井 命……命については、まったく考えたことないよ。何を考える? 自分が死んだらどうなるとか?
──うん、まず、なぜ生まれ、存在しているのかみたいな。
叶井 人間とは何ぞやとか、そういうこと?
──そうです。それを欠片も考えないで思春期を過ごす人っているんですか?
叶井 まったくだね、微塵もないね。まったく微塵もない。
──何考えてたんですか、若いころ。
叶井 遊びばっかだよね。ずっと、モテることしか考えてなかった。
──解釈として、めちゃくちゃセックスしたがっているというのは、生きている実感がなくて、それを渇望しているんじゃないかみたいな考え方もあると思うんですけど。
叶井 ないない、そんなの。深く考えたことないもん。1日何回できるか挑戦とか、そういうレベルでさ。何も考えてない。
──生きてる実感があるな、生きてるな、と思うことってあります?
叶井 ないです、それも思ったことない。生と死とか考えたことないじゃん。
──あるんですよ、人は。
叶井 あるのか、俺はないんだよ。ないねえ。
──想像力を働かせないようにしてる感じがする。
叶井 そうかもしれないね、死とか生についての想像力はないのかもね。聞いちゃうもんね、(病院で他の患者に)がんなの? どこのがん? とか。
──「モテたい」しかなかった中高のころに、自分がどんな大人になるかって想像してました?
叶井 してない。
──夢はあったんですか、子どものころ?
叶井 夢?
──いや、普通にプロ野球選手とか。
叶井 あ、そういうの、なんだろうね。全然ないと思うよ。何も考えてないんだって、だから。
──そんなわけないんだって、人なんだから。
叶井 その場がよければいいわけよ、今日がよければすべてよしなの。
──言ってることはわかりますけど。
叶井 10年後なんて想像つかんでしょ。将来何になるとかさ、こういう学校に行きたいとか、こういう仕事がしたいとかさ、ないよ!
──あるんですって。
叶井 その場がよければすべてオッケーだったんですよ、考えたことないもん、映画業界に入ったのだって偶然だし。職種を選んでさ、企業の面接行ったりするじゃん。したことないし、だから、なんだろうね、行き当たりばったりっていうの?
──自分はこの先、生活していけるんだろうかとか、そういう不安もなかったんですか?
叶井 ないです。
──なんで?
叶井 え? まったく不安も感じてなかったし、なんだろうね。そこにいて、映画業界と出会ったから結果的にオッケーだけど、出会わなかったらどうなってたんだろうね。そんなこと考えてないから。
──不安もないし、夢も希望もない?
叶井 そうですね。
──元気だけがある。
叶井 そう。
──うーん……。
完全に腑に落ちたわけではないが、少しは理解できたような気がした。パク・チャヌクは映画『サイボーグでも大丈夫』(06)の中で、「希望を捨てろ、元気を出せ」と言った。無理難題に思えたが、その権化が目の前にいると思えば、納得できないわけではなかった。
夢も希望も絶望も不安もなく、ただ人一倍の元気だけがある人間がいた。その人間が、元気がなくなって、飯が食えなくなったので、死ぬ。それを人は寿命と呼ぶ。思えば、叶井は本の中で何度も「寿命なんだからしょうがないじゃん」と言っていた。
「ねえ、タバコ吸っていい?」
一連の取材が終わると、茶目っ気たっぷりに叶井が尋ねてきた。このスペースが禁煙であることは叶井も知っているし、タバコにはさまざまな健康上のリスクがあることも常識だろう。
知ったことか。この人は、もうすぐ死ぬのだ。私が窓を開け放つと、叶井は慣れた手つきでアメスピに火をつけた。
(文中敬称略/文・構成・写真=新越谷ノリヲ)
●『エンドロール! 末期がんになった叶井俊太郎と、文化人15人の“余命半年”論』
『末期がん患者との対談本って、今までにない前代未聞の企画じゃないですか?
いやーかなり楽しかった!
皆さまご協力ありがとうございました。
おかげさまで伝説になりそうな本が完成しました。』――叶井俊太郎 まえがきより
『夫のがんが判明した昨年は、⼈⽣で⼀番泣いた⼀年だった。
「なんで泣いてるの」泣く私に、いつも夫は言う。
「泣いても仕方ないでしょ、治らないんだし。泣いて治るなら俺も泣くけどさ」
夫はがん告知されてから⼀度も泣いていない。』――妻・倉田真由美(漫画家)あとがきより
映画業界では知らない人のいない名物宣伝プロデューサー・叶井俊太郎(かない・しゅんたろう)。
数々のB級・C級映画や問題作を世に送り出しつつも結局は会社を倒産させ、バツ3という私生活を含めて、毀誉褒貶を集めつつ、それでもすべてを笑い飛ばしてきた男が、膵臓がんに冒された!しかも、診断は末期。余命、半年──。
そのとき、男は残り少ない時間を治療に充てるのではなく、仕事に投じることに決めた。
そして、多忙な日々の合間を縫って、旧知の友へ会いに行くことにする……。
●叶井俊太郎(かない・しゅんたろう)
1967年東京都生まれ。フランス映画『アメリ』のバイヤーとして知られ、『いかレスラー』『日本以外全部沈没』などの企画・プロデューサーとして日本映画界の発展に貢献。現在は、映画配給レーベル・エクストリームの宣伝プロデューサーを務める。2009年9月に漫画家・倉田真由美と入籍。22年6月、膵臓がんで余命半年の告知を受けるが、23年10月現在、笑いながら存命中。
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